第2話 魔王の息子、村人と注文する
ギールは、さっき渡したブラウン色の帽子を、歩きながら何度も撫でてはニコニコしていた。
……そんなに喜んでいるなら、釣りのおっちゃんも報われるだろうな。
料理屋まで、あともう少しというところで、ギールが俺に尋ねてきた。
「なあ、この帽子って名前あるのか?」
考えたこともなかった。
探偵がつけていそうな形で、短めのツバが前に付き、頭の後ろから前にかけてゆるやかに下がる形なのは、見ればわかるが、名前までは思い浮かばない。
「すまん。この帽子、よく見かけるけど……名前までは知らないな」
「そっかーー」
ギールは残念そうに肩を落とし、その髪が一瞬、薄い水色っぽく染まった。
帽子のおかげで角は隠せても、髪の色の変化までは隠せないらしい。
こうして話しているうちに、ついに店にたどり着いた。
ギールは店を見た瞬間、走り出し、俺より先に扉の前へ。
ここは街の定食屋。黒いウォールナットの木で作られた外観は、見ているだけで気分を落ち着かせる。
店主も気さくで話しやすい人だし、きっとギールも食事を楽しめるだろう。
ギールはしゃがみこんで、看板をじっと見つめていた。
「れ、れれ、れぬら……?」
「リニューラな。この店の名前だ」
俺が教えると、ギールは不満そうに顔を上げて俺をにらむ。
「人間の言語は、ちょっと効率が悪い」
看板を読めなかったのが、相当悔しいらしい。髪の毛がほんのり赤く染まっている。
「まぁ、惜しかったんじゃないか?」
「そうだろ!! 俺、人間の言語を学んでてすごいよな!」
ちょっと励ましただけで、もう元気いっぱい。
……こいつといると、本当に飽きなさそうだ。
扉の前でうろちょろしているギールが目立ってきたので、迷惑にならないうちに中へ入った。
まだ昼前だからか、客は一人もいない。カウンターの奥で皿を洗っている店主が顔を上げた。
「おう! ドレイクの坊主じゃねえか。そっちの白いのは友達か?」
「まぁ、そんなところです。ライトルさん、今日は二人なんで……大きめの席、奥の方を使ってもいいですか?」
俺が店の奥の、目立たない席を指差すと、ライトルさんは笑った。
「相変わらず礼儀正しい奴だな。お前には助けられた恩もあるんだ、もっとフランクでいいんだぜ」
そう言って、皿洗いをやめ、席まで案内してくれる。
俺は「ほんとに座っていいか?」と三回くらい確認してようやく腰を下ろしたが、ギールは先にどかっと座っていた。
「ドレイク、お前……異常に確認取りたがるな。人間の文化か?」
ギールは不思議そうに俺を見ながら、足をぶらぶらさせている。
「俺、不安なんだよ。街で知り合いに声かけたら、実は知らない人だった……とか、何回かあるだろ? ああいうの懲りて、確認する癖がついたんだ」
「ふーん。俺、ずっと魔王城にいたから、そういうのわかんな」
ギールはオレンジ色の髪を揺らして、真面目に考えている様子だった。
「おい。ライトルさんがいる前で“魔王城”とか言うな」
幸い、ライトルさんは奥で準備していて聞いてなかったらしい。
しばらくして、水を置きにきて、注文を取り始めた
「二人とも、注文はどうする?」
ライトルさんが声をかけてきたが、俺はまだ何を食べるか決めていなかった。
歩きながら何度か考えたはずなのに、ギールに振り回されすぎて頭から飛んでいた。
……まあいい、いつも通り好物のレーズンパンとコンポタージュのセットにするか。
その時、メニュー表を見ていたギールが急に大声を上げた。
「すばらしい!! なあ、ドレイク! ライトル! すごいぞ!」
「おい白いの。何にそんな驚いてんだ? メニュー表に驚くようなもんなんて――」
ライトルさんも首をかしげる。
「だって見ろよ! 食べ物の絵が描いてあるんだぜ!? しかもどれもうまくて、一発でどんな料理かわかる! めちゃくちゃ効率的じゃん!」
ライトルさんは一瞬きょとんとした後、少し照れくさそうに笑った。
「ありがとよ。あの絵は俺が全部描いたんだ。そう言ってもらえると嬉しいぜ」
その瞬間、ギールの髪が赤、オレンジ、緑と、いくつもの色に入り混じった。
「すげえ……! ライトルさんが描いたのか!? なあ、俺もうちょっと時間かけて選んでいい?」
「おい、迷惑かもしんないだろ」俺は眉をひそめたが、ライトルさんはにこにこと笑う。
「いいぜ。注文が決まったら呼んでくれ。にしても、長年やってきたけど……絵を褒めてくれた客はお前が初めてだな」
そう言い残して、ライトルさんはキッチンへ戻っていった。
俺は、さっきの出来事がまだ引っかかっていた。
「俺、文字読めねぇからさ。助かった。まあ、俺の勘を使えば料理名ぐらいわかるがな!」
ギールは腕を組んで、自信満々に語る。
……そうか。看板の文字が読めなかったんだ。だから、絵付きのメニュー表は本人にとって本当にありがたかったんだろう。
やがてギールが俺の肩を叩いてきた。
「なあドレイク! これとこれ食いたいんだけど、一人じゃ食いきれるかわかんねぇから、ドレイク頼んでくれよ!」
ギールが指した先には、グラタンの絵があった。
……そういえば、俺はこの店でいつも同じ料理しか食べてなかったな。たまには違うのもいいか。
ギールは大声でライトルさんを呼んだ。
「ライトルさーん! 決まった!」
客がまだいなくて助かった。これで他に客がいたら、正直かなり恥ずかしい。
「グラタンセットをください」
「はいよ。で、そっちは?」
ライトルさんの視線がギールに向く。
文字が読めないんだから、俺が代わりに言った方がよかったか?と一瞬思ったが――
「これください!!」
ギールは勢いよくメニューの絵を指差した。
ライトルさんは少し驚いたように目を丸くした。
「……それ頼むのか。なかなか勇者だな、お前」
そう言い残して、キッチンへ戻っていった。
……何を頼んだんだ?
一方ギールは頬をふくらませていた。
「俺、勇者じゃねーから。魔王だから」
少し不満そうに呟くその姿が、妙に子供っぽい。
だから話題を変えることにした。
「ありがとう、ギール。俺、今まで同じものばっかり頼んでたから。お前のおかげで、違う経験ができそうだ」
その瞬間、ギールの髪がふわっと薄いピンクに染まり、声も明るくなる。
「だろ!? 魔王は味方には優しいからな!」
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