第2話 村人Aの給料事情
モブとして生きる――。
そう宣言した翌日から、僕の異世界生活は本当に地味なものになった。
派手な魔法をぶっ放すでもなく、ドラゴンと死闘を繰り広げるでもなく、ただ人並みに汗を流し、人並みに飯を食う。
だが不思議なことに、昨日まで存在しなかった“新しい日常”が、僕の目の前でちゃんと回り始めていた。
◇ ◇ ◇
「カレー肉まんさん、荷物をここに運んでくださいな」
呼び止められたのは、市場の裏手だった。
声をかけてきたのは、エプロン姿の恰幅のいいおばちゃん。
異世界でも“市場のオバチャン”は万国共通らしく、腕っぷしの強さと商売根性を兼ね備えているように見える。
「はいはい」
僕は渡された木箱を抱える。中身は野菜だ。トマトに似た赤い実、茄子っぽい紫色の実、見たことのない緑の瓜。
重さはそれほどでもないが、数が多い。モブ労働者の腕の見せ所である。
「それにしても、転生者さんってのは便利ねえ。昨日まで見なかったのに、今日はこうして働いてくれるんだから」
「まあ……どこに行っても飯は食わなきゃいけませんから」
僕がそう返すと、オバチャンは豪快に笑った。
「そうそう、飯のために働く! それが人間の基本だよ!」
……ああ、なんか沁みる。
勇者や魔王が世界の命運を左右している裏で、こうして市場の片隅で汗を流すことこそ、人間の本分だろう。
◇ ◇ ◇
仕事がひと段落すると、オバチャンが銀貨を一枚くれた。
これが今日の報酬らしい。
「銀貨一枚……これ、どのくらいの価値があるんですか?」
僕が訊ねると、近くにいた青年が答えてくれた。
彼は市場で働く村人A――いや、正真正銘の村人Aだった。
「だいたい、パン五個分くらいかな」
「パン五個……」
僕は思わず天を仰いだ。
一日の労働で、パン五個。
いや、考えようによっては十分かもしれない。
パン一個で腹を満たせるなら、五日分の食料を稼いだことになる。
けれど、宿代やら衣服代やらを考えると、途端に心許なくなる数字だった。
「……村人の給料って、こんなもんなんですか?」
「こんなもんだよ」青年は笑って肩をすくめた。
「勇者や魔王の話は派手に聞こえるけど、俺たちにとっちゃ遠い世界だ。畑を耕して、野菜を売って、銀貨をもらって、それで家族を養う。毎日がそれで終わりさ」
僕は無意識に頷いていた。
これこそ“モブのリアル”だ。
◇ ◇ ◇
昼休憩のとき、勇者パーティが市場にやって来た。
金ピカの鎧に身を包み、腰には魔剣、背中にはドラゴンの牙を模した槍。
見るからに強そうだし、BGMでファンファーレが流れそうな雰囲気すらある。
「おい! 昼飯を出せ!」
「最高級の肉をだな!」
「聖女さまの分はフルーツを山盛りで!」
店の前で威勢よく叫ぶ勇者たち。
周囲の村人が一斉に注目し、歓声を上げる。
「きゃー! 勇者さま!」
「昨日も魔王軍を倒したんだって!」
「すごいわぁ!」
……なるほど。
こうやって勇者の武勇伝は広まり、彼らのカリスマは育っていくのだろう。
だが僕の視線は別の場所に止まった。
――店の奥で、肉を切り分ける若い料理人がいた。
彼の手は小刻みに震え、額には汗が滲んでいる。
「……足りない……」
小さな声が漏れる。
どうやら、勇者たちの注文に応じるだけの食材がなかったらしい。
けれど勇者の前で「足りません」なんて言えない。
言った瞬間、勇者の武勇伝に“逆らった村人”として処刑エピソードが追加されかねない。
僕はとっさに、さっきの報酬の銀貨を取り出した。
そして彼にこっそり渡す。
「裏の倉庫に追加の肉、あっただろ。これで帳尻合わせておけ」
青年は驚いた顔で僕を見て、それから小さく頷いた。
ほんの些細なやり取り。
でも――それだけで、勇者の笑顔は保たれ、市場の秩序は守られた。
「……やっぱり、あなたはおかしい人ですね」
背後から声がした。
振り返れば、魔導書少女が立っていた。
いつの間にか、僕の働きを観察していたらしい。
「モブであるはずなのに、勇者の舞台を支えている。あなたは自分で思っている以上に、この世界に影響を与えてますよ」
「……それでもいい」
僕は肩をすくめた。
「だって、モブは主役に華を持たせるための存在だろ? 今日の勇者の笑顔も、僕が影で支えたおかげなら、それで十分だ」
少女はじっと僕を見つめていたが、やがてふっと微笑んだ。
「やっぱり変わってます。でも……少しだけ、面白い」
◇ ◇ ◇
夜。宿場町の安宿のベッドで横になりながら、僕は考えていた。
勇者の輝きも、魔王の恐怖も、賢者の知恵も聖女の祈りも、確かに世界を動かしている。
けれど、彼らを支えているのは、パン五個分の銀貨で働く“村人Aたち”だ。
彼らの汗と血が、この世界の土台になっている。
そのことを、誰も語らない。
ならば僕が語ろう。
モブの目から見た物語を。
そう決意したとき、不思議と胸が熱くなった。
派手さはないけれど、確かにここには“生きる意味”があるのだ。
◇ ◇ ◇
翌朝。
市場に向かう途中、村人A青年が僕に手を振った。
「おーい、カレー肉まん!」
……その呼び方はやめろ。
でも、悪くない。
モブとしての僕の日々は、こうして始まっていくのだ。
次回、「魔王軍の雑兵にも事情あり」
お楽しみに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます