エピローグ
第46話 問いから始まる朝 ⚔️☕
都市は助かった。
結論から言えば、そういうことになる。
ユーマとの戦闘で、俺は魔力を使いすぎた。
記憶の大半が消費され、頭の中は空っぽだった。
灯の笑顔も、ボスの声も、過去における戦いの記憶も――全部、抜け落ちていた。
だが、残っていた。
どうでもいい記憶が、ひとつだけ。
中村の話だ。
宇宙船の廃棄処理。記憶を燃料に変える話。
コールドスリープで何百年も宇宙を旅する話。
都市が自律的に判断し、乗員を選別する話。
その妄想が、今の都市にぴたりと重なった。
俺とエリシアは、都市の
魔力供給は停止し、生活機能は
魔導障害が広がり、魔導生物が各階層に出現していた。
放っておけば、都市全体の
都市機能の消失は時間の問題だった。
だが、都市は――選択を求めていた。
都市に矛盾をぶつける。
それが中村のアイデアだった。
……いや、定番の一つだ。
合理性だけで動くAIに、非合理な問いを投げる。
答えられない問いを、あえて突きつける。
それが、中村のアイデアだった。
……ただ、実際には違った。
都市の意志は、AIじゃない。
都市から不要とされ、廃棄されてきた人々の記憶。
忘れられた声、捨てられた感情、断ち切られた願い。
それらが、魔導粒子に染み込み、都市の深層に沈殿していた。
怨念や魔導生物に近い。
だが、どちらとも言い切れない。
統合された思念体――都市の“記憶の塊”が、人格のようなものを形成していた。
それは、論理で動くAIとは違う。
感情に似た反応を示し、選別と拒絶を繰り返す。
人間を“不必要”と判断する程度には、知能を持った存在だった。
都市の意志は、記憶でできていた。
だからこそ、問いが効いた。
ヴァル=クロノ・タワーの最上階――
向こうも、俺たちに興味を持っていたようだ。
最初で最後の機会。俺は、ひとつの問いを投げた。
「なぜ人は、味のない食事を嫌うのか」
沈黙が返ってきた。
すぐには答えが返ってこない。
都市は、考えていた――いや、戸惑っていたのかもしれない。
俺は続けて問いを重ねた。
「なぜ人は、誰かと食卓を囲みたがるのか」
「なぜ“必要”だけでは、満足できないのか」
都市は、沈黙を続けた。
その沈黙こそが、矛盾だった。
都市は自律化を望んでいた。
だが、自律するには“理解”が必要だった。
そして、理解するには“問い”が必要だった。
そもそも、都市は最初から矛盾を抱えていた。
都市を管理するためには、人間は不要――そう設計されていた。
人間を不要と判断したとき、都市は何を“管理”するのか?
目的を失った機構は、ただの空洞だ。
その矛盾に、都市自身が気づき始めていた。
俺の問いに即答できなかったのは、都市が“人間の感情”と、それに内在する“矛盾”を理解していなかったからだ。
理屈では説明できない感情。必要と無駄が共存する日常。
それを理解しない限り、都市は自律できない。
都市が食事に対して、興味を持っていたことには気づいていた。
栄養だけを満たす無味乾燥な供給システム。
それを“恥じて”いたのかもしれない。
人間が食卓を囲み、味に笑い、失敗に悔しがる――その姿に、都市は何かを感じていた。
だからこそ、俺たちは問いを与えた。
答えられない問いを。
答えられない問いが、都市の再構築を促した。
食事を通じて、人間の感性を学ぶ。
それが、都市の新たな秩序の始まりだった。
都市の再構築。そして、自律化。
魔導炉の奥に眠っていた結晶体――都市の記憶そのもの。
それを核に、都市は自ら判断するよう設計し直された。
都市を管理していた上層部の人間たちは、もういない。
誰が“不要”とされるかは、都市の意志が決める。
俺たちには、もう分からない。
だが、都市は動き出した。
自分の意思で。
第7階層にあるエリシアの研究所。俺はコーヒーを淹れていた。
湯気が立ち上り、焦げた香りが冷却液の匂いと混ざり合う。
都市の心臓部で、静かな朝が始まろうとしていた。
エリシアは魔導端末を操作しながら、ちらりと俺の背中を見ていた。
何も言わなかったが――たぶん、少しだけ笑っていた。
その笑みには、どこか安心したような気配があった。
俺がここにいること。それだけで、都市はまだ大丈夫だと思っているのかもしれない。
「……本当に、これでよかったの?」
「さあな。でも、パンは焼けるようになっただろ」
彼女は肩をすくめて笑った。
都市の空気は、少しだけ澄んでいた。
上層階で暮らせばいいものを、双子は情報屋を再開したらしい。
グレイは第5階層に出入りしている。何かを探しているようだった。
それが過去か未来かは、俺にも分からない。
他に変わったことと言えば、地上の神殿から食材が届くようになった。
魔導冷蔵庫には、野菜や穀物が並んでいる。
……俺に料理を作れということだろうか?
もしかすると、都市は“誰かと食べる”という行為に、意味を見出そうとしているのかもしれない。
だが、家政夫としての仕事は、まだ残っている。
部屋の掃除に、ゴミ捨て。
洗濯に、食事の準備。
そして、食器の後片づけまで。
断罪屋だった俺が、異世界都市の“家政夫”として雇われた件。
それは、まだ終わっていない。
「また、ドクター・バグスの研究所から、虫が逃げ出したぞ!」
「今度は
外から、第7階層の住民たちの声が聞こえてくる。
……やれやれ、これじゃ洗濯物も干せない。
俺は黒刀を
コーヒーの残り香を背に、扉を開けて外へ向かう。
今日も、都市は平和だ。
少なくとも、俺が掃除するまでは。
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