第56話 駐輪場

 どこに行こうかとあれこれ考えていたが、結局小熊は春目の家からビーノで十分少々の場所にある、深夜営業のディスカウントスーパーに行った。

 夕暮れのスーパーは騒がしく、店の派手な外見も手伝ってあまりビーノとの別れを味わう風情は感じられなかったが、こんな店でも真夜中の孤独や寂寥感と妙に相性がよく、小熊も普段からよく来ている店だった。

 やや混みあった駐輪スペースにビーノを駐めて施錠し、店に入った小熊は、生活用品から衣料まで揃ったスーパーの中でも、この時間は特に混んでいる食料品コーナーに行き、三人分の冷凍食品と適当なデザート、お茶のペットボトルと自分用のコーヒーを買って店を出る。

 いずれもどこに行っても買える品で、拓が多摩の里山にある文化住宅で春目と過ごした夏休みの家出を懐かしむ味にはならないだろう。

 駐輪場に戻った小熊は、黄色いポリ袋に詰まった買い物をビーノのメットインスペースに収め、先ほど買ったコーヒーを開けて一息つく。

 バイク用と自転車用で分けられた駐輪スペースでも、荷物箱やマフラーなどの個性を発揮するカスタマイズをしていないオレンジのビーノは溶け込んでいて、少し見回しただけで二台のビーノがあった。

 横を見ると、ビーノ以上に没個性的な車種ながら、見た目がかなり印象的なスーパーカブが駐められていた。

 ベース車両は旧い鉄板車体時代のプレスカブながら、エンジンは新車のカブが買える値段のついたヨシムラのコンプリートエンジンに載せ替えられていて、マフラーもヨシムラのチタン製。吸気にもカスタマイズが施されているらしく、レッグシールドに切り開いた穴から大径のキャブとパワーフィルターが突き出していた。

 前後のブレーキやサスペンションにも高価なパーツを装着していて、シートはロングシートに交換されている。

 高校の同級生だった礼子がこれに似た仕様の郵政カブに乗っていて、閉鎖された私道なら一三〇kmの速度まであっと言う間に達すると聞いたことがある。郵政と新聞配達。同じく働くバイクであるカブをスポーツチューニングしている目の前のカブと礼子のカブの方向性が違うところといえば、プレスカブ唯一の純正色であるセイシェルナイトブルーの車体全体にバイナルラッピングが施されていて、淡い青色の髪にウサギの耳がつき、ニンジンを持ったVtuberキャラの痛バイクになっている。

 エンジン排気量相応の登録変更をしているらしく、ピンク色のナンバープレートが青い車体のいい差し色になっている。小熊は乗りたいと思わないが乗り手のアイデンティティを強烈に感じるカブだった。

 小熊はコーヒーを飲みながら、このカブはどんな人間が乗り、どんな使われ方をしているんだろうかと少し興味が湧いた。

 小熊の大学にもカーストの上下問わず多く居て、自分の趣味を楽しんでいるオタクと呼ばれる人なのか、このカブは色々なイベントに行く足になっているのか、それとも家の中に置いて磨いたり眺めたりしていて、走らせる事は稀なのかもしれない。

 どちらにせよ、駐輪場で偶然見かけるバイクのうちの一台で、ちょっと目についただけ。そんなに好奇心を抱く類の物じゃないと思いながら、このコーヒーを飲み終わったら夕飯を待つ春目と拓の家に帰ろうと思っていると、店内から出て来た男女二人組がカブに近づいてきた。

 まだ十代らしき小柄な男は店の中でも被りっぱなしだったらしきブルーのハーフヘルメットから褐色の髪がはみだしている。青の補色に近いサンドベージュのカーゴパンツにVtuberグッズらしきジャージを着て、隣を歩く女の肩に手を置いている。

 女のほうは青の褪せたデニムパンツにくたびれたスウェット。小柄で中性的ながら乗っているバイクといい服装といい享楽的な、人生ナメてるような男に比べ、女のほうはひどく地味で、もっさりとした長い髪で半分隠れた顔も陰気な印象。

 男はカブの前に付くとワイヤーロックを外してキーを捻り、律儀に燃料コックを開けている。

 男が女の手に自分の手を重ね、ダブルシートの後部に乗るように促すと、俯いていた女が急に声を上げた。

「もうやだ!」

 男は女の突然の感情表現に特に反応を示さず、プレスカブのメーターを愛おしげに撫で、アルミ鍛造のキックレバーを起こした。

 一緒に居る女より背の低い小柄な男は圧縮の高いコンプリートエンジンを、瘦せ型で身長相応に軽そうな自分の体重を使って上手く始動させ、スロットルを回して太いマフラーが発する音に聞き入っている。

 エンジン始動と共にカブのウインドシールド裏に固定された十インチほどのタブレットが起動し、車体に描かれた物と同じVtuberキャラがぴょんぴょん跳ねながら歌い出した。

 男はタブレット画像を目を細めて眺め、上着のポケットから取り出したスマホをホルダーに装着しながら言った。

「やだって何が?」

 男が自分の言葉に耳を貸してくれないと思っていた、周囲からそういう扱いをされるのに慣れてしまってるらしき女は、男に抱き着きながら言った。

「なんで私たち、一緒に居ちゃいけないの?」

 男は少し首を傾げ、キャブレターに手を突っ込んでアイドリング回転を調整しながら言う。

「君のお父さんが、大学浪人の僕となんか一緒に居ちゃいけないって言ってるからかな」

 女はカブに向いた男の興味を無理やりにでも自分に向かせるように、泣き声を上げながら言った。

「やだ! 絶対やだ! もうあんな家帰りたくない!」

 地味で陰気な外見の割りに立派な胸部の膨らみを押し付けれられた男は、タブレットに手を伸ばして画面を擦った。

 表示されるVtuberが青い髪のウサ耳少女から、赤い髪で海賊姿の豊満な美熟女に変わる。

「僕はこのカブに乗っていて、国や警官にやったらダメだと言われている事は山ほどある。でも僕は自分の走りたいように走る。バレたらその時は何とかするし、カブなら何とかなる」

