第3話 魔王軍の雑兵にも事情あり
モブとして生きると決めて数日。
市場でのバイトも板につき、銀貨一枚のありがたみを骨身にしみて理解した頃、僕はちょっとした“冒険”をする羽目になった。
といっても、勇者よろしくドラゴン退治に出かけたわけじゃない。
たまたま市場の裏道で荷物を運んでいたら、妙な影を見かけただけだ。
◇ ◇ ◇
その影は、人間の鎧を着ていなかった。
代わりに、頭から足まで黒い鱗のような甲冑をまとい、腰に短剣を提げていた。
そして、背中には「魔王軍」と刻まれた粗末な旗印が縫いつけられている。
――つまり、魔王軍の雑兵だ。
「うわ、なんで市場に?」
思わず口をついて出る。
勇者がわんさか召喚され、魔王が量産されている時代。
当然のように、町の外では戦闘が絶えない。
けれど、そんな真っ只中に“敵軍の雑兵”がのこのこ歩いてきているなんて、どう考えても場違いだ。
雑兵はふらふらとした足取りで路地裏に入り込み、壁に背を預けると、ズルズルと座り込んだ。
……よく見れば、鎧の隙間から血が滲んでいる。
「怪我してる……」
僕は逡巡した。
相手は魔王軍。勇者や兵士に見つかれば即処刑だろう。
けれど、こうして一人で倒れている姿を見ると、どうしても放っておけない。
モブの役割は“観察”だ。
なら、この場面も見届けるべきじゃないか?
◇ ◇ ◇
「……おい、人間か?」
雑兵が弱々しい声で僕を見上げた。
顔の半分は仮面のようなものに覆われていて、種族もよく分からない。
だが瞳だけははっきりと恐怖に濡れていた。
「お前、俺を殺すのか?」
「いや、別に殺す気はないよ」
僕は両手を上げて、敵意がないことを示す。
「通りすがりのモブだ。ただの、荷物運びの男」
「……モブ?」
怪訝そうに首をかしげる雑兵。
そうだよな、説明しても理解される言葉じゃない。
「……水、くれないか」
僕は懐から水筒を取り出し、そっと差し出した。
雑兵は恐る恐る受け取り、がぶがぶと喉を鳴らした。
「助かる……」
その瞬間、彼は人間にしか見えなかった。
◇ ◇ ◇
「なんで魔王軍なんかに?」
気付けば、僕は聞いていた。
雑兵は苦笑した。
「生まれつき“角”があったからな」
彼は兜を外した。
そこには小さな黒い角が二本、ちょこんと生えていた。
「人間の村に生まれたけど、角があるってだけで“魔族だ”って追い出された。……で、拾ってくれたのが魔王軍だ」
「ああ……」
なるほど、雑兵にも事情あり、だ。
「でも、勇者と戦いたくなんかない。ただ、生きる場所が欲しかっただけだ」
彼の声は震えていた。
勇者に剣を向けているはずの兵士が、実際は“居場所のために戦っている”だけ。
物語に描かれない現実が、ここにあった。
◇ ◇ ◇
「ここにいちゃ危ないぞ」
僕は声を潜めた。
「兵士に見つかったら殺される。勇者に見つかったら武勇伝のネタにされる」
雑兵は苦笑した。
「わかってる。でも、もう歩けない」
僕は再び迷った。
モブとして、どこまで関わるべきか。
そのとき、背後から声がした。
「また妙なことに首を突っ込んでますね」
魔導書少女だ。
いつものように腕に分厚い本を抱え、冷たい瞳で僕を見ている。
「これは“観察”の範囲を超えてますよ」
「でも、見捨てるのは嫌だ」
「……本当に変わった人」
少女はため息をつき、魔導書を開いた。
淡い光が雑兵を包み、傷が少しだけ塞がっていく。
「助けてくれるのか?」
雑兵が驚いたように呟く。
少女は答えなかった。ただ本を閉じると、僕の方を睨んだ。
「これ以上は無理です。後はあなたが責任を持ちなさい」
そう言い残して、彼女は立ち去った。
◇ ◇ ◇
夜。
僕は雑兵を人目のない郊外まで連れていき、焚き火のそばに座らせた。
「ここなら追っ手も来ないだろ」
雑兵はうなずき、火を見つめていた。
「……お前みたいなのもいるんだな。勇者でも魔王でもない、人間」
「僕はただのモブだよ」
「いや、違う」
雑兵はかすかに笑った。
「俺にとっては……お前が勇者だ」
そう言って、彼は眠るように目を閉じた。
呼吸はまだある。
ただ、深い眠りに落ちただけだろう。
――モブは勇者じゃない。
けれど、誰かにとっての“勇者”になる瞬間は、確かにある。
火の粉を見つめながら、僕はそう思った。
◇ ◇ ◇
次回、「聖女の祈りと、酒場の皿洗い」
お楽しみに。
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