第19話 終わりの見えぬ闇の片鱗

 僕は埃だらけの手すりを伝ってじんじんと熱い足を引きずりながら団地の1階まで自力で降りた。意識が朦朧とする中ここまで降りるのは一苦労だし、息が切れる。


「あ」


 団地前の道路から見覚えのある小さいシルエットがこちらへはあはあと息を切らしながら近づいてくる。


 ユウだ。あれほど来るなと念を押したのに来やがって。きっと僕を不審に思って付いてきたんだろう。


「はあ…はあ…。おい!嫌な予感がしてついてきてみれば…。はあ…こんなに怪我して何があったんだよ!頭から血ぃ垂れてんぞ!」


 僕の顔を見ていつもはクールぶっているユウがこんなに青ざめるなんてと、仰天した。今の自分の姿を鏡で見てみたいと尚更興味が湧いてくる。階段から落ちたせいで目のあたりは黒く腫れ、さぞかしブサイクなんだろう。


 丙のアンドロイドがまだどこかに潜伏しているかもしれないと、周りを見渡したが僕とユウ以外誰もいない。視線も感じなかった。丙のアンドロイドは風のように何処かへ去った様子だったから恐らく大丈夫だと思う。それに、あいつはそういう卑怯な真似はしないような気がしたし。なんとなくだが。


「ユウ…!す、すまねぇ。色々話したら長くなるんだけど、とりあえず足を怪我して歩けないから肩貸してくれないか?アンドロイドが攻撃してきたんだ」


「ア、アンドロイド!?」


 気が動転しているユウに「いいから貸せ」と半ば強引に肩を組み、なんとか近くにあった八王子警察署行きのバス停まで着いた。


 また、亜人連合の手先がいつ僕や周りの人間を狙って攻撃しに来るか分かったものじゃない。レイや気に入らねえ野郎だがババアにも報告した方がいいだろう。


 丙の情報についても知っているかもしれないしな。バスに乗り込み、僕の顔を見るやいなや運転手や乗客の顔が真っ青になった。目的地へつくまでにユウは先に病院へ行ったほうが良いと説得していたような気がするが、頭の中はこんがらがってそれどころじゃなかった。


「――――次はー、警察署前ー。警察署前ー」


 八王子警察署前まで着くとエレベーターに乗り第1課のデスクへ向かった。


 時間が経つごとにどんどん頭が痛くなってくるような気がする。ユウの肩を貸してもらってはいるが、それでもヨロヨロと意識も遠のいてきた。


 「おおー!」と、何も知らないレイが子供みたいに手を振って無邪気に近づいてきたが、すぐに僕達の様子がおかしいことにすぐ気が付いた。


「おいおいミナト!どうしたんだよその怪我は!?」


「ねぇ乙神さん。氷のおばさんは今日いない!?」


「あぁ、係長は今日は休みだよ。おかげで俺も仕事中サボり放題だったっていうかさ…」


「それ、今度おばさんに会った時にチクりますよ」


「ごめんごめん。それだけは勘弁してくれよ…。係長おっかないから…」


「それはいいとして、早くこいつに手当てを…!アンドロイドから攻撃をされたみたいなんだ!」


 打った箇所は時間が経つごとに腫れていきどんどん酷くなっていっている。他の部署の職員の人達にも手伝ってもらって傷の消毒や晴れ箇所を冷やしてもらった。最初は臭いの強い薬がとても沁みたが、それよりも丙のアンドロイドの言っていた”イライザ様”が何者かについて気になって次第に傷の痛さなど感じなくなっていた。


―――そして僕は落ち着くと、状況を整理してレイに先程あった出来事を全て話した。


「――――ミナト!それは本当か!?」


「え?本当だよ」


「それにしても丙のアンドロイドと、奴はそう名乗ったのか?」


「あぁ。ガスマスクつけてて、いかにも不審人物って感じの…。警察の中じゃ有名なのか?そいつ」


 あいつの名前を出した瞬間レイは目をぱっと開き顔色が変わった。彼は丙のアンドロイドについて何かを知っているのではないかと今のやり取りで疑ったが、その勘はどうやらビンゴだったようだ。


