第25話 魔王の息子、勇者を知る

「兄ちゃん!? 安心して、今すぐ治すから!」


「やめろギール!」

兄ちゃんは血を吐きながら、かすれた声で叫ぶ。

「さっさと……あの勇者――いや、“狂人”から逃げるんだ!」


パチン。

指を鳴らした瞬間、背後からさっきの三体の悪魔がドレイクへと襲いかかる。


しかし。


「――ゴミが近づくな。」


たった一言。

その声と同時に、悪魔たちは音もなく真っ二つになった。

肉が裂ける音よりも、ドレイクの冷たい声のほうが恐ろしかった。


「ドレイク! 今の……これは、どういうことなんだ!?」

「何言ってんだ、ギール。」


ゆっくりと、こちらを向く。

瞳は氷のように冷たく、笑顔だけが歪んでいた。


「見ての通りだろ。

 俺が魔王城を滅ぼした“勇者”。

 そして今は、ギールが抱えている“害虫”を駆除している最中だ。」


「ほら、いい子だ。

 早く――そのゴミを、俺のところに持ってこい。」


声が優しい。

優しすぎて、逆に怖い。


兄ちゃんは、自分の血を止めながら立ち上がった。

震える足で、ドレイクを真っ直ぐ見据える。


「やあ、君が……かわいいかわいい俺の弟の“恋人”か。

 なるほど、だいぶ悪趣味だな。」


「害虫が、よく喋るな。」

ドレイクの声には、もはや情がなかった。

「ギールと違って、お前は何人も殺しただろ。

 そんなゴミが“人間の言葉”を話すなよ。

 その一言一言が、本当に“気持ち悪い”んだよ。」


喋るたびに、ドレイクの“かつての優しさ”が剥がれ落ちていく。

俺の知っているドレイクが、どこにもいない。


――なんでだよ。

あんなに優しかったやつが、なんでこんな目をしてるんだよ。


「ドレイク!! 頼むから、もうこれ以上は――」


「安心しろ、ギール。」

ドレイクは穏やかに笑った。

「俺が“1から10まで”丁寧に説明してやるさ。

 こいつを“駆除”したあとにな。」


「はぁ……やっぱり勇者様はカッコいいなぁ。」

兄ちゃんは笑う。

血を吐きながら、皮肉たっぷりに。


「俺の弟を――“自分の所有物”みたいに扱って。

 そういうの、家族に話を通すのが“人間界のマナー”ってやつじゃなかったっけ?」

一触即発の空気が流れる。

兄ちゃん――フィン・アポリアは、血を流しながらも俺を庇って立ち続けていた。

けれど明らかにドレイクが優勢だった。

俺がどんなに努力しても一度も勝てなかった兄ちゃんに、

あいつは――簡単に傷をつけた。


信じられない。

信じたくなかった。

だけど、このままでは争いになる。


「ドレイク……兄ちゃんは話せばわかる人だ。

 それにまだ、今回の騒動で誰も殺していない!

