第4話

朝起きると、ベッドの横でシロが発光していた。


「カスミ!カスミ!すごいぞこれ!!」

「朝日が負けてる…頑張って…」


ニカーッと明るい笑顔が3割増ぐらい眩しくて鬱陶しい。カーテンを開けたのに部屋の中の方が光が強くて、私は顔のパーツを中心にギュッと寄せながら半泣きで呟いた。それに気づいたシロが慌てて光束を抑えてくれたけど、電池がそこそこ残っている懐中電灯みたいな明るさだった。

どうやらこの発光は、魔法を使ったときと誰かの願いが成就した時に出される合図のようなものらしい。朝ごはんの食パンを食みながらシロが言った。


「“五月雨心露と離れられますように”…か。アイツよっぽど嫌われてたんだな」

「そうだね…」


口ではそう言いつつも、私は内心ドキドキしていた。今までとは比べものにならないほどの光の強さ。これでシロの言っていたノルマが達成されてしまって、シロが天界に帰っちゃったらどうしよう。そんな私の考えを見透かしたのか否か、シロはやや残念そうに眉を下げる。


「でも、成果はたったこれだけか…まだまだ天界には帰れそうにないな」

「そっか。そうだよね!」

「…カスミ、何か嬉しそうだな?」

「んーん、別に!」


私は牛乳を一気に流し込み席を立つ。「寝癖ちゃんと治すんだぞ!」と口うるさいシロの言葉を聞きながら、私は洗面所へと足を運んだ。




「ねぇねぇ、天使様って知ってる!?」


ぴくり、隣に浮かんでいるシロの耳が震える。私も思わず声の方へ視線を向ける。五月雨さんが教室からいなくなり、クラス女子のグループは分散した。その中でも割と派手な部類に入る女の子たちが話しているようだった。


「知ってる知ってる。最近流行ってるよね。願いを何でも叶えてくれるんでしょ?聖堂にしか現れないって話だったけど、最近学園の彼方此方で目撃されてるって噂」

「えー、そうなの!?わたしのとこにも来てくれないかなぁ。推しのライブの当選確率上げてください!」

「バッカ、まずは期末テストでしょ?」

「そんなのよりわたしはこっが大事!天使様、天使様!お願いしまーす!!」


…その日から、唐突に天使様を唱える人が増えた。どこから広がったかは分からないけれど、シロはこれを好機だと捉えているみたいだ。私に一言断りを入れ、瞳を輝かせながら誰かのもとに飛んでいく。私の知らない、様々な人間の元に飛んでいく。それが何だか面白くないと思ってしまう自分がいた。

シロが天界に帰りたいと思ってるのは知っている。だけどシロが帰ってしまったらすごく寂しい。だから、少しでも長くシロが側にいてくれますようにと、天使様にも言えないような祈りを抱えてしまっている。自分の醜さが少しずつ浮き彫りになっていく気がして、すごく嫌だった。


「十川さん、次の問題もう解けた?」


呼ばれた名前に、私はハッと顔を上げる。私を不思議そうに見つめる女の子を認識する。セミロングヘアに丸っこい輪郭が特徴の佐藤涼花サトウ スズカさん。五月雨さんの席がなくなったことで隣の席になって、最近話すようになったクラスメートだ。


「まだ、できてない。佐藤さんは?」

「あたしはもうできたわ。後10分で授業終わるし、さっさと解いちゃった方がいいわよ。次移動教室だし」

「う、うん。そうだね」


佐藤さんとは、何となく一緒にいるようになった。特有のルールがなくなって自由になったのも大きかったのかもしれない。自習時間にはお喋りしながら問題を解くし、移動教室は常に彼女と一緒だ。ペア学習で一人ぼっちになることもないし、お昼休みも教室の外で食べなくてもいい。今まで当たり前じゃなかったことが日常に溶け込んできて、何となく不思議な気分になる。

