第5話 友達

「きゃああっ!」文字通り夏姫はベッドの上で飛び上がった。

「な、なんでこんな時間! 真絢さん、どうしてもっと早く起こしてくれなかったの?」

「起こしましたー。声をかけて、ゆさぶって、叩いて……でも夏姫さんが起きなかったのー……これ以上寝ているなら、昔あった園芸部の部室からジョウロを持ってきて水を掛けようとまで考えましたー」


「え!」夏姫の目が、大きく見開かれる。


 清水真絢は、幼稚舎から市立聖クルス学園に通っている正真正銘のお嬢様だ。だから時々思考がどこかに派手にぶっ飛ぶ。


「……あ、お外、綺麗ね、晴れてて」


 どうやら自身の失言に気付いたのか、真絢はお嬢様力の一つ『誤魔化し』を使い、茫たる視線を窓に転じている。


 こうなってはもう仕方ない。夏姫はまさに嵐のように朝の準備をした。顔を洗い歯を磨き、朝食の冷め切った赤いスープを飲み、髪をとかす。


 教科書等の準備は昨日と変わらないので、最後に制服を着ようと、備えづけのクローゼットを開ける。


「むう」と不満が漏れた。


 市立聖クルス学園名物の、純白の制服のスカートによれがある。

「もうっ、シスターは使えないわね」と夏姫は愚痴った。


 高等科からの寮生の制服のクリーニングは、学園で働くシスターが寮母役も担い、行う。

 だがどうも彼女たちは、生徒とは海溝を挟んだ感性しか持っていない。 


「あら、別に目立たないと思うわ、色々なお仕事があって大変なんでしょう。許してあげて」


 夏姫は呑気にシスターを庇う優しい親友の言葉に、頷けない。

 何せ、この学園は身だしなみについてひどく厳しく、入学したての頃、生徒指導の木村先生に胸のスカーフの結び方について、大目玉を食らったことがある。

 夏姫が木村先生を嫌っていたのはその理由ではないが、とにかくスカートのよれや皺は、一大事だ。


「替えはないの?」


 無邪気に真絢は首を傾げるが、あいにく他のすべての制服は、クリーニングに出していた。 


 だから口を蕾のようにつぐむ。 

 実はずぼらな夏姫も悪い、と思われたくない。


「仕方ない、今日はこれで行くわ」 


 夏姫は素早く制服を着て、再度髪をとかし、一つ頷く。


「さあ、始めましょう」


 真絢は夏姫の言葉に、唇を引き締め彼女の正面に立つ。

 夏姫はじっと清水真絢を観察した。彼女が夏姫にそうしているように。


 清水真絢は可愛らしい。裕福な家の為に少しぽっちゃり気味だが、丸い顔に丸く大きな目、小さな鼻に少し厚めの唇。肌はきめが細かく雪のように白く、星空を宿した艶々とした髪をショートボブにカットし、輝くような若い美しさ、青春の光を発散していた。

 見るべき所が違う。

 夏姫は真絢の髪に寝癖が残っていないか、目やにが着いていないか、涎跡はないか確認した。

 次に服装。指定の制服の乱れはないか、スカーフの結びは大丈夫か、スカートの長さは……。


「よし、大丈夫」夏姫が頷くとほぼ同時に、真絢も微笑んだ。

「ばっちり、可愛い夏姫ちゃんだよ」


 これは市立聖クルス学園の、寮生の習慣である。二人部屋故に、朝の身だしなみをお互いチェックし合う、乙女の神聖な儀式だ。


 くんくんと、ついでに匂いも嗅いでみた。


 真絢は青春期の少女特有の甘酸っぱい、だが爽やかな香気を纏っている。学校では香水は不可だが、校則が一回転し使用が可能になっても、彼女にはいらないだろう。


「なに?」きょとんと真絢の形の良い唇がやや開く。


 ふふふ、と夏姫は笑った。

「別に、真絢さんは可愛いなあと思って」


 ぷーと真絢は頬を膨らませる。からかわれたと感じたのだろう。


「それより早く教室いこ、遅刻しちゃう」


 反撃の機先を制して、夏姫は真絢の背中に手を当てる。

「夏姫さん、忘れているわよ。頭に……」

「あ! そだっ」夏姫は慌てて机の引き出しに大切にしまっている、深紅のリボンを取り出す。


「……真絢さぁん」

「わかったわかった。手のかかる夏姫さん」


 真絢がお姉さんのように、二本のリボンを片方ずつ夏姫の髪に結わえていく。

 夏姫の髪はセミロングにしてあり、リボンをするのには少し短い。真絢にはいつも苦労をかける。


「うん」と作業が終わったのか、真絢が輝くように微笑んで頷く。


 ほうっと、夏姫は安堵の息をつく。


 物とは不思議だ。大切にしすぎると、逆に忘れてしまう。

 夏姫さんだけよ、と真絢には笑われるが、そうは思わない。違う絶対。


 このリボンは大切な宝物だった。


 宝珠院美佐子(ほうじゅいん みさこ)に貰った。夏姫にとって何にも代えられない物。


「はい、おわり」

 結び終わった真絢に、夏姫は恐る恐る訊ねる。

「どう? 真絢さん」

「ええ」と彼女は深く頷く。

「とっても可愛いわよ」

 夏姫はほっとした。もし忘れていたら美佐子に顔を合わせられない。

「ありがとう真絢さん、て! 時間! 遅刻~」

「だからそれは、夏姫さんがー」

「良いから良いから」


 二人の乙女は、責任の有無について討論しながら、市立聖クルス学園の寮の門に向かった。

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