 女はしばらく俯いて考えていたが、男から離れ、プレスカブの前カゴから学童用らしきヘルメットを取り出して頭に被る。

「一緒に逃げよう。私はあなたと一緒に居られるならどこでもいいし、どうなってもいい、一緒に家出しよう」

 男はタブレットの横でナビゲーション画像を表示させているスマホを一瞥した後、振動するカブのハンドルを指先で撫でながら言った。

「いいよ」

 まるで帰る前にちょっとカフェでお茶でも飲もうと誘われたかのように女の申し出を了承した男は、ダブルシートを開けてガソリンゲージを見た。

 それから顔を上げて、隣でビーノに跨る小熊に声をかけた。

「そこのお姉さん! この辺でネットカフェを知りませんか?」

 小熊はちびちびと飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。とりあえずネットカフェなら、つい最近拓と過ごした全国チェーンの店がすぐ近く、駅前にももう一店舗あると思って小熊は答えた。

「知らないなぁ」

 男は小熊に礼を述べ、ヘルメット越しに頭を掻きながらスマホを操作した。

「参ったな。しょうがない、どこかのファミレスで夜明かしするかな」

 困惑しつつも逆にその状況を楽しんでいるように見える男と、行くところの無い不安とそれ以上に男が心変わりする事に対する恐怖で絶望的な表情を浮かべている女を見た小熊は、男に話しかけた。

「朝まで過ごすなら、そこがある」

 小熊の指差した先には看板があった。LEDで派手な電飾が施された、ホテルの看板。 

 それは郊外の高速インター近辺やロードサイドにたくさんあるホテルの一つ。ブティックホテルやレジャーホテル、ラブホテルとも言われている、主に用途の限られたホテル。

 男はラブホの看板を見て若干腰が引けている様子だったが、女は意外と強そうな握力で男の両腕をがっしりと掴みながら言う。

「そうだそうしよう! そこがいい! 教えてくれてどうもありがとうございます!」

 女から重ね重ねの礼を言われ、男からもあまり有難くなさそうに頭を下げられた小熊は軽く手を振り、飲み切ったコーヒーのカップを自販機横にゴミ箱に捨てた。

 思いがけず駐輪場で男女のアクシデントに出くわしてしまった小熊だが、つい最近家出という手段を自身のよりよい生活のための最善の方法として冷静に論理的に実行した拓という人間に出会った事で、ずんぶん刹那的で無計画な家出をしようとしている男女につい一言言いたくなった。

「頭を冷やせ」と。

 少女漫画のような悲劇のヒロインになりきっている女と、乗っているバイクのセンスはいいが押しに弱く流されやすい男。そんな男女に画面の中から悪事の教唆をするようにやっちゃえやっちゃえと歌うVtuber。この男女も騒がしいスーパーの駐輪場じゃなく、邪魔の入らない場所でしばらく一緒に居れば、少しは頭が冷え、拓のように落ち着いて物を考えられるようになるだろう。

 男はカブに跨り、スロットルを回して長いアイドリングで若干プラグのかぶったエンジンのご機嫌を取っている。女は男の腕を掴み、男に向かって囁いた。

「行く前に、薬局に寄って」

 男は深夜スーパーを指差して言った

「お菓子や飲み物ならここで買っていけばいい」

 女は男の腕をさらに強く握りながら言う。

「おねがい」

 肩を竦めた男がカブで走り出そうとした

 これからこの二人に起きる事をなんとなく察した小熊は、もう一杯水をぶっけたといたほうがいいかもしれないと思い、プレスカブの後輪を指差しながら言った。

「そのカブ、パンクしてるよ」

 男はカブを降りた。やや潰れかけた後輪を見て、困惑しているというより妙に嬉しそうな表情をしている。

「ヤキモチ焼くなって。今直してやるから」

 男は慣れた様子でカブのサイドバッグに手を突っ込み、パンク修理材を取り出した。

 女は自分に向ける言葉よりずっと優しい声でカブに話しかけている男を複雑そうに見つめ、なぜか小熊の事を恨めしそうな目で見た。

 現在の車やバイクで主流のチューブレスタイヤとはやや相性が悪いが、旧式カブのようなチューブタイヤの応急補修には必要充分な能力を発揮する瞬間パンク修理材のおかげでパンクはすぐに直り、再び女を後ろに乗せた男は快音を響かせて走り去った。

 ヘンな見世物に遭遇することとなった小熊も、せっかく買った冷凍食品が溶ける前に春目の家に帰るべくビーノを走らせた。

 これからあの奇妙な二人に何が起きるのかは知らないが、パンクの応急補修をしたタイヤは必ずしも信頼できるものではない。たぶんあの男は後輪を気遣いながら走る事になるだろう。もしかしたら女を薬局に連れて行く前に、交換用のチューブを買うためにバイク用品店に行くのかもしれない。どちらにせよ買うのはゴム製品。

 きっとあの軽自動車一台分ほどの金のかかったカブに乗る男は、パンクを発生させたタイヤやチューブ、それに並びパンク発生原因になりがちなリアサスペンションを後先考えぬ散財で買い替えてしまうのしれない。それとも物言わぬカブやVtuberより自分を愛してくれる目の前の女に夢中になるのか。

 どちらにせよ、早まったことをしようとした時は、きっとカブが頭を冷やしてくれる

 

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