これって、そういうことだよね。お友だちできたって思っても良いんだよね。クロイくん以外で初めてできた人間のお友だち!私はすごく嬉しかった。


お昼休み。ご飯を食べ終わってお菓子をつまんでいた。いつもなら屋上階段か裏庭でシロと食べていたけれど、シロは忙しいからここ数日は佐藤さんと一緒だ。


「十川さんって、天使様の事信じる?」

「…あの噂の?」


教室で聞かない日はなくなった天使様の噂。シロの噂。佐藤さんはどこか夢を見ているようにウットリとした表情で笑った。


「…あたしね、天使様のおかげでたくさん救われたの。だから信じてるのよ」

「そうなんだ」

「でも姿を見れたことはないの。会ってみたいのに」

「そっか」


たくさん救われた、その言葉に何となく違和感を抱きながらも流してしまった。私が天使様のことについて詳しいのは隠しておいたほうがいいと思ったから。心の奥底にできたシコリは見ないふりをした。


放課後一緒に帰ろうと誘われて、廊下を佐藤さんと並んで歩く。本当は明日からテスト期間だから、部活動禁止週間になる前にクロイくんとお話をしたかったけど、お友だちの誘いを断るわけにはいかないと諦めた。

とりとめのない話題が続いていく。本当は全部が全部興味があるわけじゃないけど、真剣に聞いて頷いた。話半分に聞くのは失礼だと思ったから。

ペラペラと回っていた口が、ふと止まる。視線が私の後ろに反れる。私もつられて振り返ると、黒表紙の本を数冊抱えたクロイくんがヘラリと笑って手を振った。


「こんにちわ、カスミちゃん」

「わ、クロイくんだ」

「この前のおサボり日以来だね。俺これから部活だけど、今日実験室顔出さないの?」

「うん。今日は、」

「こんにちわ黒井くん!!!」

「えっ」


突然、私を押しのけるように一歩前に出た佐藤さんが叫んだ。一瞬ギョッとしたクロイくんが、取り繕うように曖昧な笑みを浮かべる。


「こんにちわ…?えーっと君は、カスミちゃんのお友だち?」

「はい!佐藤涼花です!十川さんとは隣の席で…!」

「そっかぁ。この子分かりづらいけど、本当はすっごい良い子だから、これからも仲良くしてあげてねぇ」

「ちょ、クロイくん近いよ」

「…はい」


クロイくんを見つめ、少しだけ私を見つめた佐藤さんが静かに頷く。私の肩に置かれた手を振り払うと「やだ、カスミちゃん冷たい!」と駄々を捏ねるクロイくん。私はさっさとそれを振り切って佐藤さんと先を急ぐことにした。


「……十川さんって、黒井くんと仲良いのね」

「え?」


佐藤さんが後ろでボソッと何かを呟く。何を言ったのか聞き取れなくて聞き返すけど、佐藤さんは笑っただけだった。


「ねえ、十川さんじゃなくてカスミって呼んでいいかしら?」

「え、うん。いいけど…」

「私も涼花って呼んでいいわ」


これからもよろしくね!1人になった帰り道、そうやって握られた右手を見つめる。強く強く握られた手はすごく痛かった。






*********






「今日嬉しそうだな。何かあったのか?」


当番制のお皿洗いをするシロが、流し台から声を掛けてきた。私はテスト課題に向き合いながらも、思わずパッと笑顔になる。


「お友だちができたんだ。涼花ちゃんていう子!」

「へぇ、よかったじゃないか!俺も今日は人間たちの願いをたくさん叶えたぞ!」

「へぇ…」

「…カスミ怒ってる?俺何かしたか?」

「全然!何にもない!」


何やら焦ったような様子でこっちに駆け寄ってこようとするシロを制してシャープペンシルを握り直す。モヤモヤする時は勉強するのが一番だ。そう思って頑張ったはずなのに全然進まなくて、結局課題が終わったのは12時を回った頃だった。


違和感は、日常を侵食していく。


「おはよう!カスミ」

「おはよ…え、涼花ちゃん、髪切ったの?」

「うん!どう、似合う?」

「うん…似合ってる、けど」


肩まであった涼花ちゃんの髪の毛はバッサリと切り落とされて、耳元で毛先が揺れていた。まん丸としたボブヘアだ。私とすっかり同じ髪型に落ち着いてしまっているのである。私はコクリと息を呑んだ。

