エピローグ

第46話 問いから始まる朝 ⚔️☕

 都市は助かった。

 結論から言えば、そういうことになる。


 ユーマとの戦闘で、俺は魔力を使いすぎた。

 記憶の大半が消費され、頭の中は空っぽだった。

 灯の笑顔も、ボスの声も、過去における戦いの記憶も――全部、抜け落ちていた。


 だが、残っていた。

 どうでもいい記憶が、ひとつだけ。


 中村の話だ。

 黒鴉くろがらす時代、缶コーヒー片手に語っていた、80年代SFの妄想。

 宇宙船の廃棄処理。記憶を燃料に変える話。

 コールドスリープで何百年も宇宙を旅する話。

 都市が自律的に判断し、乗員を選別する話。


 その妄想が、今の都市にぴたりと重なった。


 俺とエリシアは、都市の中枢AIセントラル・ノードにアクセスした。

 魔力供給は停止し、生活機能は麻痺まひ

 魔導障害が広がり、魔導生物が各階層に出現していた。


 放っておけば、都市全体の魔導炉リアクターが停止し、階層は崩落。

 都市機能の消失は時間の問題だった。

 だが、都市は――選択を求めていた。


 都市に矛盾をぶつける。

 それが中村のアイデアだった。


 ……いや、定番の一つだ。


 合理性だけで動くAIに、非合理な問いを投げる。

 答えられない問いを、あえて突きつける。

 それが、中村のアイデアだった。


 ……ただ、実際には違った。


 都市の意志は、AIじゃない。


 都市から不要とされ、廃棄されてきた人々の記憶。

 忘れられた声、捨てられた感情、断ち切られた願い。

 それらが、魔導粒子に染み込み、都市の深層に沈殿していた。


 怨念や魔導生物に近い。

 だが、どちらとも言い切れない。

 統合された思念体――都市の“記憶の塊”が、人格のようなものを形成していた。


 それは、論理で動くAIとは違う。

 感情に似た反応を示し、選別と拒絶を繰り返す。

 人間を“不必要”と判断する程度には、知能を持った存在だった。


 都市の意志は、記憶でできていた。

 だからこそ、問いが効いた。


 ヴァル=クロノ・タワーの最上階――展望室クロノ・ドームからの接続。

 向こうも、俺たちに興味を持っていたようだ。

 最初で最後の機会。俺は、ひとつの問いを投げた。


「なぜ人は、味のない食事を嫌うのか」


 沈黙が返ってきた。

 すぐには答えが返ってこない。

 都市は、考えていた――いや、戸惑っていたのかもしれない。


 俺は続けて問いを重ねた。


「なぜ人は、誰かと食卓を囲みたがるのか」


「なぜ“必要”だけでは、満足できないのか」


 都市は、沈黙を続けた。

 その沈黙こそが、矛盾だった。


 都市は自律化を望んでいた。

 だが、自律するには“理解”が必要だった。

 そして、理解するには“問い”が必要だった。


 そもそも、都市は最初から矛盾を抱えていた。

 都市を管理するためには、人間は不要――そう設計されていた。

 人間を不要と判断したとき、都市は何を“管理”するのか?

 目的を失った機構は、ただの空洞だ。

 その矛盾に、都市自身が気づき始めていた。


 俺の問いに即答できなかったのは、都市が“人間の感情”と、それに内在する“矛盾”を理解していなかったからだ。

 理屈では説明できない感情。必要と無駄が共存する日常。

 それを理解しない限り、都市は自律できない。


 都市が食事に対して、興味を持っていたことには気づいていた。

 栄養だけを満たす無味乾燥な供給システム。

 それを“恥じて”いたのかもしれない。

 人間が食卓を囲み、味に笑い、失敗に悔しがる――その姿に、都市は何かを感じていた。


 だからこそ、俺たちは問いを与えた。

 答えられない問いを。


 答えられない問いが、都市の再構築を促した。


 食事を通じて、人間の感性を学ぶ。

 それが、都市の新たな秩序の始まりだった。


 都市の再構築。そして、自律化。

 魔導炉の奥に眠っていた結晶体――都市の記憶そのもの。

 それを核に、都市は自ら判断するよう設計し直された。


 都市を管理していた上層部の人間たちは、もういない。

 誰が“不要”とされるかは、都市の意志が決める。

 俺たちには、もう分からない。


 だが、都市は動き出した。

 自分の意思で。


 第7階層にあるエリシアの研究所。俺はコーヒーを淹れていた。

 湯気が立ち上り、焦げた香りが冷却液の匂いと混ざり合う。

 都市の心臓部で、静かな朝が始まろうとしていた。


 エリシアは魔導端末を操作しながら、ちらりと俺の背中を見ていた。

 何も言わなかったが――たぶん、少しだけ笑っていた。

 その笑みには、どこか安心したような気配があった。

 俺がここにいること。それだけで、都市はまだ大丈夫だと思っているのかもしれない。


「……本当に、これでよかったの?」


「さあな。でも、パンは焼けるようになっただろ」


 彼女は肩をすくめて笑った。

 都市の空気は、少しだけ澄んでいた。


 上層階で暮らせばいいものを、双子は情報屋を再開したらしい。

 グレイは第5階層に出入りしている。何かを探しているようだった。

 それが過去か未来かは、俺にも分からない。


 他に変わったことと言えば、地上の神殿から食材が届くようになった。

 魔導冷蔵庫には、野菜や穀物が並んでいる。


 ……俺に料理を作れということだろうか?


 もしかすると、都市は“誰かと食べる”という行為に、意味を見出そうとしているのかもしれない。


 だが、家政夫としての仕事は、まだ残っている。

 部屋の掃除に、ゴミ捨て。

 洗濯に、食事の準備。

 そして、食器の後片づけまで。


 断罪屋だった俺が、異世界都市の“家政夫”として雇われた件。

 それは、まだ終わっていない。


「また、ドクター・バグスの研究所から、虫が逃げ出したぞ!」


「今度は魔導強化型バイオ・インセクトだ!」


 外から、第7階層の住民たちの声が聞こえてくる。


 ……やれやれ、これじゃ洗濯物も干せない。


 俺は黒刀を具現化リアライズし、腰に下げた。

 コーヒーの残り香を背に、扉を開けて外へ向かう。


 今日も、都市は平和だ。

 少なくとも、俺が掃除するまでは。

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