第7話 凶報
「良かったね、夏姫さん」
のんびりとした真絢の声で、びくりと夏姫は我に返った。
「え、え……え? 美佐子先輩、これ? リボン? えと……私、誰だっけ? う? ここは?」
全然返ってなかった。
慌てふためいてぐるぐると、その場で回転する。
「夏姫さん、落ち着いて」
真絢に肩を押さえられて、ようやく夏姫は現実に帰還した。はあはあと大きな呼吸を繰り返す。
「私……何が……」
「美佐子先輩に褒められたのよ」
真絢は普段ぼんやりしているのに、こんな時だけしっかりはっきりだ。
「どうして?」
「知らないわよ。きっと夏姫さんが可愛いからよ」
「え……そうかな?」
何故か沈んだ風の真絢も見えず、夏姫は鏡に映った自分の姿を、思い出そうとする。
派手なリボンが栄える顔だったろうか。
だからこそ、今朝リボン忘却を指摘してくれた真絢に、夏姫は心から感謝した。
「ありがとう真絢さん、何とか面目は保てたわ」
「はいはい、どういたしまして。とにかく、教室に行きましょう」
美佐子の話を断ち切った真絢に促され従ったが、突然の彼女との出会いにより夏姫の足元は雲を歩くようにふわふわしていた。いつ突き抜けて地面に落下するか心許ない。
夏姫と真絢が在籍するのは高等科の一年二組だ。場所は中等科を抜けた先、本校舎の端の方にある。
教室が近づくといつもの喧噪が聞こえ、ノックアウト寸前のボクサー状態の夏姫も回復してきた。
彼女らのクラスは、普段通りだった。
皆、授業前のリラックスした様子で級友と語り合い、乙女の情報交換を盛んに行っている。昨日も会ったのだから更新するほどの新規情報などないのだが、それでもお喋りするのが青春の中にいる乙女の宿命である。
まだ美佐子ショックを微かに引きずる夏姫が、ふらふらと教室に入ると、途端に発見された。
「あら、夏姫さん。ごきげんよう」
目の早い新聞部の加賀屋美津江(かがや みつえ)だ。
彼女は『激写! 聖クルス学園スクープ』と名称からして、猛禽のように何かを狙うのが見え見えの学園新聞を発行している。
掛けている眼鏡はスクープの気配を感じると光ると噂されていた。
「あら? 何かおかしいわね、何かあった?」
どきっと夏姫の胸が跳ねる。さすが美津江、すぐに夏姫の様子を看破する。
この才能を、どうせなら懸賞品サイトの間違え探しとかに使えば平和なのに。
「え、何もないわ」真絢は夏姫が目配せする間もなく応じた。
「珍しく美佐子先輩に出会っただけ」
「ちょ、ちょっと真絢さん」
「へええ」都市伝説通り、美津江の眼鏡がびかっと光る。
「これはスクープね。みんなの憧れ美佐子先輩が、夏姫さんへ会いに来る、と」
「ち、違うから、そんな意味のある事じゃないから……き、きっと、美佐子先輩は時間が余っていたのよ、だから……」
「だから……一番可愛いと思っていた夏姫さんに、会いに来たのね」
猛禽の前をウサギが走ってしまった。
夏姫は美津江が常に手放さない、年代物のライカのカメラを怯えたように見た。
「ああ、大丈夫大丈夫」と気配を察した美津江は、カメラを下げる。
「こういう情報はもっと大きくしてから大々的に発表しないと、小さな内はダメ」
キノコの話しでもしているかのような口調だ、夏姫は一歩後退した。
何て恐ろしい怪物が同じクラスにいるのだろう、逃げ惑いたい。だが、もう情報は伝わった。どこまで逃亡しても無駄だ。
「はあ……美津江さんはそうやって、私をからかっていれば良いんだわ」
からからと当人は笑う。
「からかってないわよ。情報データ共有化は、現代社会でとっても重要なことなのよ」
「……つまり言いふらすと」
「うんっ」
「く」臆面もなく認める美津江に、夏姫は敗北を認め、仕返しを考えることにした。
──今度カエルでも投げつけてやろうかしら。
「……言っておくけど、私、カエルは好きよ。可愛いじゃない」
読心術だっ! コイツ人の心が読めるぞっ! ああ、そう言う奴だった! と夏姫は美津江の笑みに戦いた。
が、平和(?)な空気は、そこまでだった。
凶報が、女子生徒の形になって飛びこんできたのだ。
「大変よ! みんな!」
いつものんびりしているタイプの女生徒だった。だが今は整った顔を、引きつらせている。
「どうしたの? 何かあった?」
美津江が反射的に近寄るが、女生徒はしばらくその場に立ちつくし、わななく。
「な、那波先輩が……」
「え?」夏姫は首を捻る。那波先輩……恐らく浅香那波(あさか ななみ)の事だろう。
いつも美佐子や篤子と一緒にいた、二年生だ。
そう言えば、先程美佐子達に会ったが、那波の麗しい姿はなかった。
「那波先輩がどうしたの?」美津江が、敢えて穏やかにゆっくり訊ねている。
それで多少落ち着きを取り戻した級友が、真っ青な顔をさらに青くして続けた。
「こ、殺されたわ……名古屋の街で、殺された……」
一年二組の誰も、夏姫を含めた全員がはっと息を呑んだ。
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