火中で踊る猫

香久山 ゆみ

#1

「あら、また火事ですか。最近多いですね」

 夫から、街で大火があったと聞き、思わず声が出る。本当に、最近は多い。こんな山中の茅屋まで聞き及ぶほど。あまりに続くから、付け火でないかとの噂もあるらしい。

 あの子は大丈夫かしら。

 ふと、街で一人暮らしする娘のことが気掛かりになる。御所にお住まいする宮様のことよりも、まず娘の心配が過ぎったことに、ああ私は母親なのだなと思わぬところでしみじみする。

 そんな母の心配をよそに、娘からはけったいな手紙が届いた。

 相次ぐ不審火について、街では化け猫の呪いだと噂されているらしい。夜な夜な油を舐めに来た化け猫が行灯を倒して火の手が上がるのだと。

 そんな噂が出るのは、往来を右往左往する鼠が多く目撃されるせいらしい。

 火に燻り出されたのだろう、巷間では茲許目にする鼠の数が一気に増えたという。鼠が多いせいか、米も不足しているらしい。俵の鼠が米食ってチューということか。火事が先か、鼠が先か、それとも米不足が先か。風が吹けば桶屋じゃないが、因果関係があるのだかないのだか。ようやく戦禍も落ち着いた時世なのに、心休まらぬことだ。

 いち早く米を買い占めて、高値で売る輩もいるという。宮様のお膝元での狼藉、さっさとお役人にとっちめられちまえばいいのに。は歎息する。

 娘はしっかりご飯を食べているだろうか。

 さいわい街から離れたこの里山では、火事も米不足も遠い話だ。

 娘の手紙にはじきにこちらへ顔を出すとあった。久し振りの娘の里帰り、たらふく飯を食わせてやらなくちゃ。

 まりは襷掛けして厨に入って火を起こす。

 料理の煮立った美味そうな匂いに反応したのか、それともの里帰りを喜んでいるのか、小犬のもまりの後ろ姿を眺めながら、嬉しそうにしっぽを振る。


 手紙に遅れること二日程で、娘のゆみが無事うちに到着した。久々の顔をちゃんと覚えているのか、かぐもぶんぶんしっぽを振ってゆみにじゃれつく。

「都では、米がなければ小豆を食べればいいじゃない」といって、甘味が流行っているらしい。そんなあほな。米がないから小豆って、どこぞのお姫様でもあるまいし。この子の話はいつも嘘か真か眉唾物だ。

 けど実際、里帰りしたゆみはずた袋いっぱいの小豆を持って帰ってきた。

「これで母さんに甘いものご馳走するからね」

 と胸を張る。しかし、米がないと饅頭も作れやしないし、善哉にしたって餅がないと味気なし。一体何を作ってくれるのだか。

 本でも読みながら待っていようかね。と思っていたのに、小豆を煮てあんこを作るのは私の仕事らしい。いい齢した娘は、小豆を母に預けて、竈に火を掛けるのも横目に、とっとと縁側で小犬と遊んでいる。

「あんこが炊けたら呼んでね」

 だなんて、相変わらずだこと。とはいえ、娘のわがままを聞いて律儀に小豆からあんこを作る私も相変わらずだ。

 ことこと甘い匂いがし始めると、ゆみとかぐ二人娘が厨にひょいと顔を出す。

「ねえ、あとどれくらい掛かるのかしら」

「そうね、煮立った小豆を漉してから、また火に掛けて混ぜるから、あと一刻は掛かるわね」

「ひゃあ、そんなに」

 言い出しっぺが素っ頓狂な声を上げる。あんこができたら料理番を交替するというが、この子が本当に料理などできるのか甚だ疑問だ。幼少時にちょっと手伝いをしてくれたくらいで、家を出るまでほとんど料理などしたことがないのだ。

「こないだね、甘味処のご隠居に練りきりの作り方を教わったのよ。すごく美味しいから楽しみにしててね」

 まりの後ろ姿に、ゆみが喋り掛ける。

「練りきり?」

「そう。ご隠居の発明よ。食べて美味しく、目にも美味しいのよ」

 教わった際、あんこはご隠居が用意してくれたらしい。

 粗熱を取ったこしあんに塩を少々混ぜたところで、ようやくゆみが厨に立つ。

 はてさて何を作るのやら。まりはかぐを膝に乗せて框に引上げる。本でも読んで一息つきたいが、せっかく作ったあんを台無しにされやしないかと気が気じゃない。ゆみの方でも、母が見守っていて当然といった様子で作業を進める。手を動かす毎に調理道具をどんどん広げていく。

 まったく手際が悪い。一人暮らしでも普段から料理はしていないようだ。碌なもの食べていないんじゃなかろうか。

 ゆみは温かいあんをいくつかに分けて、水飴を練り込み、それぞれクチナシで着色していく。そうして作ったやや固めのあんで、避けておいたこしあんを包み込む。

「さて、ここからよ。あんこを包んだ練りきりで花の形を作っていくからね。案外難しいのよ。一緒に教わった絵師の慎さんは器用に本物みたいな蝶を作ったんだけど、そうすると美味しそうじゃないのよね。和菓子には和菓子に見合った意匠があるのだと思ったわ」

 べらべらと講釈を垂れながら、もたもたと手を動かす。ぺたぺたと練りきりあんを丸める様子は、幼い頃の泥団子遊びと変わらないように見える。

 都で独り暮らしで苦労してやいないか寂しくないかと心配していたが、どうやら伸び伸びやっているらしい。和菓子作りを教わったり、先日は楽茶碗を作ったりと、まあ楽しそうだこと。自由でいいわね、私の若い頃は子育てで大変でとてもそんな暇なかったのに。なんて、娘の背中に、憎らしさ半分、羨ましさ半分。

 しかし、だったら自分と同じように苦労すれば清々するかというと、そういうことでもない。我が子にかかる苦労はなるべく払ってやりたいと思うのが親心。うん、楽しそうにやってるなら上等だ。

「できた!」

 ゆみが皿の上に桃色のあん菓子――練りきりを並べる。

「へえ、かわいい菊の花ね」

 子供時分の頃より大分上手にできている。

「もう! これは梅の花よ」

 ゆみが頬を膨らませる。

 熱い茶を淹れて、夫とともに相伴に預かる。

「美味しい」とまりと夫が感想を述べると、「でしょ」と鼻を膨らませる。

 本当に、美味しい。親に美味いものを食わせてやろうという、その心意気が可愛くも有難いのである。

 少しのおこぼれを貰ったかぐもお気に召したようで、おかわりをくれとゆみの着物の裾に飛びつく。その様子に、家族皆で声を上げて笑った。

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