第13話 お食事どき

 四時限目終了のチャイムが鳴り、机に向かっていた乙女達の肩が下がった。


 田神先生は「食事の時間ね」と言い残し、教室の前の扉から出て行った。


 心配になった。


 田神先生に明らか疲労が見えた。授業中幾度が教科書を落とし、黒板に書かれている字も細々間違っていた。

 やはり学園の生徒が斬殺されたのが堪えたのだろうか? それとも……。


「だよねー」と夏姫は大きく頷く。


 先生とは大変な職業だ。


 同じ授業を何度も生徒に繰り返さないとならない。青春まっただ中の肉食獣めいた少女達に囲まれてもいる。疲れも溜まるだろう。


 ──何か綺麗な物でもプレゼントしようかな……。


 彼女が好きな夏姫は考えた。シスター辺りに頼んで名古屋の街のお洒落な店でお花か、きらきら光る何かを買ってきて貰おうか。


「夏姫さん」悩んでいると、真絢に声をかけられる。


 らしくもなく真絢の目に煌めきがあった。

 ああ、と納得する。食事の時間なのだ。


 青春時代の乙女達は、例え深窓のお嬢様でも食べるのが大好きだ。勉強のストレスを吹き飛ばすのはそれしかないとばかり、どん欲になる。


「食堂に行きましょう」案の定真絢の声は弾んでいた。

「そうしましょう」


 夏姫は首肯して立ち上がった。 


「私達もご一緒して良い?」

 隣席の利恵瑠と有紗の言葉ににっこりと微笑んで、夏姫はもう一人呼ぶ。

「樹里亜さん、樹里亜さんも行きましょう」


 樹里亜は真剣な、同性さえもどきっとさせる儚い表情で、生徒手帳を見つめていた。

「またかよ」と有紗は呆れる。

 樹里亜の生徒手帳には、彼女が溺愛している弟の写真が入っている。


「ええ」と樹里亜は輝くようにはにかみ、手帳を夏姫達にも見せる。


 正直な所、彼女の弟の写真は見た。もう何度も。

 だが一応の礼儀として、夏姫は受け取る。


 気の弱そうな十歳くらいの男の子が控えめに笑っている。何年か経てばかなりの美少年になるだろう彼は、写真の中では少し陰があった。


 樹里亜の話しだと、学校でいじめられているらしい。


 夏姫は苛立たしく思う。恐らく樹里亜の弟・細川隆美(ほそかわ たかみ)をいじめているのは、醜い男子達だろう。

 大抵いじめは、能力の足りないクズが、自分より上の者を嫉妬から集団で傷つける最低な行為だ。


 隆美は少年にしては際だち過ぎた美貌故に、標的にされる。


「元気? 隆美君」

「ええ! もういじめ問題も解決したし、とっても逞しくなったわ」

「はん? なら良かったじゃん。何を寂しそうにしてんだ?」

 有紗の疑問に、はあ、と樹里亜はしょんぼりする。

「だからよ、何か遠くに行ってしまったみたいで寂しいわ。私のだったのに」

「過保護ね、樹里亜さん」


 真絢がくすくす笑うと、樹里亜の頬が少し紅に染まる。

「さあ、お食事行きましょう」


 彼女は前の話しを吹き飛ばすように勢いよく席を立ち、誰もが微笑ましさに、ほっこりしつつ、廊下に出る。


「腹減ったなー」

 道すがら有紗は頭の片方を撫でながら口を開く。寝癖を気にしているようだ。


 李乃の悪意の見逃しについては、もう告げてある。


 ぎりっと、歯を食いしばって怒りを表した有紗だが、今は普段通りのからっとした彼女に戻っていた。李乃を許したのだろう。


「失礼」冷たい声が傍らを、通過する。

 有紗の眉根が逆立った。前言撤回、有紗は李乃を許していない。

 夏姫達を追い抜いたのは、原李乃だった。


「あ、李乃さん」思わず夏姫は声をかける。

 何とか有紗と仲直りして欲しい。

「一緒にお食事、どうですか?」


 後ろからは有紗の露骨な舌打ちが聞こえ、前の李乃の目元が険しくなる。


「ごめんなさい。私、食事は静かに取りたいの……それにこれから少し下らない所用がありまして、せっかくの夏姫さんのお誘いですけど、今日は辞退しますわ」

 が、瞳は夏姫に向いていない、その先の有紗を捉えている。


「あら、見苦しい髪を直したんですね?」


 夏姫が嫌な気配を感じ振り向くと、有紗の腕を利恵瑠が必死に掴んでいた。


 ふん、と李乃は大仰に肩を振り踵を返し、さっさとその場を去っていく。


「何だアイツ!」


 仲直り大作戦大失敗にしょんぼりする夏姫に構わず、有紗が喚く。


「何が所用だ! どうせトイレでも行くんだろ! 便器の水でも飲んでろ」

「有紗さん」さすがにほわっとしていた樹里亜の表情が、引き締まる。

「お食事前に……いや、それ以上に女の子として下品よ」


 功を奏さず、有紗の悪態は続いた。


「あんな奴今度オレが殴ってやるよ。ワンパンで十分だね、めそめそ泣き出すだろうけど、構わず殺してやる」

「有紗さん!」樹里亜の顔に怒りが浮かぶのは珍しい。


 結構長い付き合いだが、彼女は本当は怖そうだ。怖いのだろう……夏姫は樹里亜が読めない、親友の真絢や利恵瑠、有紗の行動は読めるのだが、どうしてか樹里亜だけは全く分からない。


 誰よりも優しかったり、常にぼんやりしていたり、こうして怒ると怖かったり。

 それが細川樹里亜と言う少女の最大の魅力であると、夏姫は納得している。  


「でも、李乃さんもなかなか強いって評判よ」


 空気を全く読まない利恵瑠が人差し指を立てる。まだ李乃への愚痴は続いていた。


「へんっ、そんなの口だけさ。もう一度言うけど、李乃なんてオレなら一撃で倒せるね」

「……お食事、今日は何かしら」

 不意に樹里亜が、遙か遠い所の話題を持ち出した。


 夏姫は感心する。ほわっとしたいつもの樹里亜に戻っているが、巧妙な策だ。


 案の定、有紗や利恵瑠等血の気の多めな少女さえ毒気を抜かれて、口を開いたままになっている。


「子羊が良いな」すぐに乗ったのは真絢だ。


 こちらは策など高じてないだろう。どこまでも純粋に、願望を口にした筈だ。


「そ、そうだな……」


 有紗も仕方なく話題に乗る。


「育ちすぎた子羊は豚か牛になるけど、牛は硬いし太った豚も気持ち悪くて嫌いだな。オレも柔らかい子羊が好きだ」


 はああー、と夏姫は密かに、乙女の移り気と食欲に感謝した。

 なのに、一難去ってまた一難。諍いを忘れて食堂へと急ぐ彼等の前に、黒い影が立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る