第25話 幻影に舞う


「どこまで一緒にいたの?」

「わからない……私達、一緒に学園をお散歩していて……理科室とか、美術室とか覗いてた……そしたらいつの間にか隣にいた碧ちゃんが……」

「わかった」夏姫は飛び出した。目的地はなかったが、学園の中でいなくなったのなら、学園のどこかにいるはずだ。体調でも悪くして動けなくなっていたら、大変だ。

『碧さん! どこにいるの?』心の中で呼ぶ。


 学園の廊下は暗かった。窓から外を見ると、空には分厚い雲がかかっていて、光を遮っていた。


「今日は天気が悪いわね」


 真絢が起床時寮の部屋で確かに嘆いていた。

 冬の曇り、廊下は氷洞のように寒く、静かだった。一人南極にでも飛ばされたような気分だ。


 だが誇り高い上層市民は、こんな寒さにへこたれない。


 夏姫は学園の廊下を走った。夜野碧の姿を求めて。もし李乃や碧に何かが起こっているのなら、人気のない場所で一人きりになるのは夏姫にとっても危険だろうに。

 中等科との境にある保健室……誰もいない。図書室……誰もいない。文書保管室、調理室……やはり碧はいない。


「碧さん」夏姫の唇がそっと震えだした頃、廊下の闇の先にちらりと小さな影を見た。

「碧さん! いるの?」


 夏姫は叫んで突進したが、幻だったか誰もいなかった。

 うふふ、どこかで碧の楽しげな笑い声を聞いた。視線を巡らせると、先の階段に彼女らしき背中がある。 


「碧さん!」

 夏姫は追った。体育など何年もしていない為、夏姫の脚は萎えきっていて、腿がふにゃふにゃしたが構っていられない。


 階段に到着し、迷う。

 上か下か。

 うふふふ、また誰かが笑う。上だ。


 夏姫は二段飛ばしながら、跳ねるように上った。木村先生に見られたら大目玉だろう。今いなくてよかった。


 上階である二階に上がった夏姫を待っていたのは、またしても静寂と闇。


「こっちよ」今度ははっきりと碧の呼ぶ声を、捉えた。

「碧さん!」


 夏姫は前傾になる程慌てて走った。二階の廊下の彼方に碧の背があった。

 はあ、と安心しながらそれに近づき、ついに追いついた。幻じみていたが、ちゃんと肩を掴むと実態があった。


「碧さん……藍さんが探していたわよ」荒い息の間で伝えると、不思議そうな顔が振り返る。

「え? 私、藍だけど……碧ちゃん見つかった?」

「え!」


 夏姫の呼吸は止まりかけた。つまり死にかけた。碧だと思って追跡していたのは、藍の方だったのだ。


 ただ分からない。腰まで届く乱れ一つ無い黒い長髪と、陶器のように白い肌、大きな目に形の良い唇。


 何年も一緒だが、やはり夏姫には藍と碧の区別は付かない。夜野姉妹は幼稚舎から聖クルス学園にいるが、どんなに親しい生徒でも彼女達がどちらか見抜ける者はいない。

 がっくり、と夏姫は肩を落とす。


「そう……ごめんなさい、碧さんはまだ……」

「あ!」夏姫の言葉は藍に遮られる。


 驚く夏姫だが、藍が窓の外を指さしているので、振り向いた。

 傍らにいる少女とそっくり……全く同じ姿の小柄な生徒が聖堂へ向かっていた。

「いた! 碧さん!」


 夏姫はもう反射的に、動き出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る