たまたまだよね。たまたま髪を切りたかっただけで、ボブヘアなんてよくある髪型だもんね。こんなので変に思うほうがおかしいよ。私は笑顔で気持ちを誤魔化す。


「これ、隣町のお店にか売ってないやつだったのね!探すの大変だったわ」


例えば、初めて話した時に拾ってくれたボールペン。いつの間にか涼花ちゃんが同じ物を持っていたとしても。


「カスミの字って綺麗よね。何か、お手本みたいな書き方!あたしも真似しようかしら」


私のノートを見つめて、内容どころか文字の形そのものまで模倣しようとしていたとしても。


「こういうときって、カスミどう思う?…やっぱりそう。あたしもまだまだだね。もっと頑張らなくちゃ」


私に意見を求めて、まるで鏡映しをするように答え合わせをする姿を何度も見ていたとしても。

これがお友だちなんだよね。同性の、女の子のお友だちが初めてで、よく分からなかった。戸惑いながらもそれを受け入れている自分がいた。ここまでならまだ許容範囲だと、頑張れてしまったから。


「カスミ、これあげるわ!」


涼花ちゃんがニコニコした顔のまま差し出した手元を見つめる。直径15センチメートルくらいの編み人形だった。うちの制服を着ていた。細かい模様まで器用に再現されている。その編み人形の顔に、酷く見覚えのあるような気がした。


「これ…」

「あは、やっぱり分かるわよね。その人形はカスミがモデルよ!あたしは自分の人形つけてるわ」


そう言って見せてもらったスクールバッグには、確かに私であろう編み人形がぶら下がっていた。不思議なことに、編みぐるみになってみると、私たちはほとんど姿が同じであることに気がつく。


「手作りのお揃いよ。あたしたちがずっとお友だちでいられるお呪い。カスミもつけてくれるわよね?」

「う、ん…」


震える指先で人形を受け取る。頭の部分が何だかずっしりと重くて、何が詰まっているのだろうとゾッとする気持ちを抑えきれなかった。


「ありがとう!これからもよろしくね、カスミ!」


最近は、正面から受け止められていなかった涼花ちゃんの微笑み。久しぶりに対峙して気づいた。

涼花ちゃんの笑顔、瞳が全く笑っていなかった。






相談しようと思った。シロなら何とかしてくれると思ったから。でもシロは元気がないみたいだった。スライムみたいに床に溶けて動けなくなっている。私は夜ご飯の準備をしながらシロに声を掛けた。


「シロ、大丈夫?」

「大丈夫…ちょっと力を使いすぎたみたいだ…」


天使にも体力という概念は存在するみたいだった。体力もあり、不思議な力を扱える限界ももちろんある。最近たくさんの願いを叶えたから、そろそろ枯渇状態に近づいてきているみたいだ。


「本当に大丈夫…?」

「あれ、夏バテみたいな感じだから、休めば治る…」

「願いを叶えるの、ちょっとお休みした方が良いんじゃないかな。身体壊したら大変だよ」

「うぐ……勿体ない…」

「そんな、胃もたれで消費期限切れのスイーツ諦めるような声を出されても…」


本気で動けないらしいシロにお気に入りの毛布をかけてやる。お風呂はさっき入ってたから、このまま寝てしまっても大丈夫だろう。話を聞いてもらうのはまた今度にしよう。寝息を立て始めたシロを見てそう思った。






「カスミってすごく勉強できるわよね!何かコツとかあるの?」

「…コツなんて、ないよ」


放課後。いつもなら1人で図書室で勉強するのだけど、今日は涼花ちゃんもついてきたいと言った。本当は静かにしなくちゃいけないのに、涼花ちゃんはずっと喋っていた。勉強が進まないな。若干苛立ちがにじみ始めた視界の先に、ふと影が差す。


