第7話
あの事件——真壁曰く『コックリさん事件』から数週間。
昼下がりのカフェは、柔らかな陽射しに満ちていた。角際の席から差し込む光が木製のテーブルを淡く照らす。磨き込んだカウンターの上では、コーヒー豆の入った瓶がきらりと反射する。
豆を挽くリズムに合わせて、香ばしい匂いが店内をゆっくりと漂い、窓の外から差し込む風が、カーテンを微かに揺らす。外の土や草の香りも混じり、店内にほんのりと緑の匂いが広がる。
「相変わらず暇だよな、この店」
カウンターの定位置に陣取った真壁が、アイスコーヒーの氷をストローでつつく。カラン、と澄んだ音が静かな店内に響いた。
「お前の店よりは繁盛してますので、ご心配痛み入ります」
「失礼だな、俺の商売は一つの単価が高いんだよ」
「へーへー」
「ほー」
どうでもいいやり取りを交わすこの時間は、不思議と居心地が良い。
事件の緊張感が嘘のように遠く、日常の穏やかさが戻ってきたのだと実感できる瞬間だった。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
視界の端にある真壁の姿。冷静で無表情だが、その背筋や指先のわずかな動きから、彼がまだ周囲を気にかけていることが伝わる。
——その時、カランとドアの鈴が弾むように鳴り、外の光が店内に流れ込んできた。
「こんにちはー!!」
元気いっぱいの声と共に、ランドセルを背負った美羽ちゃんたちが笑顔で駆け込んできた。小さな足音がフローリングを跳ね、外の風に混じって土の香りがほんのり漂う。その香りだけでも、空気が軽くなるように感じられた。
右手に包帯を巻いた千枝ちゃんも、少し恥ずかしそうにしながら、美羽ちゃんの手にひかれて歩く。雪ちゃんはそんな二人を後ろからそっと見守り、歩調を合わせるように足を進めていた。
「魔法の探偵さん、こんにちは!」
あおい君が元気に挨拶をする。真壁は渋面を崩さないまま、片手を軽く上げて応える。すると千枝ちゃんの隣で雪ちゃんが小声で囁いた。
「あのね、千枝ちゃんが呪われてないって説明してくれた人なんだよ!」
千枝ちゃんは大きな目で真壁を見上げる。驚きと安堵、少しの憧れが入り混じった眼差しだ。無表情の真壁だが、俺にはわかる。
あの男の視線は冷たそうに見えて、実は子供たちの一挙手一投足を気にかけているのだ。
俺はそのまま、子供たちを窓際のソファへ促し、オレンジジュースが入ったコップをテーブルに置いた。
「えー、お金ないよ!」
あおい君が慌てて手を振る。
「今日はお祝いだから、特別サービスになります」
声を揃えてお礼を言う子供たちの声は、木の床に弾むように響き、胸に柔らかく染み入る。
「それなら俺も特別サービスだな」
「馬鹿言うな、お前は定価だ」
子供たちの笑い声が響く中、真壁はストローを咥えたまま無言でその光景を見守る。表情は冷えて見えるが、その目に宿る光は優しく、ほんの少しだけ柔らかさを帯びていた。
事件の後でも、こうして子供たちの笑顔に触れられる——それだけで、世界は少しだけ救われているように思えた。
「ところで、神谷先生はどうしているんだ?」
真壁の問いに、子供たちが一斉に顔を見合わせる。
「先生ね、おやすみなんだって!」
「千枝のお家にね、こうちょーせんせーと一緒に来て、パパとママとお話ししてたよ」
「新しい先生、女の先生ですっごく優しい!」
「でも、神谷先生に挨拶したかった!」
「うん、またおまじない教えて欲しかったなぁ」
「そうか」
真壁は小さく頷き、氷を揺らす音だけが返事代わりになる。
どうやら神谷は学校を去ったらしい。事情を知る俺たちにとっては当然の処分だろうが、子供たちにとってはただの「優しかった先生」でしかない。
そのギャップに、俺の胸の奥は少しざわついた。だが同時に、子供たちが明るく新しい日々を歩き出していることにも、心の奥で安堵が広がる。あの事件の影も、少しだけ薄らぐ気がした。
俺と真壁は、言葉にせず短く視線を交わす。
——互いの心の温度を確認するように。
※
やがて帰る時間になり、子供たちはランドセルを背負って元気にかけだして行った。ドアの鈴がまた軽やかに鳴り、笑い声が外の光へと溶けていく。
その中で、美羽ちゃんだけが立ち止まり、くるりと振り返る。その小さな足で真壁のところに戻り、シャツの袖をそっと引く。
真壁は一瞬動きを止め、膝を折って美羽ちゃんと視線を合わせた。
「あのね、私、探偵さんのお嫁さんになりたいの。だから、他の人と結婚しないでね?」
頬を微かに染め、美羽ちゃんは真壁の手に何かを握らせると、すぐに仲間の後を追って走り去った。
真壁はしばらく手の中のものを見つめ、やがて無言でカウンターに戻る。
「美羽ちゃんに何をもらったんだ?」
「ん」
差し出された手のひらには、折り紙で折られた小さな指輪がひとつ。
少しだけ不恰好な形は、紛れもなく子供精一杯の「本気」が込められていた。
真壁は指輪を見つめ、わずかに眉を緩め、口元にほのかな変化を見せる。
その表情は、無邪気さに触れた時だけ、彼がごく稀に見せる、言葉にならない優しい表情だった。
午後の光が店内を金色に染め、香ばしいコーヒーの匂いが穏やかに広がる。子供たちの笑い声の余韻がまだ空気に残り、ゆったりとした時間が溶け込んでいた。
光と香りと、そして小さな奇跡。午後のカフェは、そんな優しい余韻に包まれていた。
コックリさんの傷跡 ー癒川シリーズ② adotra22 @adotra
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