「丙のアンドロイドは危険だ。なんせ、リーダーのイライザを軸に活動している過激犯罪組織…亜人連合。その幹部組織十干のナンバー3なんだからな」


「…じっかん?」


 亜人連合、やはり前に戸越のおっさんが話してくれた組織のことか。


「十干は亜人連合の幹部の組織名だよ。…亜人連合はアンドロイドで構成された過激なテロ組織で、詐欺、薬物売買や殺人事件、議員を狙った暗殺なども起こしている」


「何で?」


「奴らが言うには、1000年以上前、空白の期間はイライザ率いるアンドロイド達が世界統一を成し遂げようとしていたらしい。だが、その途中でイライザは人間に封印された。その地を奪還するために、封印されたイライザが1000年の眠りから奇跡の復活を遂げ、アンドロイドだけの新生亜人帝国を建国しようと目論んでいる。だから、今の政府を転覆しようとしているんだ。所詮、堅苦しい理由つけて暴れたい連中さ。バカバカしいったらありゃしない」


 いつも穏やかなレイにしては乱暴な説明だ。その話し方からして好き勝手やっているこの亜人連合とかいう集団にかなりの嫌悪感を抱いているんだろう。何か個人的な恨みがあるんじゃないかって疑うほどだ。それを無理やり聞き出そうとは思わないけどさ。それに、どうやら丙のアンドロイドが言っていた”イライザ様”はやはり亜人連合のトップらしい。


 何故かは知らんは、まずい奴らに目をつけられたもんだ。


 正義がどうだとか、目的がどうだとか、難しい話は分からないし、理解しようとも思えない。だが、そんな事のために殺人まで犯しているこいつのやり方は気に入らなかった。


「じゃあ乙神さんが言っていた幹部組織の十干ってなんですか?」


「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の十の名を持つイライザに忠誠を誓う幹部達だ。丙のアンドロイドは丙の名を持つナンバー3」


 ヒノエノアンドロイド。あいつ、亜人連合内の3番手。


 レイはペンを持つと、デスクにおいてあった紙の裏に『丙』という文字を書き出した。何らかの文字だというのは理解できるんだが、なんて書いてあるのかはさっぱりだ。


「歴史の授業で習った象形文字みたいですね」


「ユウ。これは違う。漢字だよ。俺もあんまり詳しくないけどさ。1000年前、和泉牛斗が言語と文字を世界共通にした”統一言語”が使われるまで、ここら辺の地域ではこの”漢字”や”ひらがな”を使っていたんだ。今は政府で指定された統一言語を皆使っているけど、昔は民族によって別々の言語や文字を使っていたんだよ。これが、丙のアンドロイドが持つ名だ。甲が1番上の階級で癸が1番下。どれも手強い相手なのは変わりない」


「そ、そんなにいるのか!?」


「丙のアンドロイドはここ数年でどこからか颯爽と登場したルーキー。神出鬼没でガスマスクの下に隠された素顔は誰も見たことが無いと言われている。恐らく、イライザや他の幹部ですら見たことないんだろう。よく何を考えているのかわからない薄気味悪いやつだよ。もし、戦うんだったら覚悟しておいた方がいいよ」


 僕は「何の覚悟を?」と問いかけた。


「―――死ぬ覚悟」


 その時のレイの顔は死んでいた。瞳はどこか遠くを見つめていて、でも微かに笑っていたような気もする。例えるのなら、スイッチを切り替えたように中身が他の誰かに入れ替わったような感じだ。