「……なんか最近よく会うねぇ、カスミちゃん」

「クロイくん…」


メガネをオデコにずらしたクロイくんが私の顔を覗き込んでいた。放課後だから、いつもはキッチリ留められた白シャツボタンを外して、袖も肘付近まで折り曲げている。白い鎖骨が眼前に見える。ゆっくりと視線が合った瞬間、クロイくんがニコリと笑った。


「テスト勉強?俺もココ座っていい?」

「うん。いいよ」

「やったぁ」


図書室の長机。入り口から見て一番右端の席に私が座っているのだから、てっきり前に来るものだと思っていたのだけど、何故かクロイくんはわざわざ椅子を持ってきて私の右側に腰掛けた。


「ん、どしたのカスミちゃん。不思議そうな顔して」

「いや…」

「あー、数学やってんじゃん!俺ここの式わかんなくてさぁ…」

「あ、あたしもそこ分かんない!カスミわかる?」

「うん、えっとね…」


2人の間に挟まれながら数学の式を進めていく。クロイくんが側にいると涼花ちゃんの雰囲気が柔らかい。何というか、私と2人でいる時よりも楽しそうで。何だか複雑だったけど、涼花ちゃんが喜んでくれるならそれでいいのかな、なんて考えたりした。

……それもまあ、勉強を始めて十数分後までの気持ちだったのだけれども。


「へぇ、黒井くんって図書室よく来るのね!」

「まあねぇ。俺本好きだから」

「あたしも本好きなの!お揃いね!」

「うん…そうかもねぇ」


クロイくんが困ってる。いつもより眉尻の下がった曖昧な微笑みを見て、私は直感で気づいてしまった。何とかして涼花ちゃんの意識をクロイくんから離す方法はないだろうか。私が必死に考えていた直後、図書室の扉が勢いをつけて開かれる。


「佐藤さーん、佐藤さんいる?来週の委員会の件でちょっと話したいことがあるんだけど!」

「わ、呼ばれちゃったわ!ちょっと行ってくる」


わざとらしいほど明るく声を上げた佐藤さんの気配が遠ざかっていく。完全に扉がしまったことを確認した瞬間、私たちは大きなため息を吐いて崩れ落ちた。


「え……なに、佐藤さん何か急にグイグイくるね?俺なんかしたかな!?え、分かんない何で!?」

「ノーコメントを貫きたい…」

「いやいや、いくら鈍感な俺でも分かるよ!たぶん佐藤さん……俺をリスペクトしてる感じだよね!?」

「えぇ…」


当たらずしも遠からず。合ってると言えば合ってるし、違うと言えば違うような…。涼花ちゃんのそれが、敬愛か恋慕か、今の私には判断が難しい。


「まあでも、正直ちょっとこわいんだよなぁ…いや、別に悪い子じゃないんだけど、何か重たいというか…」

「悪い子じゃないんだよね。たぶん」

「ま、仮にもカスミちゃんのお友だちだしねぇ」

「ううん……」


涼花ちゃんは女子の中でも特に、思い込みが激しい部類に当てはまると思う。事実ではなく自分の気持ちを第一優先にして、非を認めないどころか押しつけてくるタイプだ。大まかな分類でいえば、五月雨さんに少しだけ似ているのかもしれない。嫌な記憶がよみがえって、眉間のシワがギュッと寄った。


「……クロイくんがどうしても嫌なら、涼花ちゃんといる時はあんまり会わないようにしようか?」

「…なんで?」

「だって嫌なんでしょ?」


私の言葉に、何故だが驚いたような顔をするクロイくん。私何か間違ったこと言っちゃったかな。クロイくんが何かを言いかけて、照れたような恥ずかしそうな、何だか微妙な顔で唸っている。


