空を見ない君に、嘘つきな僕はレンズを向ける
六畳のえる
第1章 失敗したあの日から
第1話 顔は上げないままで
線は細いけど勢いのある、梅雨らしい雨が窓を打ち付ける。一番後ろ、窓際の席の私には、そのパツパツという音が随分大きく聞こえた。
「じゃあ、この文を訳してもらおうかな。えっと……じゃあ三原」
英語の櫻井先生の甲高い声が響く中で、クラスの空気はなんとなく気怠い。高校二年生の六月というのは、一年生のときのようなフレッシュさもなく、さりとて受験生のような緊張感もなく、中だるみしやすい時期だ。あと十日ほどで七月ということもあり、気温が上がってきているのもテンションが低い原因かもしれない。
お昼まであと一時間もあるのを長いと感じてしまい、とはいえお昼になったからといって楽しいことがあるわけでもなく、グーにした手を口に当てて小さく溜息をついた。
「ねっ、お弁当食べよ!」
「購買部行くけど、何か買ってくる?」
授業が終わり、昼休みになる。周りが騒がしくなっているのを聞きながら、私はいつも通り、顔を上げないまま、家から持ってきたお弁当を広げた。
周りの楽しそうな声を聞きながら、ご飯とメンチカツ、ひじきの煮物を黙々と頬張る。話し相手がいないと、食べ終わるのもあっという間だ。
ずっと一人で音楽を聴いている一匹狼タイプでもないけど、机に突っ伏して堂々と寝て過ごすような度胸もなくて、ただただ教室で食事している他のクラスメイトを見ながら、残りの時間を過ごす。焦げたようなブラウンの髪を手櫛でおろすと、わさわさと目元を覆い、やや視界が遮られる。それは逆に、こっちの顔も見えていないということで、それに安心して私の口元は微かに綻んだ。
「ねえ、待ってってば! って、ちょっ、わっ!」
隣の席の女子が立ち上がった拍子によろけて、こっちの机にぶつかってきた。ドンッと揺れて、お弁当箱が落ちそうになる。
「
「あ……うん……ごめんね」
ぶつかられた私が頭を下げて謝ると、向こうは顔を
少しだけ見えた彼女の表情が雄弁に語っていた。「なんでアナタが謝るの?」と。
理由は簡単だった。自分がこの場所にいたのが悪いと思ったから。食べる相手がいれば、食べ終わって予定があれば、ここでぶつかられることなんてなかったのに。だから、これは自分のせい。私が悪かったんだ。
窓の外に目を遣る。張り付いた雨粒同士がくっつき、大きな粒となってツツツッと下へ落ちていく。居場所をうまく見つけられずに消えていくような
「やっほー。イッちゃん、元気?」
「ん、まあね」
同じクラスで一番話す女子、
丸顔にぱっちりした目、明るい茶色のショートボブ。パッと見ただけで明るそうな印象を受ける彼女は、椅子をグッと引いてこちらに距離を詰めてきた。身長は私より五センチ以上低く一五五センチほどしかないけど、いつもエネルギーに溢れていて、小柄なイメージは全然なかった。
「この前話したさ、期末テスト最終日の女子会、来る? スイーツビュッフェ行こうって流れになってるよ」
「うん、ごめん、行かないかなって……」
その答えに、千織はぷくっと頬を膨らませた。
「もう、別に行かないのはいいけど、何も悪いことしてないのに謝らないでって言ったでしょ」
「え、あ、ごめ……」
危うく言いかけそうになった私に、彼女は呆れたように手を顔に当てる。面倒な人だと思われてないといいけど、と心の中がざわざわした。
「はあ。今の控えめなイッちゃんも嫌いじゃないけど、やっぱり中一のときのイッちゃんはすごくカッコ良かったなあ」
「……四年も前のことだけどね」
目をキラキラと輝かせる千織に、私はそう言ってごまかすのが精一杯だった。
午後の授業もあっという間に過ぎ去り、ショートホームルームもすんなり終わって、帰る時間になった。特に予定もないので足早に帰ろうとすると、後ろから声を掛けられる。
「ねえ、吉水さん」
振り向いて、声の主に驚く。クラスメイトの男子、
今年クラス替えで初めて一緒になった彼が、今日は一体、何の用だろう。自分が何か失敗しただろうか、減点されるようなことをしただろうか。不安だけが、季節外れの雪のように積もっていく。
「……何?」
一八十くらいありそうな谷川君を見上げながら、静かに訊く。
「ううん、何でもない。また別の日に相談するよ。また明日」
「うん、分かった」
おざなりにそう返事して、焦るように廊下に消えていく谷川君を見送る。さよならを言うように、胸元にあるワインレッドのリボンが揺れた。
これで良かった。私に大した用があるなんて思えない。そんなに注目を浴びるような人間でもない。また明日、なんて言っていたけど、明日は別の人に声をかけているだろう。
夜、ベッドに横になりながらインステグラムを除く。普段は意識もしないけど、こうして中学の同級生たちのキラキラした写真を見ていると、羨望と諦めが入り混じった気持ちで胸が塞がる。みんなでオシャレな服を買ったり、男女グループでカラオケに行ったり、部活に全力投球してみたり。
自分もこんな風になれたらな、と想像の羽を広げる一方で、自分はどう足掻いてもこうはなれなかっただろう、という想いが虚しく心を満たしていく。
「はあ……」
深いため息をタオルケットに吸わせて、ベッドに倒れ込む。記憶が過去に遡るのを、耳にイヤホンをはめて音楽を聴くことで必死に止めて、私は真っ暗な世界に逃げ込むように眠りについた。
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