泣きたいのに、泣けない。
一筆書き推敲無し太郎
第1話
泣きたいのに、泣けない。よくある感情、難しく考える必要が無い。多分、そんなに悲しくないから泣けないんじゃない。もしくはそんなにつらくないとか、泣きたいっていえばなんとかなるかもって。単純に物事を考えればいい。この世を2分割して考えるくらいに平坦に。
さて、なにについて考えているんだろう。私はなにに怯えているのかな。将来の漠然とした不安とか、イマ生きていることが嫌とか、負の感情なのは間違いない。涙が零れるような涙腺が悪いとか、脳の誤認識とかではない、なにかの負。条件反射とかの涙ではない。渇きを沈めるための涙ではない。更に抽象化していく。涙は誰に向けているのか?利己、利他か、人が対象ではないのか?甲子園球児は自分の為に泣いているし、その仲間は球児の頑張りについて泣いているから他者視点の涙。自分の為に泣いているなんて尊大な考えかもしれないけどね。じゃあ、人の死だったらばみんなで泣いている。葬式が涙の洪水になることはよくある。小児が亡くなった時なんかは悲壮、悲惨で心から涙が出る。比喩的表現で涙を表すという紐解き方もあるか。心の汗とか、ダンディズム溢れる男が使うような、でも的外れかもしれない。なぜならこれではないと直感が言っている。正直、涙に意味づけするのがナンセンスだという批判ができそうだ。流れる体液の一部が水のようでありそれが粘膜の役に立つのなら流すべきではないかと。それに理由を付け加えるから面倒なのではと。感情表現に使われるのはいいけど、自分が涙を流そうとしているうが、泣けないのだとしている状態への解除が泣いたら終わるわけではない。人に見られたらなぜ泣いているのかと問い詰められるし、それに尤もらしい理由を付け加えて穏便に済ませたいのだ。そうなったらかなり厄介なので涙を流さない。この場合には人が対象であるといえるが、涙を流す前段階では不明なのだ。泣いたら解決ではないのか、厄介だ。涙という防衛本能が人間様の情緒を阻害している。突然だが、脱毛という療法がある。これは本来必要だから生え揃っている毛を美的センスから排除する行いだ。これを涙に適応したい。涙が出る涙腺を切り落とすとか、弱める効果がある照射を施すとかね。涙は女の武器だとかいうからその技術は発展しないのだろうな。脱毛はそれが是とされる根拠が不潔だとか、不快だとか、汚らしいとか。これはお国柄で事情が異なるのだが、日本では毛を毟り取ろうと電車内広告で宣伝している。涙腺除去初回1000円!とか企てたらどんな批判を浴びるのだろうか。ベンチャー気質ある人間がそれを決行する未来が見てみたい。涙不要論を唱える第一人者としてどんな世界を築けるのか知りたい。夢想はさておき、涙はなぜ流れたいのか、私は何に対して涙を流したいのか?ここまで思想しても結論が見つからないことに涙しない。これは議論不足だからだ。泣きたいのに、泣けないがここまで冷静に物事を考えることができている時点で大したことありませんってか。
そうかもね。
泣きたいのに、泣けない。 一筆書き推敲無し太郎 @botw_totk
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