怖すぎて「そこ、笑う場面じゃないだろ!」と、隣で聞いていたユウも当人の僕もツッコめなかった。

しばらくすると、彼の瞳にいつもの光が戻っていた。


「あ、冗談冗談。半分は冗談じゃないけどさー。アハハハ。大丈夫、もし戦うことになったら俺や係長が絶対助けに行くから。そん時は頼ってよ」


「…そうか。あ、ありがとう。そんな時が来たら全力で頼らせてもらうよ」


 レイって、何考えているのか分からないときあるんだよな。たまにおっかないっていうか。


 僕は、急に寒気がしたから話題を変えた。


「…でさ、イライザってどんなやつなの?」


「うーん。俺もアンドロイドとはいえ所轄所属だし、あんまり詳しくないけどさー。イライザは一言で言えば、”最強最悪”のアンドロイド。…どんな攻撃でもビクともしないと言われている。それがたとえ、どんなに鋭い剣だろうが、どんなに速い銃だろうが、どんなに破壊力を持った爆弾だろうが。…どんなに強い業だろうが」


 どんなに強い能力の人間が立ち向かおうとも歯が立たないアンドロイドなんてこの世にいるのか。レイの話が本当なら、イライザはアンドロイドなどではなく、地獄から這い上がってきた悪魔だ。


「そ、そんな危険なやつ、どーやって倒すんだよ!つーか、野放しにしといて大丈夫なのかよ!」


「だから俺らも扱いに困ってるんだ。…係長の力でも恐らく倒すことは不可能だ」


あのババアでも破壊することが無理な存在。イライザは、強さだけではなく、ババアにはない完全なる悪意をもった化け物。そんな存在と同じ世界に生きていて、今この場所にいることが奇跡だ。


「幸い、今のところ大規模な政府転覆を実行しているわけではないから、ウチの方針としては放置している。放置せざるおえないと言うべきかもしれないが。…それに、イライザの扇動的な言葉や仕草は他者の心を巧みに操る。ふっ、馬鹿みたいに思えるだろ?でも、人間第一主義で成り立っている今の世の中のアンドロイド達からしてみたら、これがいい刺激になっているんだ」


「…何で逮捕できないんですか?イライザは無理だとしても下の幹部達は倒せるアンドロイドなんでしょ!?構成員が人を殺してるって証拠だってあるんじゃないですか!?」


ユウの問いに、レイはちっちっちと舌打ちをした。


「…情報局に止められちゃうんだよ。ミナト、ユウ。元老院って知らないだろ?」


「…知りません」


「…元老院は統合政府なんかよりも強大な力を持っている。所詮、統合政府なんて元老院のお飾り。実際は、12人いる元老院の爺さん婆さん共が統合政府を裏から支配しているんだ。ニュースや新聞では報道しないから普通に暮らしているほとんどの人間は元老院なんて裏の存在知らないだろうけどね。おまけに、あいつらは直属の捜査機関情報局を勝手に設立して俺たちの仕事をどんどん奪っていった。都合の悪いことは情報局を使ってもみ消すのさ。情報局は今や俺達警察より捜査の権限がある」


それを話している時のレイの表情はどこか悲しげというか、情けなさでいっぱいだった。


「それにあくまで噂だが、元老院に所属する全員人間でありながら亜人連合の考え方に賛同しているらしい。だから、俺達が亜人連合の構成員を逮捕しようとしても情報局が止めに入ってしまうっていうわけだ。統合政府を潰そうとしている亜人連合と統合政府を傀儡にしている元老院が手を組んで、現在進行系で統合政府を追い詰めている。そんな連中に首突っ込んでみろ。下手したら殺されるぞ」


 見知らぬ敵は、強大すぎる。


 僕は、知らない間にあれほどあった全身の痛みが引いていっていた。それは彼の話に衝撃を受けていたからだ。考えたことがなかったこの世界の闇の部分がどんどん剥けていくようで。でもそれは、剥いても剥いても身が出てこない闇。


 それは、終わりの見えない深淵のマトリョーシカ。

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