第3話 冬至る
2025年3月の入学式から月日は経ち……いつの間にか、もう冬だ。
……………………
…………
……
闇の中にいた。
──ああ、いつもの夢だ。
橘夏姫はすぐに自覚する。自分が現実ではない場所にいると。
──いつの頃だろう?
夏姫の頬は濡れているはずだ。かつて友達に『笑顔』の夏姫ちゃんは子猫みたいで可愛いよ、と言われて嬉しかったのだけれど、大きな目に涙、小さな唇には真珠色の歯が食い込んで、せっかく褒められた容貌も今は悲しみに歪んでいるだろう。
この夢の大本はいつだったか。
三人の影が現れても、いつも通りだから夏姫は驚かない、
影達の可愛らしい顔が悪意に歪んでいても。
くすくす、鈴をビロードに転がしたような笑い声が響く。
「外部入学生のクセに私達と同じつもりなのかしら?」
「貧乏人にこの学校の授業料払えるの?」
「まあ、みっともない格好ね」
くすくすくす、三つの影は夏姫を嘲る、いたぶる。心底楽しそうに。
また頬に水分を感じて肩を落とす。いったいいつになったらこの夢は終わるのか。実際、
『あれ』はもう大分前なのに。
三つの影は手を振り上げる。
──いつだったかな?
夏姫は彼女達から暴力を受けていた日々を思う。
その頃は、母にそれを告げようとしていた。泣きながら自分が受けた理不尽を、訴えようとした。
出来なかった……いじめられている者は親しい人、特に両親に加害を隠したがる。
誰も親の悲しい顔を、心配顔を見たくない。
夏姫は耐えた。ずっと耐えた。ずっとずっと……『あの時』まで……。
──いつだったかしら?
夏姫は悪夢の闇の中で考え続けた。
「夏姫さん、夏姫さんっ、朝ですわよ、起きて、起きてっ、夏姫さん」
──いつの夢なんだろう?
「もう、夏姫さん、ホームルームに遅刻するわよ! 夏姫さん!」
橘夏姫が目覚めて最初に見たのは、親友の顔だった。
「いかないでお父さん……お母さん」なのに夏姫は思い切り失言した。
ぷっと、親友であり寮のルームメイト・清水真絢(しみず まあや)が吹き出し、手を口に当てる。
「何? お父さんお母さんて。もしかして私と間違えた? それに、どこにいくというの?」
寝起きの夏姫の頬が、燃える。
「ち、違うわ……ええと、お父さんとお母さんは元気かなー? て」
「何で起き抜けでそんな話しになるのよ」
くすくすと真絢は笑う。
夏姫の心に陰が差す。何かその笑い声は嫌な記憶が伴っていた。変な夢でも見たのかも知れない。
「そんなにひどい夢見たの?」
真絢はまだ笑いの残滓の残る明るい顔で、のぞき込んで来る。
「えっと……うーん、わすれちゃったのよねー」
「でも、夏姫さん大暴れだったよ、ゆっこを振り舞わしていたし……私もベッドから蹴り落とされたわ」
夏姫の顔はもう燃えている。だから今度は耳が熱くなった。
ゆっことは夏姫がいつも抱いて寝ている縫いぐるみだ。ちなみに犬型。
青春まっただ中の高校一年にもなって、まだ縫いぐるみを抱いて寝ているのは、心の友である真絢しか知らない。
「むー」と夏姫は恥ずかしさを勢いに変えて、艶やかな唇を突き出す。
「真絢さんはそうやって私をバカにしていれば良いんだわっ」
「あら、バカにして何ていないわよ」
真絢が真顔になる。勿論、夏姫も承知している。
清水真絢は優しいはにかみ屋の女の子だ。大人しくて引っ込み思案、外でみんなで運動するより図書室で一人本を読んでいるタイプであり、人を悪く言う所も見たことがない。
それに彼女は夏姫の親友であり最大の味方だ。夏姫がどんなに窮地に陥っても、どんなに孤立しても、いつも味方側にいてくれた。
──孤立?
夏姫は首を捻る。それはいつだったろうか?
「あっ」と夏姫の思案を真絢が遮る。
「大変! こんな時間っ」
ようやく夏姫の目が、目覚まし時計に向く。桃の果肉のようなピンク色の丸い時計だが、夏姫程の寝坊の猛者になると、目覚ましチャイムなど効かない。
「……………」ヤバい時間に迫りつつあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます