第23話 あの子はどこへ…

 僕はゴールデンウィークにレイと専属能力者合格祝いも兼ねて東京へ遊びに行く約束をした。


 巷は休日だってのに、アンドロイド犯罪対策係は今日も仕事が殆どないらしく、ババアはいつも通りデスクに座りながらコーヒーを飲んでいた。こいつは常に菓子をつまんでいるか、コーヒーを飲んでいるしかしない。世界最強とやらもこれじゃあ宝の持ち腐れだなと、優雅なおやつタイムを過ごす彼女を呆れた顔で見つめた。


「ユウも誘ったんだけど、あいつは面倒くさいから行かないってさ。ホーント、一言多いよな」


「そうか、残念だな。まあ、ユウらしいと言えばユウらしいけどね」


「あいつ、学校でもあんな調子なんだぜ。最近は登下校一緒にしているんだけど。休み時間に遊ぼうって誘っても嫌だの一点ばりでさ。困っちゃうよなー。あっ、そうだ。花之木誘ってもいいか!?専属能力者試験があったし電話番号分かるだろ?」


 帰り際にまた会おうって約束したし良い機会だ。花之木も誘ってはっちゃけちゃおうと気伸びした。


「…あ、いや」


 レイは何か思い当たることがあるようで突然目を逸らし小さく頷いた。僕と花之木が一緒にいていけないことでもあるんだろうか。それとも、レイが花之木といると何か都合が悪い事でもあったか。あ、花之木は試験に落ちてしまったから僕の合格祝いって体で一緒に遊びに行くってなると嫌味っぽいからかな。


 すると、コーヒーを飲んでデスクに座っていたババアが思いもよらない言葉を口にした。


「…そのガキは5日前から行方不明だ」


 おいおい、冗談にしすぎては不謹慎すぎるぞ。何を言ってるんだこのババア、関係ないのに横から首突っ込んでるんじゃねえと、僕は煙たい表情をした。


「ど…どういうことだよ、それっ!」


「か、係長!流石に今のタイミングでミナトに話すのは…!」


 僕が唾を飛ばしながら問い詰めようとすると、レイはババアがこの先話す内容を自重させようとした。5日前。ただ、それが本当なら丁度僕と一緒に試験を受けた次の日だ。花之木の身に何があったんだ。


「どうせいつかは知ることになるんだ…良いだろ」


「おい、詳しく教えろクソババア!」


 ババアの肩を揺すぶると少し間をおいてから、あの試験があった後花之木に何があったのか話し始めた。


「彼女はここ最近ずっと学校にも顔を出していなかったらしい。行方不明になる前の週までは自分で学校に電話をして体調が悪いから休むと言っていたそうだが、第3種能力者試験があった次の日からはその連絡すらも無くなったらしい。そして、クラスメイトが不審に思って家を訪れた所、車もあるのにチャイムを押しても誰も出ないから、ドアノブに手を当てたら空いてたっていうんでな。心配になって中に入ったら、今さっきまで人がいたみたいにテレビも点いていて、飲みかけのコーヒーがテーブルに置いてあったから怖くなって交番に駆け込んだわけだ」


 それで…とババアは小難しい話をその後も続けたが、今はそれ以上の言葉を聞きたくもなかった。僕は放心状態になって魂が抜けた人間の皮のように突っ立っていた。


※ ※


 花之木ルカはコンクリートで囲われた暗い道をひたすら歩く。


 東京の地下にある亜人連合の施設は横と縦の構造が蟻の巣のように複雑に交じり絡み合う。もし、東京の地下にこんな施設が信じている人間がいるのならそいつは漫画やエンターテインメントの見すぎだ。だが、現実は小説より奇なりという言葉がある通り存在してしまっているのだ。花之木自身もここに連行されるまでは夢かファンタジーだと思って信じていなかった。


 ここは今の社会を裏から牛耳っている元老院が容認している組織だからか、統合政府も半分容認状態で非人道的な実験を行っているという噂も一部では流れている。その証拠に大広間などがある地下1,2階はどんな下級構成員でも出入りが出来るが、3階よりも下の階層には何階までがあるのか、花之木は知らない。


「失礼します」


 1階にある一番奥の巨大な扉を開けると、全身を漆黒のゴツゴツとした西洋式鎧を纏ったアンドロイドが玉座に座っていた。イライザだ。


 直々に頼みたいことがあると司令を受けて花之木はここへやってきた。イライザと直接面と向かうのは初めてだ。花之木が思っていたよりも小柄だが、常人を逸した威圧感を常に放ち金縛りをされたような緊張が全身に走る。


