何とかしてやる天使様

@si_ro

第1話

「カスミちゃん、天使様のお呪いって知ってる?」


私たちの通う聖エンゲル学園は中高一貫校。キリスト教精神に基づく教育を行い、お金持ちの人たちが中心に通うことでも地元では意外と有名な私立校だそうだ。高校からの受験組、しかも入学金等免除の特待生制度で入学した私はかなり浮きまくっている自覚はあった。


放課後、校舎北棟2階の実験室は魔術研究同好会が使用することになっている。

とはいいつつも、同好会員は2人しかいないのだから、実質2人じめになってしまうんだけど、クロイくんは気にしていないようだった。ちなみにクロイくんも特待生。性格はとても変わっているメガネである。


「天使様って、あの天使様?」

「そ。真っ白い羽と頭の上に浮かぶリングを携えた天の使い、エンジェル!」

「エンジェルエンジェル。それがどうしたの?」

「最近、天使様がこの学園にも現れるようになったらしいよ。何人かお願いも叶えてもらったって」

「へぇ」


興奮したようにまくし立てるクロイくんが言うには、天使様はどんな願いでも一つだけ叶えてくれる存在らしい。その姿を見た人はいないけれど、数々の“奇跡”が噂となって報告されているそうだ。


「例えば?」

「死んでしまった人にもう一度会えた、諦めていた恋が叶った…とかかな」

「ふぅん」


死んだ人にもう一度会うなんて、そんなこと叶うわけがないのに。呆れと怒りにも似た感情がふつりふつりと湧いて、私は慌てて首をふる。


「ウチの学校を守護する天使様は、聖堂で願いを聞き届けてくれるらしいよ。魔術研究員として不可思議な出来事を見逃すわけにはいかないよね!」


やたらイキイキしているクロイくん。モサモサした前髪と眼鏡から望む白い肌がポッと色づいている。クロイくんは魔術だったりオカルトだったりが大好きなのだ。己の趣味を同好会にして、どの部活よりも熱心に活動している。私は最初、名前だけ貸している幽霊部員だったけど、たまにこうして実験や検証に付き合っている。


天使様と交信できるという聖堂へ向かいながら、私はおある疑問を口にした。


「クロイくんは天使様に何をお願いするの?」

「…えっと、ケロを生き返らせてください!かな」

「ケロ?」

「ん。写真見る?」


向けられた黒いスマートフォンに映っているのは、これまた真っ黒でフサフサのワンちゃんだった。しかも3匹。どの子も目一杯カメラに顔を近づけていてすごく可愛い。


「わあ、可愛いね。どの子がケロちゃん?」

「ん?全部ケロだよ」

「え?」

「だってコイツ、ケルベロスだもん」

「…クロイくん、面白い冗談いうね」


ケルベロスって地獄の番犬のことかな。あの頭が3つあるやつ。私はもう一度スマートフォンの画面を見つめる。近づきすぎて顔以外判別できないけど、こんな可愛い子たちが胴体一つの魔物だなんて信じられない。まあクロイくんなりの冗談だろう。


放課後、何かのイベント前であれば聖歌部が活動している聖堂だけど、今日は閑散期。ステンドグラスから溢れた光で照らされるカーペットをクロイくんに続いて進んでいく。

聖堂の一番奥で立ち止まる。結婚式なら新郎新婦が愛を誓い合う場所。両手を合わせて組んだクロイくんが目で合図をした。私は一歩下がる。

……祈りを捧げる前に、白い蝋燭に赤い炎を灯しましょう。噂の通り、私はチャッカマンで火をつける。

片膝を付き、瞳を閉じて祈りましょう。クロイくんがそっと願いを口にする。


「天使様。どうかケロを生き返らせてください」


繰り返し、繰り返し唱えましょう。さすれば願いを聞き届けた天使様が降り立ってくださることでしょう。

聖堂の中心で手を合わせ、祈りを捧げるクロイくん。何度も何度も唱え続けているけれど、静まり返った聖堂は何も答えてはくれなかった。


「……どうか、ケロを」


5分経つ。少し離れた位置で、私はクロイくんの後ろ姿を見守っていた。空間の中でクロイくんの声が木霊している。蝋が、揺らいだ炎の熱で溶け続けている。

……何も起きないな。やっぱり嘘なのかな。

瞬間、何処かから吹いた風が、燃え続ける炎をかき消した。


「え、」


胸元を照らしていた明かりが途絶える。目を瞑って唱えているクロイくんは気づいていない。彼の頭上付近に、明らかに人間サイズの光がチラついていることに。私は瞳を瞬いた。微かに聞こえる声に眉をひそめる。


『アブラカタブ…いや宗派が違うなコレ…あ』


な、な、なんかいるーーーー!!?

私は慌てて自分の口を塞いだ。真っ白な羽を2本生やした黒髪の男の子が浮かんでいる。何やら悩ましげな表情を浮かべている。熱心に唱えているクロイくんは、やっぱりそれに気づいていない。

この子が天使様?それにしてはあんまり神々しくないような…。天使様はまだ何かを呟いていた。


『祝福……?いやでもそれ授業であんまり習ってないし…あ!これだ!“気絶しろファイン”!!』

「うっ!?」

「クロイくん!?」


瞬間、謎の発光の側で崩れ落ちるクロイくん。思わず声を上げてしまったけど、天使様は気づいていないみたいだ。それどころが、どこか満足げな顔をした天使様がクロイくんの頭をむんずと掴み上げた。


