第23話 都市の罪と家政夫の誓い ⚔️⚙️

 研究室の灯りは、魔導灯マナ・ライトと、俺が持ち帰ったオルド結晶の残光に照らされていた。

 粒子の光が壁に淡く揺れ、空気は静かに沈んでいる。

 俺は椅子いすに腰を下ろし、エリシアの話を待った。

 彼女は窓の外――都市の外縁に広がる粒子層を見つめたまま、静かに語り始める。


「私が師匠と出会ったのは、まだ第4階層の魔導学院にいた頃。でも、それはヴァル=ノクスじゃない。大崩壊より前、別の都市での話よ。当時は、ヴァル=ノクスのような浮遊都市がいくつもあって、地上にも人が暮らしていた。ただ、地上の人々は、都市に住む者たちによって管理されていたの。その構造に疑問を持った私に、師匠はこう言ったの。“この都市は、空に浮かぶために、地上を捨てた”――と」


 俺は眉をひそめる。

 たしかに、ここに来てから地上に降りたことは一度もない。

 そもそも、大崩壊以降、地上は人が住めない場所になったと聞いている。

 だが、彼女の話はそれよりも前の記憶だ。


「……地上を捨てた?」


 俺の問いに、エリシアは静かに頷いた。

 粒子の光が彼女の横顔を照らし、視線はどこか遠くを彷徨っていた。


「ヴァル=ノクスの浮遊は、魔導炉によって維持されている。他の都市も同じ仕組みよ。でも、その炉は、都市の“感情”を燃料にしているの。怒り、恐怖、絶望――人々の負の感情を結晶化して、浮遊力に変換する」


 俺はしばらく言葉を探し、ぽつりとつぶやいた。


「……つまり、都市は人の心を削って、空に浮かんでるってことか。誰かの苦しみが、都市の重力を支えてるってわけだな」


 この世界では、人の記憶や感情――それが魔法の原料になる。

 怒りも、恐怖も、絶望も。

 都市はそれを抽出し、結晶化し、魔導炉の燃料にしている。


 恐らく、地上の人々は、都市のエネルギー源として利用されていたのだろう。

 感情をしぼり取られ、記憶を削られ、ただ浮遊のために消費される存在として。


 エリシアは再び頷いた。

 その横顔は、研究室の残光に照らされて、まるで過去の亡霊を見ているようだった。


「師匠はそれを“都市の罪”と呼んだ。だから、魔導炉の構造を解析して、暴走の危険性を警告した。でも、父は耳を貸さなかった。むしろ、師匠の研究を利用して、炉の出力をさらに上げようとしたの」


 彼女の「父」という言葉に、俺は思わず拳を握る。

 第5階層で見せられた大崩壊の記憶がよみがえる。

 指先に力が入りすぎて、関節がきしんだ。


エリシアの父――都市を運営する企業連合の中枢にいる人物で、実質的なCEOといっていいだろう。

 魔導炉の開発と管理を統括する立場にありながら、その危険性を知りつつ、出力強化を推し進めた張本人だ。

 都市の浮遊を維持するためなら、犠牲も手段も選ばない。

 それが、彼女の父のやり方だった。


「それで、夕眞……いや、ユーマもまた、それを再現しようとしてるのか」


 エリシアは結晶を手に取り、脈動する光をじっと見つめた。

 粒子がゆっくりと揺れ、彼女の瞳に淡く反射する。

 その光は、都市の奥底に眠る何か――

 忘れられた罪が、再び目を覚まそうとしているようだった。


「企業の最初の目的は、魔法エネルギーの独占だった。都市の浮遊も、炉の増幅も、すべてはその目的に沿っていた。そして、その思想の根幹にあるのが――『漂界遺物ドリフテッド レリクス』の意志よ」


 彼女の声は静かだったが、言葉の奥には確かな怒りがあった。

 俺のいた世界では、それは『異世界漂流物オーパーツ』と呼ばれていた魔道具。

 文明を崩壊させ、そのエネルギー――つまり魂の力を吸収して、別の世界へ渡る。

 それが『漂界遺物ドリフテッド レリクス』だ。


 沈黙が場を満たす。

 都市の外は、かつての文明の残骸が風にさらされる荒野となり、人の気配は消えていた。

 それでも、道具は次元を超え、異なる進化を遂げていく。

 まるで、文明の死をかてにして、次の世界へと跳躍ちょうやくするかのように。


 だが、同じ規模のエネルギーを再び集めるのは難しい。

 ユーマの目的は、別にある――そう考える方が自然だ。


「師匠は、その罪を一人で背負おうとした。企業による完全な地上の管理。下層を切り捨て、上層だけを残す計画。魔導炉の暴走は、“選別”の手段だった」


 俺は動かず、ただ確認のために言葉を選んだ。


「……エリシアは、それを止めようとして、追放された」


 しかし、彼女は首を横に振った。

 その表情は、過去を見つめるように遠かった。


「いいえ。私はまだ未熟だった。父に軟禁されていて、自由には動けなかった。でも、師匠も同じことを考えていたみたい」


 つまり、彼女の師――アグリスは、大崩壊を止めようとして動いていた。

 企業に従うふりをして、機会をうかがっていたのだろう。


「結局、師匠は消されて、都市も崩壊した。生き残った人々は、地上に残されたこの場所へと移動した。都市の中枢AIセントラル・ノードが人間の受け入れを判断し、プレートを再構築したの。私たちのいたプレートは新たな都市の一部となり、第5階層の住人になった。でも、AIの暴走で事故が起きて、私はこの第7階層へ逃げてきた」


 俺は、第5階層の惨状を思い出す。ほぼ無人となった街。

 崩れた建造物、焼け焦げた通路、誰もいない居住区。


 結局、人は変われない。

 どれだけ犠牲を払っても、また同じことを繰り返す。


 兵器開発をしていたということは、武力で上層を支配しようとしたのだろう。

 だが、都市のAIはそれを許さなかった。兵器は暴走し、制御不能となった。


「都市は、真実を語る者を拒絶する。だから、私はあなたに託したの。家政夫として――都市の“汚れ”を掃除する者として」


 俺は窓の外を見た。相変わらず、灰色の景色が続いている。

 粒子層の向こうに広がる都市は、静かに呼吸を止めているようだった。


「……次は、心臓を掃除する番だな」


 エリシアは微笑んだ。

 その表情には、わずかな希望と、深い覚悟が混ざっていた。

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