第四章 都市の心臓、記憶の罠

第25話 都市の沈黙が告げるもの ⚔️🕳️

 螺旋状浮遊都市『ヴァル=ノクス』での階層間の移動は、リフトや魔導エレベーターとなる。

 しかし、それは正規の移動ルートだ。

 今回は階層間の移動にリフトも魔導エレベーターも使わない。

 俺たちが頼るのは、魔導炉のエネルギーを使った転移装置──通称「ポート」だ。


 エリシアいわく、「魔導粒子演算で空間座標を特定し、記憶データを鍵に転移を実行する」らしい。

 要するに、都市の魔導ネットワークに接続して、個人の記憶ログを照合しながら座標を固定する仕組みだ。

 都市の意思が“許可”した者だけが、この装置を使えるというわけだが……正直、俺には理屈はさっぱりだ。


 「都市そのものが魔法で編まれていると考えればいいわ」と彼女は言っていたが、俺はその時点で理解をあきらめた。

 結局のところ、転移装置ポートを使えるのは都市の上層部に属する限られた人間だけ。

 俺たちが今回使えたのは、エリシアの魔法と、双子の情報屋が提示した“安全なルート”のおかげだ。


 転移装置ポートは、第7階層の廃墟はいきょになった企業施設の地下に眠っていた。

 都市は全10階層。その中で第7階層は、下から数えて4番目――中層の底辺といった場所だ。

 上層から流れてくる排気や魔導廃棄物が溜まり、空気はどこかげ臭い。


 それでも、ここには訳ありの連中が集まっている。

 元軍人、落ちぶれた研究者、情報屋……表に出せない過去を抱えた者たちの吹き溜まりだ。


 治安はまあまあ。野良の改造人間キメラがたまに出てくるし、火を吹く巨大ゴキブリが空から降ってくることもある。

 警備ドローンが巡回しているが、抜け道も多い。

 今回はその“穴”を使わせてもらった。


 都市の管理外にある転移装置ポートを使って、第7階層から第5階層へ跳躍ちょうやくする。

 以前みたいに排気ダクトをいずり回る必要はない。

 エリシアがいたからこそ、こんなルートが使えた。


 廃墟の地下に眠る転移装置ポートは、八本の柱が円を描くように配置された空間にあった。

 柱の表面には魔導炉由来の紋章が刻まれていて、どれもかすかに脈動している。

 俺たちはその中心に立ち、息を潜めた。


 エリシアが魔導粒子を操作すると、空気が震えた。

 彼女の指先が描いた軌跡に沿って、地面に光の魔方陣が展開される。

 淡い青白い光が床を這い、円環が幾重いくえにも重なっていく。

 魔方陣の中心に立つ俺の足元から、熱とも冷気ともつかない感覚がじわじわと這い上がってくる。


「座標、固定。記憶ログ、照合完了」


 エリシアの声が響いた瞬間、柱が一斉に光を放った。

 空間がゆがみ、視界がノイズのように揺れる。

 重力が消えたような浮遊感――そして、次の瞬間、俺たちは跳んだ。


 転移は成功。気づけば、別の場所にいた。魔導排気制御塔の一室。

 企業が管理する排気調整施設で、今も稼働中。

 排気塔の壁面には魔導炉の熱が伝わっていて、空気は乾いているのに、どこか焦げた匂いが漂っていた。


 今回は排気制御塔の稼働タイミングを突いて、侵入ルートとして利用した。

 情報通り、施設内に監視の目はない。

 音を立てないように廊下を抜け、施設の外へと出る。


 ここからは徒歩。都市の心臓部に近づくほど、空気が重くなる。

 俺は黒刀の柄に手を添え、周囲を警戒しながらエリシアを先導する。


「……やはり、ここはダメか」


 前回、逃走に使ったルートは封鎖されていた。

 浄化のしおりにも、そう記されている。

 仕方ないとはいえ、派手にやりすぎたらしい。

 戦闘でビルが崩落し、通路は瓦礫がれきふさがれ、魔導管も破損している。

 警備用ドローンの巡回数も増えていた。


 双子の情報屋が提示した別ルートを使うことにする。

 かつて兵器の暴走があった場所で、今は危険区域として封鎖されている。


 「死の罠DEATH TRAP」――そう警告がかかげられていた。つまり、入ったら死ぬってことだ。

 だが、俺は構わず侵入する。周囲の安全を確認した後、エリシアを招き入れた。


 俺を先頭に歩き出した途端、空気が変わった。

 都市の腐敗ふはいした魔力が濃くなり、視界のはしに異形の影が揺れる。


 最初に現れたのは、野良の合成獣キメラ

 トラ獅子ライオンが可愛く見えるほどの巨体。

 身体の一部が機械化されている。


 第5階層では、こうした合成獣キメラの製造が盛んだと聞く。

 都市のバイオ技術が生み出した、複数種の生物を融合させた忌まわしい存在。


 捨てられたのだろう。

 飼えなくなった無責任な飼い主が、処理に困って放り出した。

 日本でも、飼い猫が野良になるケースは珍しくない。


 見つけたら警察や愛護センター、区役所に連絡する必要がある。

 病院でマイクロチップを確認すれば、飼い主が判明することもある。

 三ヶ月間は落し物扱いで所有権は元の持ち主にあるらしい。

 それを過ぎれば、里親を探すしかない。猫のためにも、早めに動くべきだ。


 だが、ここ『ヴァル=ノクス』にそんな仕組みはない。


 俺は黒刀を抜いた。刃が空気を裂く音が、耳に残る。

 断罪の一閃――首を落とした。

 断末魔の咆哮すら許さず、合成獣キメラは静かに崩れ落ちた。


 機械と肉が混ざった巨体が、罅割ひびわれた地面に沈む音だけが響く。

 都市の闇が生み出した命は、都市の闇に飲まれて消えた。


 次に現れたのは、巨大なだった。

 魔導炉の副作用で異常進化した昆虫で、空をるように飛んでくる。

 羽根は金属のように鈍く光り、魔導灯マナ・ライトの明かりに反応して、軌道を変えた。


 猛毒の鱗粉りんぷんを巻き散らしながら、ゆっくりと旋回する。

 通りがかっただけで、毒に侵されるほどの濃度だ。

 気づかずに通過していたら、肺が焼けていたかもしれない。


 エリシアが風魔法を放った。

 空気が刃となってうなりを上げ、蛾の胴体を切り裂く。

 羽根が千切れ、鱗粉が舞い散る中、蛾は無音のままちていった。


 彼女の魔法は、いつも美しく、そして容赦がない。

 ……だが、家の掃除には向かない。


 それ以外は特に問題もなく、俺たちは『ヴァル=クロノ・インダストリィ』の魔導炉分室に到着した。

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