第24話 消えた少女の行方

花之木ルカはコンクリートで囲われた暗い道をひたすら歩く。


東京の地下にある亜人連合の施設は横と縦の構造が蟻の巣のように複雑に交じり絡み合う。もし、東京の地下にこんな施設が信じている人間がいるのならそいつは漫画やエンターテインメントの見すぎだ。だが、現実は小説より奇なりという言葉がある通り存在してしまっているのだ。花之木自身もここに連行されるまでは夢かファンタジーだと思って信じていなかった。


 ここは今の社会を裏から牛耳っている元老院が容認している組織だからか、統合政府も半分容認状態で非人道的な実験を行っているという噂も一部では流れている。その証拠に大広間などがある地下1,2階はどんな下級構成員でも出入りが出来るが、3階よりも下の階層には何階までがあるのか、花之木は知らない。


「失礼します」


 一番奥の巨大な扉を開けると、全身を漆黒のゴツゴツとした西洋式鎧を纏ったアンドロイドが玉座に座っていた。イライザだ。


 直々に頼みたいことがあると司令を受けて花之木はここへやってきた。イライザと直接面と向かうのは初めてだ。花之木が思っていたよりも小柄だが、常人を逸した威圧感を常に放ち金縛りをされたような緊張が全身に走る。


「あの…」


「もっと近くに来い」


「は、はい」

 

 イライザは指でガチャガチャと小手の音を立てながら指図してきた。花之木はその声に怖気づき、大きく3歩前に進んだ。


「イライザ様。あの、専属能力者試験に落ちてしまい、申し訳ございませんでした」


「まぁ良い、誰にでも失敗はある。吾も怒っているわけではない」


「…あ、ありがとうございます」


「よろしい。では…頼みたいことがあるんだが…」


 すると、イライザはひらひらと一枚写真を見せてきた。金髪のオールバックで鼻の高い中年男性が写った写真だ。年齢は3,40代ぐらい。頬は痩けていて目の下には長いシワがある。ベテラン映画俳優のようなカリスマ性を秘めた容貌をしているが、目は淀んでいてどこか闇を抱えたような男性だ。たしか、父と同じ反元老院派の有名な議員で新聞やテレビで何度も見たことある顔だった。


 第18ブロック第一議員の名前はレオン・ツェラー議員。反元老院組織に属していた花之木の父はツェラー議員の協力を得られ喜んでいた。「やったぞ。ルカ!あの有名議員のツェラーさんが協力してくれることになったんだ!」と。その矢先、家に癸のアンドロイドが襲いに来て一緒に誘拐されてしまった。


 ツェラー議員と直接会った事はないが、父に協力を約束してくれた人物として忘れられない。あの日のコーヒー片手に満面の笑みをこぼしていた父を忘れられなかった。


「この男を殺してもらおうか…」


「そ、そんなの…!そんな事、できませ…」


 花之木は最初自分を試すための冗談かと疑った。だが、イライザは本気だ。


「吾の言うことが聞けないと…?」


 花之木はイライザの威圧感に圧倒され、否定するという選択肢を失った。


「は、はい!だ、大丈夫です…」


「そうか、フフフフ。言ったからにはやってもらうぞ、少女よ。こいつは統合政府の258ブロック第一議員。名はレオン・ツェラー。しかし、こいつがしつこくてな…。元々は普通の弁護士だったのだが、我々がこいつの妻を部屋送りにしたのを機に、公の場で吾らを批判する機会が多くなり、第一議員にまで上り詰めた。奴の弟子も色々とうるさかったんで部屋送りにしたら余計に粘着してな。明日、午後6時頃に東京記念タワーの隣りにあるセントラルホテルで反元老院派政治家との会食が行われる。この男を殺せば貴様の父を解放してやるぞ。どうだ?悪い話ではないだろう?」


 花之木は頷き、イライザから暗殺用の果物ナイフとカッターナイフ、それと茨や蔦の種を少々貰い部屋を後にした。


 父親とはもうあの日以来会っていない。こんな事になるんだったらもっと普段から父と話しておけばよかったとか、一緒に旅行にも行っておけばよかったとか、悔いばかりだ。魂が抜けた目をしながら歩いていると花之木は気づかない間に亜人連合内の地下3階。立入禁止エリアに入ってしまっていた。緑色の蛍光灯がチカチカと光り、奥からは鼻にツンとくる薬の臭いがする。


 すると、「第12実験室」と書かれたプレートが付けられた扉の隙間から赤い液体が流れ出ていることに気がついた。


 ドアは開いている。逃れられない恐怖と好奇心の間の感情と共に花之木は恐る恐る扉を引いて向こう側を覗いた。


 拷問器具の数々、血が流れてきているのは真っ暗闇のもっと奥からだ。嫌な予感はしたが、好奇心に駆られた花之木は目を細めて奥を見た。肉の塊っぽいものがある。


―――――――――あれは人間だ。


 人なのかすら判別できないほどの火傷と血の量だ。これじゃあ生きていないかもしれない。


「これって…」


「…花之木殿だな。今すぐこっちに来い」


 背後からから機械じみた低い声が語り掛けてきた。丙のアンドロイドだ。一度廊下ですれ違ったことがある程度だが、花之木には丙が陰気で幽霊の様なアンドロイドだという印象しかなかった。不気味で普段から棺桶を引きずっているような歩き方のアンドロイドにこの現場を目撃され、一巻の終わりだと今更自分の命が惜しくなった。