 頼む、話し合ってくれ!」


俺は必死に言葉を紡ぐ。

ドレイクならきっと、あの優しいドレイクなら聞いてくれるはずだ。


けれど――


「ギール。」

声が低く落ちた。

「お前、俺のことを“変に真面目でお人好しで、お前を差別せずに愛してくれた優しい人間”だと思って説得してるだろ?」


全てを言い当てられた。

その瞳からは、慈悲の一片も感じられなかった。


「単純でほんとによかったよ。」

ドレイクは笑い、勇者の剣を軽く横に振る。


「かっ――は」


兄ちゃんの胸を赤い線が走る。

地面に血が散り、倒れる音だけが響く。

それでも、空は何も知らない青空のままだった。


「お前の疑問、全部答えてやろうか。」


ドレイクがゆっくりと歩み寄る。

影が俺を覆う。

俺は兄ちゃんを抱え、止血を試みながら震える声で話を続けた。


「……じゃあまず、ドレイクが“勇者”なのはどういうことなんだ?」

「簡単だ。」

ドレイクは笑う。

「俺の“天使の声”が魔王を殺せと言った。それだけだ。」


「じゃあ、タンクの子孫って話は?」

「嘘だが?」

即答。迷いもない。


「……じゃあ、なんで勇者であることを隠してた?」

「うーん、さあ。なんでだろうな。」

心底どうでもよさそうに笑う。

「質問はもういいか? じゃあ、こいつを駆除する。」


――やばい。

あと一問しか、時間を稼げない。


「じゃあドレイク。お前は……なんで俺を助けたんだ?」


ほんの一瞬、沈黙。

そして、最悪の答えが返ってきた。


「最初は、お前が“魔族かどうか”を確認するためだった。

 でも、魔王の息子だと聞いたとき、ふと思ったんだ。

 “この髪の毛”……感情で色が変わるその現象は、“命の根源”。

 どんな病も怪我も治す。

 もしこれを“人間の管理下”に置けたら、どんな奇跡が起きると思う?」


ドレイクはうっすらと笑って、俺を見下ろす。


「だから、お前と恋人になった。――ただ、それだけの話だ。」


胸が、音を立てて壊れた気がした。


「……じゃあ、あの告白も? 一緒に映画を見たのも、

 笑ってくれたのも、全部――」


「嘘に決まってるだろ。」


淡々と、優しく。

まるで何も悪気がないように。


「でもまあ、攻めてきた“害虫”が、お前の兄だったのは計算外だったな。

 働く先は、やっぱり同じ教会に誘導しておけばよかったよ。」


兄ちゃんの喉元に剣が当たる。

その刃先が、かすかに太陽を反射して光った。


「やめろおおおおおお!!!」


俺の叫びが届くよりも早く――


「――《ディメンション・ブレス》。」

目を開けると、そこは崩れたレンガ造りの建物の中だった。

天井は半分落ち、壁の隙間から夕陽が差し込んでいる。


そしてその光の中に――あの男が座っていた。


「なんとか、間に合ってよかったです。」


パウロだった。

いつも通りの穏やかな笑顔。

だが、俺は無意識に距離を取っていた。

ドレイクの裏切りの直後だ。信じられるものなんて、もういない。


「……ギールさん。私は味方ですよ。」


「嘘をつくな。本物のパウロなら、俺たちなんかより困ってる人を優先してる。

 それに、こんな事態でのんきに笑ってるはずがないだろ!」


パウロはひげをなでながら、屈託のない笑みを浮かべる。

「ギールさん。今の私は“分身”なんですよ。だからこうしてあなた達の世話もできるんです。――ほら。」


そう言うと、目の前でパウロが二人に分かれた。


……いやいや、怖いって。

どっちも同じ胡散臭い顔をしてるし。


「さて、積もる話は山ほどありますが、今はそんな余裕ありません。

 まずは――あなたのお兄様を治しましょう。」


パウロの手が兄ちゃんの胸にかざされる。

淡い光が走る。だが、傷は塞がらなかった。


「……っ。ダメですか。」

「分身のせいで力が弱まってるのか?」

「違います。この分身は“力を分割しない”完璧な分身魔法です。

 単純に――私の実力不足です。」


パウロが苦笑する。

俺の頭に、ドレイクの言葉がよぎる。


“その髪の毛……命の根源。どんな病も怪我も治せる。”


「兄ちゃん、食え!」

俺は自分の髪を掴み、ためらいもなく引きちぎって兄ちゃんの口に押し込んだ。


「バカッ! やめろ!! それは――お前の魔力を吸い尽くすんだぞ!

 何年も経たなきゃ元に戻らない、貴重な命なんだ!」


「そんなこと聞いてない! いいから早く食え!」


兄ちゃんは咳をしながらも、少しずつ呼吸を取り戻していく。


「……はぁ、はぁ。ギール、すまん……情けない兄ちゃんで……」


ようやく息が安定したのを見て、俺は胸をなでおろした。


「にいちゃん、髪ならいくらでもあるから!」

「もうやめろ! 次やったら本気で怒るぞ……!」


そんな兄ちゃんが、弱々しくもパウロへと頭を下げる。


「……あんたが教皇様か。

 今回の戦争の責任は俺にある。

 話せる情報は全部話す。だから……ギールだけは見逃してくれ。」


魔族の兄が、人間に頭を下げた。

その光景が、胸の奥で静かに震えた。


だがパウロは、相変わらずの調子で笑う。


「安心してください。

 今回のいざこざで死者は“ゼロ”です。

 怪我人もいましたが、全員――私とステラが治しました。

 あなたの責任なんて、ほんの少しですよ。」


「おいおい……門の前の兵士たちは何人か死んだんじゃないのか?

 それとも人間っていつの間に頑丈になったんだ?」


パウロは、いつもの胡散臭い芝居口調で、芝居がかった手振りを交えて言う。


「――ここには、“優秀な教皇”がいましてね。

 その教皇が、日々少しずつ蓄えた十年分の魔力を解放し、

 門を攻めた魔族たちを丸ごとワープさせたという噂なんです。

 信じられますか?」


「……はぁぁ!??」


俺と兄ちゃんの声がぴったり重なった。


……やっぱり、こいつも普通の人間じゃねぇ。

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