第5話:伊勢×安富×太田垣

「ところで聡明丸ちゃん」

「ん?」

「今って何年何月かわかる?」

 次郎は聡明丸と名乗る少女に、念のため本来ならば常識とでも言える、時候を訊ねることにした。だが、帰って来た答えは、少なくとも彼の常識の範疇を超え、そして悪い予感を的中させる程度には角度の高い情報であった。と、いうのも……。

「……あー、君関東から来たんだっけ……。今の都の暦は、明応七年閏十月だよっ。……どしたの、そんな顔して」

「うるう、じゅうがつ……?」

「うん。関東では閏月って使わないのかな?」

「……うるうづき……」

 ……次郎は、ようやく自身がタイムトリップをしたことを納得した。少なくとも、眼前の美少女や伊勢と名乗る美女に担がれているわけでなければ、そしてこの廃墟と化した京都府中心部が芝居のセットでなければ、自分は応仁の乱がおきてしばらくした京都にいるのだろう。

 背筋が寒くなる感覚を感じ、次郎はなぜ伊勢が自分を拾おうとしたのか、ようやく理解した。伊勢が自分を拾おうとしたこととは、つまり。

「姫ーっ、姫はどこにおわしまするかー!」

「げっ、安富の声だ。……じゃ、じゃあね次郎。伊勢も元気で!」

「あっ、細川殿っ!」

 ……次郎が絶望の彼方で落胆している間に、聡明丸はいなくなっていた。そして、次郎が次に意識がはっきりした時には、如何にも苦労しています、といったていの老人が伊勢の前で愚痴っていた。

「まったく、姫はいつもいつもおてんばで困りまする。伊勢殿の屋敷がなぜ気に入ったのかはわかりかねまするが、ああも武具に対して興味津々では京兆家としての姫のお立場が……」

「まあまあ、先代殿の忘れ形見はあのお二方しかいないのです、それに姉君の方はいずれは当主を務める身、であるなら武具に凝るのも決して悪い話ではないと思いますが……」

「それでも限度がございます! 伊勢殿は出陣式も済ませた姫武将だからよろしいかもしれませんが、聡明丸様は未だ将来定まらぬ身、出陣式をしようにも烏帽子すら嫌がる有様でございます、さすれば婚姻式を挙げようかという話もありますが、ああでは……」

 どうやら、先程まで次郎と話していた姫は京兆という家の跡継ぎらしかった。次郎と一緒にいた伊勢と同じように、姫武将系の姫らしい。しかし、どうやらかなりの問題児らしく、故に眼前の老人も困っていたのだろうが、聡明丸と称される姫君と眼前の老人のある種のコントじみた情景は最早伊勢にとって日常茶飯事だったのか、窘めるのも面倒くさい、といったていで型どおりの話を振ってみた。だが。

「しかし、婿が定まっていないのでしょう?」

 婿が定まっていない以上、婚姻もなにも、といったところではあったのだが、老人はそれに対して伊勢が若干驚くほどの返答をし始めた。

「ああ、そのことでございますが、再度山名家との交渉が整いましてな、以前御先代様の養子であった鄧林宗棟とうりんそうとう様が還俗して当たることに整いましてございます。そのための使者が来訪なさったというのに……」

 鄧林宗棟とは、山名豊久の法名、つまりは出家して仏閣に入った後の名前のことである。山名宗全から細川勝元へ和平の証として養子に出されたものの、後になって勝元自身に嫡子、すなわち正妻との子供ができたため跡継ぎから外された後に出家させられたという事情が存在する。なお、最初に山名豊久が本文に登場する頃にはすでに還俗しているので、法名は別に覚えなくても構わない。

 その出家騒動があったことも一因として山名家との仲が険悪になり始めたのは、折角養子縁組をしたのにそれを文字通りお釈迦にしたのだから無理からぬことである。ゆえにその関係を修復する証として出家した後の彼を還俗、つまりは仏閣という世俗から離れた場所から還ってくるという意味なのだが、その儀式を行うことで俗世、すなわち政治的存在として戻ってくるわけである。

 今回の場合は現役の武士に戻すためにまげが結えるほどの髪の毛が蓄えられるまで待った後還俗の儀式をすることにより、改めて細川家の跡継ぎとする、ということになった。

 そのためには聡明丸あるいはその妹である八百との婚姻を行うということなのだが、その婚姻はそれなりに象徴とすべきものであり、安富は当然それをけたたましく言いふらし東西分裂による幕府崩壊を防ぐ気であった。

 そして、山名家と聞いて伊勢は思い出したかのように、次郎を見て取り、安富を家に招き入れた。

「……ああ、山名家と言えば、実は関東で拾い者を致しましてな。よろしければ、休憩がてらに家へどうぞ」

「は? ……はあ、確かに老骨にこの任務は堪えまする、そういうことでございますれば、お邪魔致します」

「さあ、どうぞどうぞ。……これ次郎、お主も来るんじゃ」

 そして、伊勢と安富の会話中、ずっと落胆していた次郎を若干、どやしつけて同じく屋敷に入るように呼びつける伊勢。次郎自身、苗字で拾われたことは理解していたが、この後の状況を到底理解していなかったのか、突然のどやしつけに少々怯んだようだ。

「え、はぇっ!?」

 ……そして、ここが次郎の「戦国双六」における振出しとなる。

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