「あの…」


「もっと近くに来い」


「は、はい」


 イライザは指でガチャガチャと小手の音を立てながら指図してきた。花之木はその声に怖気づき、大きく3歩前に進んだ。


「イライザ様。あの、専属能力者試験に落ちてしまい、申し訳ございませんでした」


「まぁ良い、誰にでも失敗はある。吾も怒っているわけではない」


「あ、ありがとうございます」


「よろしい。では…頼みたいことがあるんだが…」


 すると、イライザはひらひらと1枚写真を見せてきた。金髪のオールバックで鼻の高い中年男性が写った写真だ。年齢は3,40代ぐらい。頬は痩けていて目の下には長いシワがある。ベテラン映画俳優のようなカリスマ性を秘めた容貌をしているが、目は淀んでいてどこか闇を抱えたような男性だ。


 たしか、父と同じ反元老院派の有名な議員で新聞やテレビで何度も見たことある顔だった。第18ブロック第1議員の名前はレオン・ツェラー議員。反元老院組織に属していた花之木の父はツェラー議員の協力を得られ喜んでいた。「やったぞ。ルカ!あの有名議員のツェラーさんが協力してくれることになったんだ!」と。その矢先、家に癸のアンドロイドが襲ってきて一緒に誘拐されてしまった。


 ツェラー議員と直接会った事はないが、父に協力を約束してくれた人物として忘れられない。あの日のコーヒー片手に満面の笑みをこぼしていた父を忘れられなかった。


「この男を殺してもらおうか…」


「そ、そんなの…!そんな事、できませ…」


 花之木は最初自分を試すための冗談かと疑った。だが、イライザは本気だ。


「吾の言うことが聞けないと…?」


 花之木はイライザの威圧感に圧倒され、否定するという選択肢を失った。


「は、はい…!だ、大丈夫です…」


「そうか、フフフフ。言ったからにはやってもらうぞ、少女よ。こいつは統合政府の258ブロック第一議員。名はレオン・ツェラー。しかし、こいつがしつこくてな…元々は普通の弁護士だったんだが、我々がこいつの妻を部屋送りにしたのを機に、公の場で吾らを批判する機会が多くなり、第1議員にまで上り詰めた。奴の弟子も色々とうるさかったんで部屋送りにしたら余計に粘着してな。明日、午後6時頃に東京記念タワーの隣りにあるセントラルホテルで反元老院派政治家との会食が行われる。この男を殺せば貴様の父を解放してやるぞ。どうだ?悪い話ではないだろう?」


 花之木は頷き、イライザから暗殺用の果物ナイフとカッターナイフ、それと茨や蔦の種を少々貰い部屋を後にした。


 父親とはもうあの日以来会っていない。こんな事になるんだったらもっと普段から父と話しておけばよかったとか、一緒に旅行にも行っておけばよかったとか、悔いばかりだ。魂が抜けた目をしながら歩いていると花之木は気づかない間に亜人連合内の地下3階。立入禁止エリアに入ってしまっていた。緑色の蛍光灯がチカチカと光り、奥からは鼻にツンとくる薬の臭いがする。


 すると、「第12実験室」と書かれたプレートが付けられた扉の隙間から赤い液体が流れ出ていることに気がついた。


 ドアは開いている。逃れられない恐怖と好奇心の間の感情と共に花之木は恐る恐る扉を引いて向こう側を覗いた。


 拷問器具の数々、血が流れてきているのは真っ暗闇のもっと奥からだ。嫌な予感はしたが、好奇心に駆られた花之木は目を細めて奥を見た。肉の塊っぽいものがある。


―――――――――あれは人間だ。


 人なのかすら判別できないほどの火傷と血の量だ。これじゃあ生きていないかもしれない。


「これって…」


「…花之木殿だな。今すぐこっちに来い」


 背後からから機械じみた低い声が語り掛けてきた。丙のアンドロイドだ。一回廊下ですれ違ったことがある程度だが、花之木には丙が陰気で幽霊の様なアンドロイドだという印象しかなかった。不気味で普段から棺桶を引きずっているような歩き方のアンドロイドにこの現場を目撃され、一巻の終わりだと今更自分の命が惜しくなった。


