蘭式

ほげ〜船

序幕

静かな格納庫の中、男はやけに神妙な表情で機体の整備をしていた。

ヒートシンクの錆取り、関節部位への油差しと、男の手つきはてきぱきしていて目を見張るものがある。しかし、フェイスパーツの清掃ときたところで、男は手をすっかり止めてしまったのだ。

機械白兵式戦闘といえば、用いられるのは鉄塊に例えられるようなデザインの機体ばかりだ。例えば普及型の機械白兵「算式」などは原付を直立させて足をつけただけといった格好をしている。

男は整備士として、一日に八体の算式を整備できるほどの凄腕を持つ。これは男の長年の修行によるものだが、その修業の中でこういった機体を触ったことは一度もなかった。

異形というのではない。むしろ、基本のパーツ構成は算式のそれに近く、わかりやすい構造だ。

たが一つ───決定的に、男にとってそのフェイスパーツだけは度し難い要素だった。

はっとため息をつき、男は立ち上がる。機体を俯瞰して見れば、何か変わるかも知れない、と。

小麦色の表層───クリア・ブルーのカメラ──光沢ブラックのヒートシンク──赤い排気口───。

各々の特徴を羅列すれば、なんのことはない機械白兵である。しかし、それらが全て合わさっているのだから、男は顔をしかめている。

端的に表現すると、そのフェイスパーツは少女の顔を表現して作られていた。肌、目、髪、口が、一応は合理的に配置されたパーツとして作られている。機能性を損なわないまま、何故かその機体は少女の顔を持っていたのだ。

男にとって、これほど困る案件はない。明らかに特注の機体であるから、傷をつけることはできないが、男は女の顔などを触った経験はなかった。何分、装甲が人肌と同じ感触のする素材でできているものだから、丁重に扱わないとすぐ壊れてしまいそうだった。スパナやドライバーはもってのほか、高圧洗浄機など使えば顔がただれて血がにじんでしまいそうな造形の機体である。

結局、男はひとりでに沈黙をしてから意を決し、雑巾でフェイスパーツを清掃することにした。

まったく、どこの馬鹿者がこんな機体を作ったのか、と男は嘆いた。整備は面倒だし、何より機械白兵としての美学がなっていない。無骨で格好良さや可愛さの欠片もない機体でなければ、それは機械白兵という名前に相応しくない。そういう奇妙なこだわりを持つということは、ベテランの整備士にはよくあることらしい。

結局、普通の算式を整備する倍は時間をかけ、作業は完了した。

これからこの3mの巨人は、コンテナに入れられすぐ戦場に復帰する。

男は感慨を感じることもなく、ハンガー式輸送システムに機体を引っ掛けて放置し、すぐ次の機体整備に取り掛かろうとした。

しかし一つ気になることがあったので、男は一瞬だけ先ほどの機体のもとへ行き、胸部パーツの裏面を開いた。

「蘭式」。ふむ、中々いいセンスの名前だ、と男は思い、その機体名を心の隅に覚える。

パーツを閉じ、男は輸送班を急かすように口笛を吹いた。

さて、随分と前置きが長くなった。ここから本編の始まりである。

機械式白兵最後の戦争、それを見届けた唯一の整備兵はのちにこう語った。

「蘭式は間違いなく、最高の機体だった」

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