第7話


「……シロ?」


伸ばされたクロイくんの腕が、私に届く直前で掴み上げられている。私を庇うように立っていたのは、真っ白な羽を背中に宿したシロだった。パッと見て分からなかったのは、その髪が綺麗な黒色じゃなかったから。


「シロ、髪の毛が銀色になってる…!」

「大丈夫だ!魔力枯渇状態の時の一時的なものだから!そんなことよりもカスミ!!」

「ひぇっ」


クロイくんの腕を掴んだままシロが怒鳴る。私は思わず背筋を伸ばした。怒っている。しかもかなり。私は先程までとは違う汗を滝のように流した。


「俺というものがありながら、悪魔と単身契約するとは何事だ!しかもコイツ、カスミが選べないのを分かってて契約を持ち出してきてたんだぞ!お前の寿命取る気満々だったんだぞ!」

「あらぁ、さすがは天使様。全部お見通しかぁ」

「本っ当に腹立つなコイツ!手の力を緩めろ!!」

「やだよぉ。オレまだ不履行のペナルティ回収できてないもん」


ペナルティ。私の命。言葉が線で繋がったり瞬間、私は顔を青くする。クロイくんが私の顔を見て舌なめずりをした。


「なーに、怖い?可愛いねお馬鹿さん♡あ、そうだ!今ならまだ間に合うよ!この不届き野郎の命をシロの身体に注ぎ込めばぁ…」

「だーかーらー!契約は破棄だ!お前は目覚めない俺を生き返らせるという条件だったんだろう!?それは俺が目覚めてしまっているから成り立たない!以上!」

「えー、やだやだ、カスミちゃんの寿命ほしい」

「ワガママ言うな!!」


ギャーギャーと子どものように騒いでいる二人を見て、私は肩の力が抜けた。先程のような緊張感もなくなり息を吐く。まだ震えている手のひらをギュッと握りしめる。シロが目覚めた。思わぬ形ではあるけれど、私の願いは叶ったのだ。涙がこぼれ落ちそうになって、唇を噛み締める。


…だから、私の腕を掴み上げた存在のことを、すっかり忘れていたのだった。


「ふざけんなよ…人を散々コケにしやがって…!!」


怒りに満ちた言葉と共に、右腕に鋭い熱が走る。二の腕を伝い、指先からこぼれ落ちる赤色に、遅れたように痛みがやってきた。


「いっ……!?」

「カスミ!!」


血をこぼせば用済みと言わんばかりに、肩を押されてシロの腕の中に倒れ込む。右腕が痛い。生理的な涙がにじむ視界で、目の前の光景を必死に見上げた。


「バカ!天使が悪魔を召喚する気か!?どんな代償があるか分からないのに…!」

「うるせぇ!お前らをぶちのめす為なら、なんだってやってやるよ!!」


怪しげな魔法陣の中心に、私の血がこびり付いたナイフが落とされる。天使が呪文を唱える。シロが私の目を塞ごうとした。


______瞬間、魔法陣から飛び出てきた何かが、天使の身体を丸呑みにしてしまった。


「っクソ!!」


シロが私を抱え込み、飛び跳ねるように後退する。それについてきたクロイくんがシロに話しかけた。


「ねぇねぇ、アレどうすんの?結構上級っぽいけど…」

「浄化する!するしかないだろう!!」


浄化。ということは祝福を使うつもりだ。私はその髪の毛を見上げて、慌てて縋り付いた。


「ダメだよシロ、危ないよ!」

「だが、このまま放っておけば何の罪のない人間をも巻き込んでしまうことになる!そうなれば厳罰は避けられない!」

「厳罰って…」


シロが呼び出したわけじゃないのに、それに恐らくとても強いのに、立ち向かわなかったらシロが罰を受けないといけないの?そんなのおかしいよ。


「これは試練だ。俺は上位天使になるためのな!!」


____死んじゃうかもしれないのに、どうして。



『助けてやろうか?』

「え……?」


クロイくんが真剣な表情でこちらを見つめた。シロじゃなくて私。私に視線が向いている。


『今度はちゃんとした契約だ。オレと契約すれば助けてやるよ。簡単っしょ?対価は…アンタの寿命10年分でいいよ』

「カスミ!そいつの言葉には耳を貸すな!」


10年分。それくらいなら。そう思ってしまった私に、シロの鋭い言葉が刺さる。


「そいつは悪魔!俺たちと同じく実習で人間の寿命を集めて回ってる輩だ!ノルマを達成するために、お前に声を掛けているだけに過ぎない!」

「輩ってひど。オレら幼馴染じゃん」

「家が隣ってだけだろ!」

「中学校まで連れ添ったマブダチじゃ~ん」

「やめろ!一緒にするな!!」

『でも、ぶっちゃけ、今のお前じゃ勝てないよ』

「っ、」


シロが息を呑む。勝てないと、そう言ったクロイくんの言葉を、シロは否定しなかった。私は思わずシロの手のひらを掴む。シロは握り返してはくれなかった。


『じゃ、お前がカスミちゃんの代わりに契約する?悪魔と取引した天使は堕天すっから、オレらとお仲間になるけどぉ』

「……っ!」


ダメだ。シロの気持ちが揺らいでいる。私がいるから。私の寿命が天秤にかけられているから。気にしなくてもいいのに。私は大丈夫だから、お願いシロ。


諦める理由を、私なんかにしないで!!