「よしよし。これで後はコイツの魂を引きずり出して天界に…」

「ちょちょちょちょ、ちょっと待ってストーーップ!!」

「うお!誰だお前!」

「それはこっちのセリフよ!!」


慌てて飛び出した私に心底驚いた様子の天使様が目を見開いた。私はその隙にクロイくんを天使様から引き剥がす。


「クロイくんに何しようとしてるの!」

「決まってるだろ!コイツの願いを叶えようとしているだけだ!」

「それが何で魂を引きずり出すのとイコールなの!?」


私の叫びに、天使様がキョトンとする。


「だって、コイツのペットはもう死んでいるんだろ?死んだ生き物は大体天界へと導かれる。それを本人に探してもらったら手っ取り早いだろ」

「臨死体験ってこと?」

「死ぬってことだな」

「なおさら駄目じゃん!!」


天使だから?天使だから死の概念が薄いの?目の前の天使様は自分がやろうとしていることの恐ろしさを理解していないらしい。不味い不味い不味い。私は内心冷や汗を流した。

クロイくんを死なせるわけにはいかない。その一心で私は抵抗を試みる。


「死ぬはずのない人間を天界に引きずっちゃ駄目だよ!せめて死に際とかそっちでしょ!」

「……確かに、コイツ俺のこと見えてなかったな。生命力も有り余ってる。俺を呼び出せたのは、ただ単に相性がよかっただけなのか?」


何やら1人で納得したように呟いた天使様。分かってくれたのかな?


「天使サマに、クロイくんのこと、連れて行かない?」

「ああ。だが困ったな…人間の願いを叶えないと天界に帰れないんだ」

「帰れない?」


私のオウム返しに、天使様がそっと頷く。


「俺たちは今、前線で働く天使を想定した実習をしているんだ。その課題で人間の願いを成就させるノルマを課せられている。これをクリアするまでは天界に通じる扉を通してもらえないんだ」

「なるほど…」


宿題を終わらさないと元の世界に帰れない。そういう認識であっているだろうか。私はつられて神妙な顔で頷く。天使様が、ジッと私の顔を見つめた。


「お前、名前は?」

「私?十川霞ソガワ カスミ

「カスミ。お前何か願いはないのか?」

「願い……」


クロイくんに検証を持ちかけられたとき、少しだけ前のめりになった願い。出かかった言葉を、私はギュッと押し込めてうつむいた。


「……わからない」

「ない、ではなくわからないか。ならまだ可能性はあるな!」

「え?」


何やら不穏なつぶやきに、思わず顔を上げる。ボンヤリしていた天使様の表情が、ハッキリと映り込む。

天使の輪が映り込んだ大きな瞳が、長い睫毛で縁取られている。目元にある特長的な泣きぼくろ。艶のある黒髪が不思議な風に吹かれて揺れていた。形の良いピンク色の唇が大音量を発する。


「ソガワカスミ!!」

「は、はい!」

「俺は決めたぞ!お前の願いを叶えてから天界に帰る!」

「えぇ…」


思わず歪んだ声に「露骨に嫌そうな顔するなよ!!」と天使様の一喝。すぐに顔に出るのが私の悪いところだ。

でも、この天使様ポンコツなんじゃ…という疑いが晴れないため、思わずジト目を向ける。


「知らない人にそんな事言われてもちょっと…」

「なに!?なら俺のことを知れば問題ないな!」


天使様は再び身体に光を纏い始めた。真夏の屋外に飛び出たような眩さに思わず顔を歪める。真っ白な翼が主張するように大きくひとつ羽ばたいた。


「少年、お前の願いを叶えよう!」


光の粒子が煌めいて、床で気絶したクロイくんを包みこんでいく。天使様が床に膝をつく。私もつられて座り込む。少しだけ苦しそうな表情をしたクロイくんを見つめる。何かを探るように閉じられた天使様の瞳が、ゆっくりと開かれた。先ほどまでとは違う、神々しさを携えた指先が、クロイくんの額にそっと触れる。悲しげに瞳を揺らした天使様が、そっと唇を開いた。


「…なるほど。それがお前の祈りか。聞き届けた!夢の中で別れを伝えるといい。“イン・ソミニウム”!」


瞬間、天使様の姿が強い光に包まれる。天使様が最初に魔法?を使ったときと同じ…いや、それ以上にまばゆい光だ。私はクロイくんの顔を慌てて覗き込む。眉間に寄っていたシワがなくなり、安らかな表情になっていた。閉じられていた瞼から一雫流れた涙に、私は思わず天使様を振り返った。


「天使様、クロイくんどうしたの?」

「夢の中でケロに会って話している。一時的に天界に在るケロの魂と少年の魂を繋げたんだ。彼の本当の願いを叶えるためにな」

「……本当の願い?」


私はきょとんと呟いた。天使様が優しく微笑む。どうやら教えてくれる気はないみたいだ。私はもう一度クロイくんを見つめる。クロイくんが誰にも話せなかった本当の気持ち。それをくみ取って叶えてくれた天使様。もしかしたら天使様は、私が考えていたよりもずっとずっとスゴイ存在なのかもしれなかった。

天使様が視界の端からひょっこり顔を出す。先ほどの神々しさが消え、キラキラと無邪気な表情をした天使様が私の手を両手で掴んだ。


「自己紹介がまだだったな。俺の名前はシロ!いずれ上位天使になる存在だ!覚えておいてくれ!」

「うん……わかった」

「カスミ!お前の願いはなんだ!?」

「今すぐ帰ってほしい…」

「悪い!それはできない!俺が叶えられるのは心の底から欲する祈りだけだからな!」

「そんなぁ…」


こうして、私と天使様____シロとの奇妙な生活が幕を開けることとなる。


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