 迷ってしまったとはいえ、ここにいる事がバレたらイライザに報告されて殺される。


「ごめんなさい。これは、違うんです。ごめんなさい」


 今更言い訳をしても遅いかもしれない。そして丙は強引に花之木の口を塞ぎ、別の部屋に連れ込んだ。


 花之木は抵抗したが力でアンドロイドに勝てるはずがないのは百も承知だった。それに今は業を発動するのに必要な種を持ち合わせてなかったので、このまま全身の骨を折られて死ぬバッドエンドしか見えなかった。


「暴れるな。落ち着け…殺されるぞ」


 殺される。殺そうとしているんじゃないか。すると、今さっきいた第12実験室の方向から鼻歌と軽いステップを踏む足音が聞こえた。そしてギイィとさっきの拷問部屋の扉を開けたみたいだ。


「おいっ。てめぇ!起きろや!」


 この甲高い声は、癸のアンドロイド。花之木にとって特に苦手なアンドロイドだ。父と自分を誘拐した元凶に加え、イライザのいる間に連れていかれるといつも最前列でニタニタと花之木を蜘蛛の巣に捕え、逃げられるずに踊り狂う蝶を観察するようにいつも見下した姿勢だった。その罵声が聞こえると、近くにいる花之木は自分が今にも殺されるんじゃないかと凄まじい恐怖に襲われた。

「はーあ、もう死んじまってるよこいつ。薬ぐらい注入させてから死んでくれよ。ボクこの瞬間が一番好きなのにさー。つまんねぇーの」

軽い足音が小刻みに聞こえる。絶対にこっちには来ないでくれと、花之木は両手を握って祈ることしかできなかった。

カツ、カッ、カッ。タップダンスのような陽気な足音は幸運にも素直に来た道へ戻っていきどんどんと遠くなったので、丙のアンドロイドは花之木の口を塞いでいた手をどけた。

「はぁ…はぁ…はぁ…」

「すまないな、こんな強引に…。しかしもう安心だ」

「…ありがとうって言えばいいの?あなたは、丙のアンドロイドですよね」

「そうだ。案ずるな。私は貴様に危害は加えない」

「今の部屋…何?」

「貴殿は知らなくて良い」

丙はあの部屋の中身をはぐらかすと、ポケットから一枚の紙を取り出し花之木に手渡した。

「これをやる」

「何これ?どれどれ、東京から名古屋行きのチケット?」

「それで逃げろ」

花之木からしたら衝撃だった。この組織内で誰かが優しくしくれたことなんて一度もなかったからこれは罠なんじゃないかと疑心暗鬼になった。

「そのチケットまで名古屋まで行き259ブロックとの境界壁を越えろ。259ブロックが管轄する列島西側の治安は悪く、文明は進んでいない。反政府派の一之宮王家が政治を掌握しているから亜人連合の手先が追ってくることはない。あそこにいるのは悪い人間ばかりだという輩もいるが、私はそう思わない。貴殿ならあの場所の詳細を父上に聞いたことぐらいあるだろう?」

「そうだけど…。何で…!?私…何も…」

「…私にできることなどこれくらいしかない。私は…ここでゴミのように殺される人間達を数えきれないほど見てきた。そしてイライザのやり方に疑念を持ちに逆らい首を斬られ見せしめにされた私の仲間もいた。残るのは…何もできない自分の情けなさと無念さ…。これくらいの事はさせて欲しい」

しばらく、親が子を想う、友が友を想う純粋な優しさを忘れてしまっていた花之木は、丙のアンドロイドの言葉でまだ自分には味方がいるのだと感極まって涙腺が緩くなった。

「じゃあ、どうしてなの!?どうしてイライザの下になんているの!?あなた…そんなに優しいのに…どうして?」

「人には色々事情というものがある。今は辛抱しなくてはならない。しかし大丈夫だ。光はすぐそこに見える」

「でも…丙のアンドロイドさん。それじゃあ、お父さんが…」

「悪いが…そこは妥協するんだ…。ほら、早く行くのだ…誰かに見られるかもしれない」

花之木はコクリと小さく頷いた。


一人歩く花之木は丙が最後に残した言葉を思い出す。

―――悪いが…そこは妥協するのだ…。

妥協という言葉が気に食わなかった。ただその単語が気に食わなかった。家族を裏切って自分だけが生きるなんて許せなかった。

「家族を妥協…そんなことできない。だって…私のお父さんだもん…。刺せばお父さんを解放してくれる。イライザは…そう約束してくれた…。やるしかない。やれる。やれるんだ。目には目を…歯に歯を…」

花之木は手に入った力と汗でクシャクシャになったチケットをジーンズのポケットに入れた。

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