「その、別に……あの、」 

「違うなら、別に良いんだけど…」

「っいや、ちょっとだけでいいから!そんなあからさまな感じじゃなくていいからね!?カスミちゃんが無理して変なことに巻き込まれるのは良くないし!」

「うん。わかった。心配してくれてありがとう」

「しんっ……ぱいはしてるけどぉ!」


図書室の扉が開く音がする。思わず、といったようにクロイくんの背筋が伸びた。後ろから掛けられた声を遮るように、私はほどよく笑ってみせる。


「もう遅いし、今日はここまでにしようか」


大げさな程に手を振り回すクロイくんと分かれる。いつも沢山話してくれる涼花ちゃんが今日はとても静かだった。心なしか歩くスピードも遅い気がする。

やがて、ゆっくりと立ち止まった涼花ちゃんが言った。


「…カスミって、黒井くんのこと好きなの?」

「え?」


涼花ちゃんがこちらを見つめている。睨みつけるような鋭い視線が突き刺さる。これは敬愛なんかじゃない。重たい嫉妬が入り交じる表情を見て私は悟った。

動揺を表に出さないように努めて、私は唇を持ち上げる。


「好きだよ。お友だちとして」

「でも、わたしがいない間も楽しそうだったわよね」

「戻ってきてたなら声掛けてくれたらよかったのに」

「……何それ、マウント?」


何か地雷を踏んでしまったかもしれない。話題を変えなくちゃ。私は必死に頭を回転させる。


「そういう涼花ちゃんこそ、クロイくんのこと好きだったりするの?だったら私、」

「そうよ。だったら何?」


応援だけはしてあげられるかもしれない、なんて言いかけた言葉が音になることなく遮られる。ぐちゃぐちゃの感情を込めた視線が鋭く突き刺さってくる。


「ずっと思ってたけど、何かとわたしたちの間に入ろうとするわよね。今日だってそう。わざわざ黒井くんを自分の隣に誘導したりして。その感じじゃ知ってたんでしょう?わたしが黒井くんのこと好きだってこと」

「いや、私別にそんなつもりじゃ…それにさっきまで」

「うるさい!聞こえてたのよ!何が『心配してくれてありがとう』だよ!良い子ぶってんじゃねーよ!」

「っ!」


その前の会話は聞かれていなかった。そのことに安心してしまっていたからか、突き出された腕に対応が遅れてしまった。私は勢いよく尻もちをつく。夕日を背景に見上げた涼花ちゃんの表情は、今までにないくらい恐ろしく見えた。


「あのね、涼花ちゃん。話を…」

「さぞいい気分だったんでしょうね。女の影から黒井くんを守って、なおかつ高みの見物できるポジション…最高じゃない。わたしと代わってよなんでアンタなの?」

「すずかちゃ…」

「わたしはなりたくて佐藤涼花になったんじゃない!」

「は……?」


何を言ってるんだろう。遅れてやってきた手のひらの痛みと共に、恐怖が迫り上がってくる。こわい。目の前の女の子がこわい。恐怖の対象として見てしまったら、もう駄目だった。


「……頂戴よ、全部。アンタが持ってるもの全部!」

「っ、嫌!」


私は思わず、側に会った何かを投げつけた。ガツン、と痛そうな音がする。ボトリと地面に落ちたそれは、涼花ちゃんがお揃いだと言ってくれた編み人形だった。腕の先が破れたそれを見て、私はひゅっと息を吸い込む。苦悶の表情を浮かべた涼花ちゃんが俯く。そして、


「酷いじゃない…せっかくお呪いしたのに…」

「あ、あ…」

「アンタが持ってないと、成立しないじゃない」


___こちらを見たその顔は、私にそっくりだった。


「っやだぁぁぁぁ!!」


私は無我夢中になって駆け出した。どうやって帰ったのかは覚えていない。ただ帰ってすぐ見た、鏡の中に映った自分の姿が恐ろしくて、気がつけば私は家中の鏡を布で覆い隠して震えていた。つけられたテレビから陽気なコマーシャルが流れている。目を開けたら全部現実になってしまうような気がしてこわくて、その日は電気をつけて布団を被って寝た。夜になっても朝になっても、シロは帰ってこなかった。


『カスミ!』


無邪気な笑顔が見たかった。いつもの柔らかな瞳で、表情で、私の名前を呼んでほしかった。それなのに。

……帰ってこなくてよかったと、そう思ってしまった自分がとても恐ろしかった。



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