攫われた僕は研究対象――接近惑星の美女と始める不思議な暮らし

すりたち

第1話「攫われた夜」

定時を少し過ぎ、ようやく工場のラインが止まった。

 金属の焼けた匂いと、機械の軋む音がまだ耳に残っている。


 寮に戻り、コンビニ弁当をレンジに放り込む。

 温まった白米の匂いは空腹を満たすだけで、心の空虚さを埋めることはなかった。


 高校を卒業して家を飛び出してから、僕はずっと一人だ。

 スマホの連絡先にあるのは、職場の人の名前ばかり。休みの日、誘ってくれる相手はいない。


 ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。

「……人生、辛いな」

 小さな声は、自分でも驚くほど乾いて聞こえた。


 


 その夜は妙に空が明るかった。

 最近ニュースで話題になっている“接近中の惑星”のせいだろう。

 潮が変わる、空の色が揺らぐ。そんな大げさな言葉がニュースに並んでいた。


 ふと、屋上へ出てみた。

 夜風が心地よく、街の灯りが一面に広がっている。


 見上げた空に、ひときわ白く脈打つ光があった。

 それが次の瞬間には線となり、僕の足元を輪のように取り囲む。


 


「……なに、これ」


 言葉が出る間もなく、世界が音を失う。

 街の色も、屋上の柵も、すべて白に溶けていった。


 身体がふっと浮かび上がり――僕は光に飲み込まれた。


 


 目を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。

 白く滑らかな壁。やわらかな光。

 ベッドのようなものに横たわり、身体は妙に軽い。


 柑橘のような香りと、かすかな金属の匂いが混じる空気。

 不安なのに、落ち着く気配が漂っていた。


 


 音もなくドアが開き、人影が入ってきた。


 金色の髪がさらさらと流れる。

 瞳は淡い青。肌は雪のように白い。

 ――まるで絵から抜け出したような美女が、そこに立っていた。


「目が覚めたのね。気分はどう?」


 


「ここは……?」

「宇宙船よ。地球の外側」


 さらりと告げられ、頭が追いつかない。

「僕は……攫われたのか?」


「ええ。攫ったの」

 彼女は静かに頷く。


「理由は単純。あなたを“研究対象”として迎え入れるため」


 


「研究……?」


「そう。私たちの惑星では、男は少なく、寿命は長い。

 発情期は年に一度あるかどうかで、社会は女が中心。

 でも、男はとても大切に扱われている。


 あなたのように違う環境で育った存在を観察することは、私たちにとって貴重なの」


 声は穏やかで、冷たさはない。

 だが内容があまりに現実離れしていて、理解が追いつかない。


 


「嫌なら、地球に戻すわ」

 彼女は透明な輪を取り出す。内部に光の線が流れている。


「これは誓約。あなたが望めば、私は触れられない。

 あなたが望めば、すぐに帰す。

 安全は必ず保証する」


 


 僕は息を呑んだまま、少し間を置いてから口を開いた。

「……名前は?」


「私? “セレス”と呼んで」

 彼女は軽く笑い、首をかしげる。

「あなたは?」


「海斗。……それが僕の名前」


「海斗。いい響きね」

 彼女はその音をゆっくり繰り返した。意味など分からなくても、口に乗せるだけで大切そうに。


 


 セレスは壁に触れ、光のパネルを浮かび上がらせた。

 そこに映るのは、彼女の惑星の街並み。


 高い建物を行き交うのは女性ばかり。

 その中で、少数の男性がゆったり歩き、周囲の女性たちは彼らを守るように距離をとっていた。


「ここで少し暮らしてみてほしい。

 宇宙船の中で、二週間……いえ、あなたの都合で構わない。

 それが研究の第一歩になる」


 


「……もし僕が断ったら?」


「そのときはすぐに返す」

 即答だった。


 彼女の目は真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。


 


 ふと気づく。

 地球では、誰も僕を必要としていなかった。

 孤独な毎日。工場と寮を往復するだけの生活。


 けれど今、この金髪の美女ははっきりと言った。

「必要だから攫った」と。


 それが研究対象という理由でも、胸の奥が小さく熱を持つ。


 


「……二週間。試してみる」

 そう答えると、セレスは満足そうに微笑んだ。


「ありがとう、海斗。きっと後悔はさせない」


 


 ――人生が辛いと呟いた夜。

 まさか宇宙船で、金髪の美女に「共に暮らそう」と言われるなんて。


 僕の知らない世界が、今ここから始まろうとしていた。

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