第18話 背取り
小熊は正直、背取りという言葉にあまりいい印象を抱いていなかった。
大型の古書店には仕事や買い物、稀に時間潰しで行く事があるが、時々背取りをしているであろう人間は見かけた。
店内にある本に片っ端からバーコ―ドを当てて、相場価格を見てはカゴに放り込む。
本当に本や漫画が読みたくて限られた小遣いで紙書籍と電子書籍の価格を見比べ、少しでも安い本を買いに来る人間から機会を奪う事になる、創意も個人能力も感じられない人間が他人の作った販路で金儲けする寄生行為。
大手チェーン系古書店の幾つかではそういった行為が禁じられているが、証明が難しい上に相互の情報交換ですぐに禁止の無い別の店に行ったり、それを咎めない店員の勤務時間に合わせて店に行ったりするらしい。
玩具や衣服、小熊自身と関わりの深いバイクやバイク用品の世界でも忌避されつつ存在する転売連中と同列の存在。
小熊が何より受け入れがたいと思ったのは、古本屋で見かけた背取り屋が手に取り、スマホで調べ高値がついてないと表示されたらしき本の扱い方だった。失望の表情と共にゴミのように乱雑に棚に戻す。本という商業的なパッケージの単価だけを見て、それに書かれている内容に全く価値を認めていないかのような行動は、大卒という社会的なチケットを効率的に取得するためにさほど思い入れなく選択した学科であったとしても、人文学を専攻する人間としては受け入れがたい。
隣に座る竹千代はといえば、儲け話に目ざとい彼女らしく拓が持っているタブレットに興味を持った様子で、少し大きな上着のポケットには入り、片手で何とか操作できそうなサイズの六インチタブレットを指しながら言う。
「そのデバイスを使って、背取りという行為を行うのかな?」
拓はテーブルに置いたタブレットをいじくりながら答えた。
「古本屋で買った本を売る時に使います、あと、はるちゃんとお喋りしたりLINEしたり、一緒に動画見たり」
拓の横で春目がブリキの箱から誇らしげにスマホを取り出した。小熊の記憶では、彼女はスマホを持つことに対し積極的ではなかった気がする。ポスティングの仕事をしている時の彼女に取ってスマホは昼夜を問わず、あるいは仕事中に職場から急用を押し付けられる道具で、友人の喪失を知らされた物。一度捨てて大学入学後に再び持たされたスマホも、竹千代との最低限の連絡や、基本的に連絡ツールの類を持たない竹千代の代行で電話をかける時に使うのみで、小熊との通話は一度もしたことが無かった。
「ひらちゃんはいつも、私が寂しくなると電話してくるんです、なんでって聞いたら、私も寂しいからって」
この拓といい少女が、春目の心を解きほぐしつつある理由が、小熊には少しわかった。
改めて見てみると、小熊にはタブレットが彼女に生活の糧を与える頼もしきツールのように見えてきた。おそらく通話用simも入ってるらしきタブレットで春目との繋がりを得て、その上背取りした本まで売ってくれる。
小熊は上着の内ポケットに入れたスマホに服の上から触れながら言った。
「私もやってみようかな、背取り、本の価値なんてわからないがスマホを当てればすぐわかる」
拓は顔の前で手を振りながら言った。
「やめといたほうがいいですよ、到底手間に見合わないし、バーコード見ないと流通価格がわからない人間には面倒なだけです」
隣で竹千代が眉を上げるのが見えた、竹千代は彼女には無縁なデジタルデバイスを眺めながら言った。
「君はスマホで調べないのかい? 価値もわからぬものを仕入れるなんて大丈夫なのかな」
食べかけていた胚芽パンのツナサンドを頬張っていた拓は、ツナサンドを飲み下しグラスの水を一口飲んでから言った。
「そんな物、見りゃわかるじゃないですか。私は実際に見て、これは欲しがる人が居ると思った物しか買いません」
春目はまた友達を自慢するような顔をした。
「ひらちゃんは本にすごく詳しいんですよ、並んでる本を見ても、すぐにこれは何とかっていう作家の少ししか刷られれなかった貴重な本だってわかるんです」
拓は特に承認欲求に満たされた顔はしていなかった。た普通の人はそれがわからない事を不思議がっているような、少しもどかしいと思っているような表情をしている。
小熊のバイク便仲間にもそういう人間が居た気がした。バイク便で生計を立てつつ本業は図書館司書としてしている彼女は、よく古本屋で奥付をめくったり添付の栞を見て、これは初版だから高価く売れると言っていた。
紙の本というものは版数だけでなくたまにキャンペーン等で特装版が出たりする装丁の仕様や翻訳者の違いでも価値が変わるらしい。
話がいささか自分の守備範囲外になってきたので、我田引水に自分でもわかる話でも始めようと思った小熊は、最初に拓を覗き見た時から推測していた事について聞いてみた。
「ところであなたは、バイクに乗っているのかな」
拓はあまり聞かれたくない、わからない人間にいちいち説明するのが煩わしいらしい背取りの話をしていた時より、少し明るい顔になった。
「ええ、原付ですけど、店の裏に駐めています」
やっと小熊でも理解できる話題になった。
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