第11話 有紗(ありさ)

「とにかく……」しばらくして田神先生は復活し、鋭い視線で皆を撫でる。

「皆さんは自分達の身の危機について、心に止めておいて下さい。先生はこのクラスから犠牲者を出したくありません」


 夏姫は田神先生を見つめながら、大きく頷いた。


 ──もし私の大事な友達を傷つけようと学園に入って来たら、探し出して反撃してやるわ。


「見慣れない人や怪しい人がいたら近づかないように、良い、これはあなた方一人では対処できない問題です。みんなで取り組みましょう」


「へんっ」田神先生の真剣な訴えに、一人の生徒が反発した。

「まだ犯人がオレ達を狙っているって決まった訳じゃないだろ? たまたまヤバい所に行った那波先輩が、襲われたってだけで」

 髪をベリーショートにまで切った、スポーツ系の均整の取れた美しい身体をした少女が、大げさに椅子に寄りかかった。


 直江有紗(なおえ ありさ)。学園で一目も二目も置かれている生徒だ。

 運動神経抜群で、いかなスポーツもルールを聞いただけで熟練者のようにこなす。

 以前は運動系の大学のスカウト達が、何か運動イベントがあるたびに、彼女を見ようと押しかけてきていた。


 夏姫にしてみれば一人称が『オレ』のお嬢様の存在が、最も驚愕するポイントだが。


「ま、それにその変質者のヤローがオレの前に現れたら、構わずぶっ飛ばしてやるね」

「そうね、あなたは私達のボディガードに丁度良いわね。乱暴だけど一応女だし。犬よりはマシだわ」


 有紗を揶揄する声がすぐに上がる。

 夏姫はカメのように首を引っ込めさせたくなる。誰の声か見なくても分かる。


 有紗と犬猿の仲の原李乃(はら りの)だ。


「ああ?」

 有紗は簡単に挑発に乗り、席から立ち上がる。


「あら、まるで野生動物のように単純ね、犬なのかしら?」 


 李乃とその周辺の席の女子が、控えめに笑う。


 原李乃はセミロングの髪型の典型的なお嬢様タイプだ。楚々とした容姿だが言葉に時々、傲慢の棘が見え隠れする。


 有紗の目がつり上がり、一歩踏み出すから、


「止めましょう、こんな時に」と樹里亜が間に入る。

「有紗さん、席に戻りなさい」田神先生にも注意され、彼女は舌打ちと共に踵を返した。


 くすくすと李乃は口元を押さえた。


 何故か……夏姫は暗澹たる思いになった。


 今日の有紗のショートカットには少し乱れがある。つまり寝癖が残っている。


 何の因果かこんなに仲の悪い直江有紗と原李乃は寮の同室だ。登校時にお互いの姿を見せ合う時に、李乃は有紗の寝癖を指摘しなかったのだろう。


 きな臭い諍いの予感がした。青春は争いの時期でもある。


 ただ二人を寮の同じ部屋にした事については、学校側の落ち度ではない。何せほんの少し前まで有紗と李乃は、無二の親友だったのだから。


 青春期の乙女は複雑だ。


 前の日は恋をしてるような仲かと思えば、今日は仇同士になる。


 彼女らの時々の心の機微を斟酌して部屋を決めるなんて、絶対に不可能だろう。


 平和主義者の夏姫は自分の事のように消沈した。


「どうしたの? 夏姫さん」


 夏姫は飛び上がりかけた。いつの間にか机の片隅に、人形が立っていた。

「お悩み?」しかし当たり前だが、言葉は人形からではない。


 視線を上げると、隣席の現御利恵瑠(うつつみ りえる)の笑顔があった。


 現御利恵瑠は外見だけを説明すれば、知的タイプのモデルに見える格好の良い少女だ。


 つまり彼女は外見詐欺師だ。事実の利恵瑠は有紗に匹敵する直情型で、勉強の類には一切興味がない、不真面目ランキングの方の優等生だ。


 今、彼女は器用に指を動かし、テニスラケットのガットに使う糸で、球体関節人形を操り人形のように動かす。


「すごいわね、利恵瑠さん」


 夏姫が素直に感嘆する。ぶきっちょな自分には出来ないと分かるから思わず拍手を送った。


 球体関節人形がそれを受けて、ぺこりと開演後の演劇俳優のように頭を下げる。


「どうもありがとう。苦労して練習した甲斐があったわ」

 夏姫は利恵瑠の超技と彼女の魅力的な微笑に、心の澱が消えていくのを感じた。


「さて、話しはここまで。授業にしましょう」

 田神先生は諸々を打ち消すように、一度手を叩き、現代国語の教科書を開いた。


 はあ、と教室の誰かが吐息する。勉強にはそれなりの集中力を使う、このまま雑談し続けたい生徒もいたのだろう。


 しかし学生の本分は勉強であり、勉強するから学校だ。 


 夏姫は気持ちを切り替えて、机の中から教科書とノート、筆記用具を出した。

 現代国語は一番好きな教科だ。

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