第11話 グリーンウォール

 小熊と竹千代が案内されたのは店の奥、オープンキッチン前の二人席だった。

 左右に合成の葉で作られたフェイクグリーンのウォールが立ち、ナチュラリスト向けカフェのような雰囲気だったが、壁で囲まれた薄暗い席は、どこかカトリックの告解室を思わせる。欧州のサスペンス小説なら、主人公が通常の罪を悔いる口上とは異なる合言葉を述べると、仕切りが開いて神父から違法な銃器を渡される。

 こんな狭っ苦しくアメリカンスタイルな店の雰囲気にも合わず、ハンバーガーとコーラより自家製の有機野菜カレーとハーブティーでも出てきそうな雰囲気の席に、需要なんかあるのかと小熊は思ったが、ここは学食。大学生にとって重要な、大半の学生にとって学業より重要な用途がある事に小熊は気づいた。恋人同士の内緒話。

 小熊は向かいに座る竹千代を見て、即座に席を蹴って店を出ようと思ったが、とりあえず春目とその友達に対する好奇心と、ウェンディのご機嫌を取るという目的を優先させる事にした。


 他の席からほどよく離れた二人席は、吸音効果があるのか無いのかわからないプラスティック製の葉っぱで出来た壁に阻まれ、少なくとも視覚的には他者から隠されていて、すぐ隣にオープンキッチンがあるおかげで、声を張り上げて恋人との時間の雰囲気を壊す事なくオーダーが出来る。席で互いへの愛を囁き合い、あるいは別れ話をしていても、聞いているのは実直で口が固そうに見えるアフロアメリカンの店長と、まだ日本語がややぎこちない赤毛のウェイトレスのみ。

 とりあえず席の利点を生かすべく、小熊は自分の冷たいミロと、向かいの竹千代がおそらく飲むであろうハブ茶をウェンディに注文する。

 この席が持つもう一つの特性を利用する気になった小熊は、席の横にあるグリーンウォールに顔を近づけた。 

 天然でも合成でも、葉の茂みという物は近くから見ると向こう側をよく見ることが出来て、距離があると緑の塊りにしか見えない。

 合成の葉の間から、春目とその同席者が見えた。


 春目は店の最奥にある壁際の四人席に座っていた。

 彼女が竹千代に連れられてこの店に来る時に、いつも竹千代が選ぶ席で、竹千代は静謐な雰囲気が好きだと言っていたが、実際のところ他人の恨みを買う事の多い竹千代が、不意の襲撃を受けた時に対処しやすい席だからだろう。 

 ガンマンやマフィアのボスがよく好む最奥の席に座っていれば、いち早く不審な客に気づく事出来て、同席者を盾にする等の方法で対処しやすくなる。

 無論、竹千代自身が大学当局や自治体、あるいはもっと大きい物に噛みつく襲撃者になった時は、この位置にある席は立てこもりに最適。

 春目と同席者ををあの席に案内したのは、おそらくまだ外食という物に慣れない春目を気遣ったウェンディだろう。

 いつも座る席という物は安心する。たまにそれに執着しすぎて他の客に迷惑な席取りをしたり、空いてる店で不自然に他の客の隣に座るような真似をする、自他境界の認識が怪しい人間を見かけたりするが、ウェンディはきっと春目がそうなる事がないように、最奥の四人席に案内した。

 もしかしてウェンデイが、同じく店の奥にあるこのフェイクグリーンの二人席を意識して、覗き見や盗み聞きがしやすい席に竹千代を案内するため、あるいは自分自身が座るめに春目をあの最奥の四人席に座らせたのかと小熊は少し思ったが、それは無いと思い、自分の馬鹿げた考えを取り消した。アラバマ州の令嬢だというウェンディは、目の前に座る愛知の名門旧家出身の自称する女ほど邪悪ではないし、きっと自分の事が本当は大好きに違いないと小熊は思っていた。

 

 さほど距離が離れていないせいか、BGMの音量を抑えた店内ではグリーンウォールに顔を近づけなくとも、意識していれば春目の声は問題無く聞き取れた。

 春目は同席しているもう一人の人間と向かい合って喋っていた。それなりに親しいらしく、敬語でない口調で話す春目が新鮮だった。

 話している相手は、春目と同じくらいの年頃の、中性的な女子だった。

 ショートヘアの黒髪に白いTシャツ、体格に対して大きすぎるリーバイスらしき男物のデニムパンツのウエストをベルトで締め、裾を折り返してはいている。

 どこか小熊が音楽誌で見た九〇年代のガールポップシンガーのような、少年にも少女にも見える春目の友達が女子だとわかったのは、無地のTシャツに微かに浮いている下着の線。もう少し厚手のシャツを着て春目と歩いていたら、傍目には互いの好みが似通ったお似合いのカップルにでも見えるのかもしれない。

 もう一つ。小熊は向かいの席で悠然と、見るでもなくいった感じでグリーンウォールに視線を投げている竹千代が気づいていないであろう事に気づいた。 

 あの女はバイクに乗っている。

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