第4話 聖女の祈りと、酒場の皿洗い
皿洗いはモブに似合う仕事だ。
光を浴びるのは料理や酒で、皿そのものは汚れては洗われ、ただの器に戻る。
そして次の主役に料理を乗せられる――。
まるでモブそのものじゃないか。
◇ ◇ ◇
「カレー肉まん、手を止めるな!」
酒場の主人に怒鳴られる。
僕は慌てて両手を動かし、泡立つ桶に皿を突っ込む。
ゴシゴシと擦りながら、カチャカチャと音を立てて積み上げる。
ここは宿場町でも有数の
勇者たちが遠征から帰ってきたときに打ち上げをやる場所で、酒の匂いと笑い声と剣の匂いが混ざったカオスな空間だ。
僕のような皿洗いバイトは、彼らの残した骨付き肉や飲み残しのビールと格闘し続ける。
派手な戦いの裏に必ず残飯と皿がある。
それを片付けるのもまた、モブの仕事だ。
◇ ◇ ◇
その夜の《金獅子亭》は、ひときわ賑やかだった。
勇者パーティが凱旋し、店中の客が彼らに酒を奢りまくっているのだ。
「聖女様のおかげで傷が癒えました!」
「あなたの祈りがなければ、我らは死んでいた!」
「乾杯! 勇者と聖女に!」
拍手と歓声が渦を巻き、その中心に一人の少女が座っていた。
白いローブに金糸の刺繍。
透き通るような金髪と、月光を思わせる青い瞳。
手を組み、微笑む姿はまさに“聖女”だった。
僕は桶の中で皿を洗いながら、彼女を見ていた。
聖女はどこに行っても崇められる存在だ。
だが、僕の視線にはちょっと違うものが映った。
彼女の手首――袖口の隙間から、小さな赤い傷跡が覗いていた。
◇ ◇ ◇
「……祈りの代償、か」
背後から声がした。
振り向けば、例の魔導書少女が立っていた。
今日も酒場に入り込み、隅の席で本を読んでいる。
「聖女の祈りは、ただの魔法じゃない。彼女自身の命を削っているんです」
「命を……?」
僕は思わず手を止めた。
少女は淡々と続ける。
「傷一つ癒すたびに、彼女の血管は破れ、体の一部が蝕まれる。人々は奇跡だと称えるけど、あれは寿命を削る奇跡ですよ」
「じゃあ、あの笑顔も……」
「痛みに耐えて作られたものです」
僕は黙り込んだ。
酒場中が「聖女万歳!」と叫ぶ声で満たされる中、その裏で彼女が静かに血を流しているなんて。
誰も知らない。誰も気付かない。
けれど、僕は見てしまった。
モブだからこそ、スポットライトの当たらない部分を。
◇ ◇ ◇
宴が終わった頃、僕は皿を下げるふりをして聖女に近付いた。
彼女は椅子に凭れかかり、ほんのわずかに震えていた。
周囲の勇者や冒険者は、酒に酔って気付いていない。
「大丈夫ですか?」
声をかけると、聖女は驚いたように僕を見た。
そして、疲れた笑みを浮かべた。
「……ありがとう。でも、あなたは誰?」
「ただの皿洗いです」
「そう……なら、お願いがあります」
聖女は僕の手を握った。
その手は冷たく、力なく、けれど必死だった。
「私が祈る間……どうか、人々が笑っているように支えてください」
僕は頷いた。
皿洗いにできるのは、それくらいしかない。
◇ ◇ ◇
翌朝。
酒場の床を掃除していると、魔導書少女が僕に言った。
「……やっぱりおかしい人ですね」
「またそれか」
「皿洗いなのに、聖女に手を差し伸べる。普通の人はしません」
「でも、モブだからできるんだよ。主役が倒れるわけにいかないなら、代わりに支えるのは舞台裏の皿洗いだ」
少女はしばらく僕を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「なるほど。じゃあ、あなたは“舞台袖の勇者”ですね」
……それは褒め言葉なのかどうか。
◇ ◇ ◇
次回、「転生者たちの愚痴大会」
お楽しみに。
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