 迷ってしまったとはいえ、ここにいる事がバレたらイライザに報告されて殺される。


「ご、ごめんなさい。これは、違うんです。ごめんなさい…。ほんとに…ほんとに何も見ていませんから…」


 今更言い訳をしても遅いかもしれない。そして丙は強引に花之木の口を塞ぎ、別の部屋に連れ込んだ。


 花之木は抵抗したが、力でアンドロイドに勝てるはずがないのは百も承知だった。それに今は業を発動するのに必要な種を持ち合わせてなかったので、このまま全身の骨を折られて死ぬバッドエンドしか見えなかった。


「暴れるな。落ち着け…殺されるぞ」


 殺される。殺そうとしているんじゃないか。すると、今さっきいた第12実験室の方向から鼻歌と軽いステップを踏む足音が聞こえた。そしてギイィとさっきの拷問部屋の扉を開けたみたいだ。


「おいっ。てめぇ!起きろや!」


 この甲高い声は、全ての元凶、癸のアンドロイド。花之木にとって特に苦手なアンドロイドだ。父と自分を誘拐した元凶に加え、いつも蜘蛛の巣に捕え、逃げられるずに踊り狂う蝶を観察するようにいつも見下した姿勢だった。


 その罵声が聞こえると、近くにいる花之木は自分が今にも殺されるんじゃないかと凄まじい恐怖に襲われた。


「はーあ、もう死んじまってるよこいつ。薬ぐらい注入させてから死んでくれよ。ボクこの瞬間が一番好きなのにさー。つまんねぇーの」


 軽い足音が小刻みに聞こえる。絶対にこっちには来ないでくれと、花之木は両手を握って祈ることしかできなかった。


 カツ、カッ、カッ。タップダンスのような陽気な足音は幸運にも素直に来た道へ戻っていきどんどんと遠くなったので、丙のアンドロイドは花之木の口を塞いでいた手をどけた。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


「すまないな、こんな強引に…。しかしもう安心だ」


「…ありがとうって言えばいいの?あなたは、丙のアンドロイドですよね」


「そうだ。案ずるな。私は貴様に危害は加えない」


「今の部屋…何?」


「貴殿は知らなくて良い」


 丙はあの部屋の中身をはぐらかすと、ポケットから1枚の紙を取り出し花之木に手渡した。


「これをやる」


「何これ?どれどれ、東京から名古屋行きのチケット?」


「それで逃げろ」


 花之木からしたら衝撃だった。この組織内で誰かが優しくしくれたことなんて一度もなかったからこれは罠なんじゃないかと疑心暗鬼になった。


「そのチケットまで名古屋まで行きフカ地との境界壁を越えろ。259ブロックが管轄する列島西側の治安は悪く、文明は進んでいない。だが、反政府派の一之宮王家が政権を掌握しているから亜人連合の手先が追ってくることはない。あそこにいるのは悪い人間ばかりだという輩もいるが、私はそう思わない。貴殿ならあの場所の詳細を父上に聞いたことぐらいあるだろう?」


「そうだけど…。何で…!?私…何も…」


「…私にできることなどこれくらいしかない。私は…ここでゴミのように殺される人間達を数えきれないほど見てきた。そしてイライザのやり方に疑念を持ちに逆らい首を斬られ見せしめにされた私の仲間もいた。残るのは…何もできない自分の情けなさと無念さ…。これくらいの事はさせて欲しい」


 しばらく、親が子を想う、友が友を想う純粋な優しさを忘れてしまっていた花之木は、丙のアンドロイドの言葉でまだ自分には味方がいるのだと感極まって涙腺が緩くなった。


「じゃあ、どうしてなの!?どうしてイライザの下になんているの!?あなた…そんなに優しいのに…どうして?」


「私には色々事情というものがある。今は辛抱しなくてはならない。しかし大丈夫だ。光はすぐそこにある」


「でも…丙のアンドロイドさん。それじゃあ、お父さんが…」


「悪いが…そこは妥協するんだ…。ほら、早く行くのだ…誰かに見られるかもしれない」


 花之木はコクリと小さく頷いた。


 1人歩く花之木は丙が最後に残した言葉を思い出す。


―――悪いが…そこは妥協するのだ…。


 妥協という言葉が気に食わなかった。ただその単語が気に食わなかった。家族を裏切って自分だけが生きるなんて許せなかった。


「家族を妥協…そんなことできない。だって…私のお父さんだもん…。あの男を刺せば…お父さんを解放してくれる。イライザは…そう約束してくれた…。やるしかない。やれる。やれるんだ。目には目を…歯には歯を…」


 花之木は手に入った力と汗でクシャクシャになったチケットをジーンズのポケットに入れた。

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ガイア 失われた帝国 一之瀬 のの @nonoichinose

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