第2話 天睛役者☆黎明 翠
再び静けさが戻った境内。
街の防災スピーカーから17時を知らせるメロディーが流れてきた。草の上に置いていたランドセルを背負う。
その隅に設置された、小さな石像の前で立ち止まる。
翠雨が見つめているのは、苔むした岩の上で正座をする男性の石像だ。石像の大きさは30センチほど……森に住まう妖精のようだ。細部まで造り込まれた造形は美しい顔立ちをしており、風雅な和服を身にまとっている。
隣に立てられた
【
翠雨は石像と向かい合うように、その場にしゃがみ込んだ。石像の目には硬質のクリスタルが埋め込まれている。
「
友人に語りかけるような口調だ。
「島のみんなはおれのことを黎明 翠の生まれ変わりだって言う。おれはおれ、あなたはあなたなのに! おれは芸能界に興味なんてないっちゃ。競争なんてキライだ」
勿論、返事は無かった。
「おれは、あなたみたいに凄くはなれん」
石像の足元に貼られた【大切なお知らせ】の張り紙が視界に入る。
黎明翠の目から「レーザー光線」が放たれる、夜のライトアップ企画を一旦休止することが記されていた。「目からビームを出す石像」として話題になり、
休止の理由としては、夜間訓練中の航空防衛軍が【石像のレーザー光線】を【敵機のレーザー装置】と誤認。航路が混乱したことが挙げられている。
「なんで石像の目からレーザーを出そうと思ったんだろう。軍の訓練を妨害するレベルの光って、もはや兵器だよな」
黎明 翠の石像は、全てを受け入れるように穏やかな笑みを浮かべている。
「レーザー光線が出ていた頃は、観光客で賑わっていたよなぁ……でも今はおれしかいない。このままだとあなたは、忘れられてしまうよ」
黎明 翠の解説板へと視線を移す。翠雨は頭の中で、その文章を静かに読み上げた。
――
今からおよそ六百年前に活躍した
【
脚本家としても名を馳せた人気役者
【
将軍や貴族から支援を受け、【
京都から左遷ヶ島に流刑されたのち、永伝寺で余生を過ごす。
【 この世は金 】の名言を残し、左遷ヶ島で永眠。
(「
「この世は金……正直でおれは好き」
翠雨は笑いながら、石像と目を合わせた。
「あなたは、歌と踊りの天才だったんだろ? モノマネも上手かったって学校で習った」
解説板に記された【
「
夕闇が迫り、空には一番星が瞬き始める。
「おれ、夕ご飯を作らないと……もう帰るね」
翠雨は石像に向かって大きく手を振った。
「またくるね。
その時、石像の頬を一筋の雫が伝った。黎明 翠が涙を流している姿に見えた。
「京都の大スターが左遷ヶ島に流されたんだもんな。悲しくて辛かったろ? なにがあった? 」
翠雨は、森の木々を見上げた。ザワザワと揺れる枝の奥を、紫がかった雲が流れていく。まるで異世界に繋がる入口のようだ。
「黎明 翠は絶世の美少年だったらしいな。なのに舞台に立つ時は、妖怪のお面で顔を隠しとった……不思議な人生っちゃ」
翠雨は、黎明翠の石像にくるりと背を向け【永伝寺】を後にした。
緩い下り坂になった山道を行く。
翠雨の脳裏には、クラスメイトから言われた悲しい言葉が
『そのモノマネ飽きたよ! 新作は? 』
『前のままで良かったのに。どうして変えちゃったの? 』
『男の子は声変わりするんだって……そしたら翠雨も____』
耳鳴りのような音がして、翠雨の意識が現実へと戻った。
「____そしたらおれは、特技がひとつ減るっていうことだよなぁ」
道端に咲いている花を踏みそうになった。よそ見をしたせいだ。
黎明 翠の石像が待つ後ろへと振り返る。石像は木々に隠れて、こちらからは見えなかった。不気味に長く伸びた、自身の影を見つめる。
「芸能界で生き残るのは、大変そうだな」
通り抜けた春風に優しく背中を押された。
翠雨がいなくなった永伝寺の境内。
龍の彫刻の側で、金色の塊が
この世のものではない、そんな気配をまとっていた。
「話が入ってこうへんなぁ。
なんや……あのふざけた髪型は」
本堂の影から姿を現したのは、鬼のように鋭い眼をした少年であった。はんなりとした京言葉だ。
山道を降っていく翠雨の後ろ姿を、境内から見下ろしている。
翠雨より、2歳ほど年上だろう。腰の位置が高く、手足もスラリと長い。なにより染め上げた金髪が、よく似合っていた。
成人男性より大きいスニーカーの踵には、
【
彼は翠雨の背中で揺れるランドセルを、濁った瞳で眺めている。その視線は、サイドポケットに挟まれた、外来種のタンポポに向けられていた。
「せっかく……
俺様が抜いてやったのに。
あんなもの、持ち帰るなよ」
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