「俺は…!」

「ダメ!シロは上位天使になるんだからダメなの!!」

「カスミ…!?」


私は慌ててクロイくんとシロの間に割って入る。そしてシロに背を向け、クロイくんに目を向けた。クロイくんの瞳が妖しげに細まる。


「いいよクロイくん。私の寿命あげる。その代わり、」

『ありがとう、お馬鹿さん♡』

「っカスミ!!」


ぐらり。視界の端が真っ黒になって消えた。足を支えていた感覚がなくなり、地面に顔から倒れ込む。

……あれ?あれ?何でだろう。身体が動かない。

先程まで大きく主張していた気配が消える音がする。クロイくんが、珍しく驚いたように呟いた。


『………あれ、寿命足りねぇや』

「カスミ!カスミ!!」


バタバタと走る音。冷たくなっていく身体を必死に抱きしめてくれているシロが、悲痛に満ちた声で私の名前を呼んでいる。クロイくんが、どこか呆然としたように呟いた。


『え?もしかしてソイツ、今日死ぬの?』  

「っだから迎えにきたんだ!!」 


天使の実習は人間の願いを叶えること。そして、一つの死ぬべき魂を導くこと。この二つをノルマとして課せられていたのだとシロは言う。

……死ぬべき魂。それが私だったのだと分かってしまった。シロが強く強く私を抱きしめる。


「カスミは今日死ぬんだ。死ぬはずだったんだ。それを導くのが普通で、それが俺の仕事で……」

『でもソイツ、悪魔に寿命を借金したことになるよな。そう簡単に逃がしてはもらえなくなるんじゃ…』

「……しんで、ほしくない」

『オイ待て。お前まさか、』


ぶわり。飛びかけた意識の中でも、一際一等輝く光が眼の奥に焼きついた。冷たくなっていくだけの身体が、光に照らされた部分から熱を取り戻していくような感覚がする。シロが、泣き叫ぶような叫びを発した。


「全ての生命に祝福を!!祈りを!!」

『オイ!!お前これ______!』


「“光あれフィアト・ルクス”!!!」


『天使が輪廻転生する時に使う魔法だろうがよ!!』


______視界が、真っ白な光に包みこまれた。








*************





…お姉ちゃんと一緒に囲むバースデーケーキが、世界で一番大嫌いだった。


私とお姉ちゃんは3つ差の姉妹で、生まれた日が同じだった。だから、お祝いごとも何もかも一つにまとめられて、一緒の祝福を受けた。

……うそ。一緒なんかじゃなかった。良い子で優秀だったお姉ちゃんは、いつも光を浴びていた。

何をしても敵わないの。全部お姉ちゃんがやってきたことだから。テストで良い点を取っても、家の手伝いを頑張っても、それを上回る形でお姉ちゃんがすごいことをする。バカにされてるのかと思った。だけど、お姉ちゃんは心まで清らかだった。私は心まで醜かった。そんな違いなんていらなかった。

出来る子、良い子は両親から愛される。友だちからも愛される。先生からも愛される。私は正反対で、いつもお姉ちゃんと比べられてばかりだった。

そんな私にも、お姉ちゃんは優しかった。優しくしてくれるお姉ちゃんが、私は大好きで、大好きで、大嫌いだった。


私が14歳の頃、あのホームビデオを撮った数週間後、お姉ちゃんは死んだ。事故だった。限りなく加害者が悪いものであったから、死んでからも姉は称えられ続けた。両親は、いなくなったお姉ちゃんの姿を追い求めて、私の存在を認識しなくなった。お姉ちゃんの死を悲しいと思えなかった私に、両親から愛される資格はないと思った。日に日にお姉ちゃんに近づいていく私を見た両親は、私にお姉ちゃんの面影を求めた。それが怖くなったから逃げ出した。学園の寮に入ったのはソレがきっかけだ。偽物の愛情なんて欲しくなかった。


愛されるってなんだろう。必要とされるってなんだろう。何となく生きてきた16年間を振り返っても、答えなんて出そうになかった。愛されることを知らない私が、誰かから愛されることなんてあるわけないのに。


誰も私を知らないところに行っても、誰も私を必要としてくれることはなかった。それが楽だとも思ったし、すごく寂しいとも思った。


私の願いって何だろう。祈りってなんだろう。誰かから必要とされたい?求められたい?それよりも、もっともっと根底にあるもの。


私、私の祈りはね。簡単なようで、実は誰も叶えてはくれないこと。




____誰かの1番になりたい。愛されたいよ。










『それがお前の本当の願いだな!聞き届けた!!』



奥底で涙を流す私の手を、誰かがひいてくれたような気がした。

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