第20話 プレハブ
小熊は拓という少女にまだ親しみの感情は湧かなかったが、ある程度は理解した気持ちになった。
同じバイク乗りなら、バイク乗りにとって名刺に等しい自分の愛車を見れば、その人間の人格や嗜好、自分の大切な物をどう扱うかまでわかる。
拓のビーノの前にしゃがみこんで細かく見てみたが、新車で買ったらしきビーノには杜撰で注意力散漫な人間が付けるような擦り傷は見られないが、このビーノでバイクの第一歩から学んだらしき走行による傷はあちこちに残っている。屋根のあるガレージの中にしまいこまれ、ワックスをかける時だけカバーを外すような扱われ方はしていないが、日常的に風雨に晒されているらしき車体はこまめに洗車しているらしく、バイクに乗って宿無しの放浪生活を送っていることを感じさせる小汚さは感じられない。
小熊は拓の許しを得てビーノのハンドルを握った。少し左右に振ったが、車齢の浅いバイクらしくステムの動きは滑らかで、事故歴を窺わせるひっかかりは無い。
ブレーキを引いてみたが消耗品のブレーキシューやワイヤーにはまだ寿命が充分に残ってるらしく、引きしろも良好。
状態のいい車体を大事に乗っているらしきビーノの、順調に減っているチューブレスタイヤを見た小熊は、無性にこのバイクが走っている様を見たくなった。
バイクを見て急に目の色が変わる小熊を気味悪く思ったのか、それとも自分のビーノが誇らしいのか、何も言わず小熊を見ている拓の横から春目が顔を出した。
「小熊さん、一緒に走りませんか?」
春目は人の考えてる事を読み取るのが上手い。それとも、小熊の気持ちがよほど顔に出ていたのか。
乗り手の体に等しいバイクを隅々まで見たならば、バイクで走る姿は、服を剥いた裸を見るような物。
小熊は春目と拓の本当の姿が見たくなり、自分のありのままの姿を見せたくなった。
とりあえず走りに行こうということになり、小熊と春目、ビーノを押しながら歩く拓は三人が居るダイナー学食からさほど離れていない、セッケンのプレハブ部室に行くことになった。
小熊は自分と春目、拓を引き合わせるべく差配した竹千代の顔を、ダイナー学食の窓越しに見たが、ウェンディに甲斐甲斐しく世話されている竹千代は一瞬小熊を見ただけで、ウェンディが注いだお茶を美味そうに飲んでいる。
拓という少女が信頼に足る人間なのか、春目の友達になっても問題ないのか、その検分は任せるということらしい。
竹千代はそういう女だ。気になる事は必ず検証するが、自ら調べるのではなく調べた人間から報告を受ける側の人間。小熊は半ば諦めるような気持ちで理解していた。
それに拓は本当に春目にとって有害な人間だったとしても、しょせんそれは他人の意見。春目はそれが自身を殺す相手だったとしても、信じると決めた人間に差し伸べた手を決して離さないし、それでも手からすりぬけていった友達の記憶が彼女の傷になっている。
春目にために一度廃車になったカブを整備し、譲渡した小熊は、友達でもなんでもない春目自身の傷を癒してやろうとは思わないが、春目のにとってのカブがそういう存在になってほしいとは思っていた。
かつての富士山噴火で関東に分厚く蓄積した赤土が露出した、多摩の自然林をビオトープ的に再現した人工森林の未舗装路を少し歩くと、森の賢人が住まうにしては邪悪なオーラが強すぎるプレハブ二階建てが見えてきた。
林業や採石業のため山奥で働く建築関係者の仮設事務所のようなスチール製プレハブに歩み寄った小熊は、竹千代から渡された鍵をアルミ製引き戸の鍵穴に挿し、竹千代から戸を開ける時は必ず押すようにと言われている電子装置のボタンを押してロックを解除する。
見た目は平凡なプレハブ二階建てにしか見えない建物には、竹千代の手によって色々な法に触れる類の補強が施されているらしいが、その詳細について竹千代は小熊や春目には決して教えようとしない。
小銃弾をストップすることが出来るという分厚いポリカーボネイトの窓が嵌まった重厚な引き戸を開けると。中身は竹千代がサークル活動で各所から集めた不用品や買い叩き品の倉庫になっている。
小熊はこのサークルの部員ではないが、倉庫にある物を好きに持ち出して自分の物にしていいという権限を竹千代から与えられている。
小熊が覚えている限り、倉庫の中身を減らす事より増やす作業に協力したほうが多い。
小熊が引き戸を開け放つと、春目が勝手知ったる倉庫の中に入っていき、倉庫に収蔵している品物の中でおそらく元も評価額が低いであろう中古再生品のカブに歩み寄った。
春目は引き離されていた恋人か我が子を見るような目でカブを見つめるのを、倉庫の外に居る拓は興味深げに見ていた。
おそらく彼女にとって、倉庫の中にある革装の初版本が詰まったマホガニーの棚やビンテージの洋酒が飾られた
カブに近づいた春目は、自分のカブを眺めながら車体の周りを一周し、車体にかけられたロックを慎重に外した。
彼女はカブに乗る時にいつもそうする。竹千代に購入を手配してもらったスマホをブリキの箱にしまうように、カブを誰でも触れるん駐輪場ではなく、この鉄壁のセキュリティを有するセッケンの倉庫か、彼女が住んでいる木造アパートの部屋の中に出来るだけ入れている。
彼女がポステイングの仕事でカブに乗っていた頃、主に新聞配達店や銀行で使っている仕事用のカブを根こそぎ持っていくという組織的な窃盗団の被害については身近な物とし経験していたのかもしれない。だから春目は、バイクを窃盗する人間の多くが事前調査で車体に付けるという同業者だけにわかる目印の有無を慎重に確認し、置き場所にも気を遣う。
彼女にとって大切なものを、もう二度と奪われないように。
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