笑えないピエロ
晦 雨夜
第1話 夜の街角に現れる、とあるピエロの物語
「……はぁ、毎日何も変わらねぇ……」
昔から誰かの役に立つことが好きで、将来も人を笑顔にするような仕事がしたかった。
夢って言えば綺麗なものだが、小さい頃の夢ってのは、大抵叶わないまま心の奥底に蓋をして抱えていくもんだ。
現に、社会人になった俺も、傍から見ればどこにでもいる会社員Aでしかない。
「俺にもっと突出した何かがあればなぁ……」
結局のところ、この世で一個人として大衆に認知されるのは、何か特別な要素を持ち合わせた奴だけだ。
しかも、それが世の中の需要にマッチしていないといけないという超難易度を要求される。
例えば、俺は昔ジャグリングやパントマイムといった、いわゆる大道芸に類する技術を身に着けようと練習していた。
幸い、いくつかを覚えることはできたが、もちろんプロには到底適わない程度の趣味止まり。
それでも諦めきれずに、夜の街角でひっそりとパフォーマンスしてみた時もあった。
……まぁ、結果はお察しさ。
そうして少しずつ、人生と好きを切り離して、割り切る考えが根付き始めていたわけだ。
そんなある日の夜、俺の人生の歯車は狂い始めた。
あの時、怪しげな男の、魅力的な甘言に乗ってしまったことによって……
「こんばんは、そこのお兄さん」
いきなり声をかけてきたのは、この辺じゃあまり見かけないタイプの人だった。
俺のようにスーツに着られているというより、しっかりスーツを着こなしている、いわゆるエリートみたいな印象。
今夜は自分の夢に見切りをつけるために、最後の街角パフォーマンスに赴いており、それが終わって後片付けをしていたところだった。
「こんばんは、どうかされましたか?」
「いえ、実はそこの飲食店で食事をしていたら、ちょうど窓越しにあなたの芸が見えまして」
「……あぁ、そうだったんですね。
大切なお食事の時間に、私のような未熟な芸をお見せしてしまって申し訳ないです」
「いえいえ、むしろその逆です。
プロではないのに、それほどのパフォーマンスができることに賛辞を贈ろうと、こうして直接足を運んだのですから」
……お世辞であることはわかってる。
けど、最後の日なんだし、この言葉を素直に受け取っても罰は当たらないんじゃなかろうか。
「……ありがとうございます。
今日で最後にしようと思っているので、最後にそんな言葉をいただけて良かったです」
「……そうだったのですね」
そう言って目の前の男は少し考え始めた。
「……もしよければですが、これを受け取ってくれませんか?」
そう言って差し出されたのはピエロの仮面。
「これは私が知人から貰った仮面でして、何やら海外で活動する有名なパフォーマーも付けている仮面らしいのです。
その人はプロの集団に属するのではなく、まさにあなたのようにひっそりと街角で活動をしているらしく、それでもなおプロに引けを取らない人気があるそうなのですよ」
「……そんな人がこの世にはいたんですね。
しかし、知人からあなたに渡されたものを、赤の他人の私が受け取るわけにはいきません」
そもそも俺がもらう理由もないわけだしな。
「そこはご心配にはおよびません。
どのみち私がこれを付けることはないですからね。
折角なら、あなたにお渡しした方がこの仮面を有効活用できるでしょうし、ぜひ受け取ってほしいのです」
「……いえ、そうは言っても……」
「それなら、今宵素晴らしいパフォーマンスを見せていただいたお礼と言うことで」
そういうや否や、床に置いてあった俺のカバンにスッと仮面を入れて、男は去っていった。
カバンから半分だけ顔を覗かせたピエロの仮面は、月明かりのせいか、どこかぼんやりと光って見えた。
結果として仮面を受け取ってしまった俺は、仕方なく夜の街角でパフォーマンスを続けることにした。
……いや、本当はまだ諦めたくないという思いに正当性を持たせたいだけなんだろな。
今までも身バレ対策で帽子とマスクは付けていたが、あの日以来ピエロの仮面を使うことにした。
不思議なことに、この仮面を付けて以来、俺のパフォーマンスに足を止めてくれる人が増えた気がする。
終わったときに拍手をくれる人、足元に逆さで置いた帽子にお金を入れてくれる人、翌週も来てくれる人など様々。
特に驚いたのは「最近失敗続きで落ち込んでいたのですが、今日のおかげで元気もらえました」と言われた時。
どんな形であれ、人の役に立つという夢を実際に叶えられたわけだ。
夢が形になる、この何にも代えがたい非日常に魅入られ、俺は毎週定期で活動するほどに頻度を増やしていた。
もちろん、本業を続けながらだから、少しずつ疲労も蓄積していったが、それが気にならないほどには楽しかったんだ。
もう終わりだと思っていた俺の夢に、たとえ一時的なものだったとしてもまだ続きがあるとわかったから。
もしかしたら、この仮面をくれた男の言っていた、海外のパフォーマーもこんな気持ちだったのだろうか。
今までも、そしてこれからも接点の無い、顔も名前も知らない先輩を思い浮かべながら、俺も頑張ろうと一人モチベーションを上げていた。
あれから1年ほど経っただろうか。
相変わらず、毎週夜の街角でのパフォーマンスを俺は続けていた。
幸いなことに、この活動のおかげで、昔よりできる芸も増えた。
定期活動にしたことで、運が良いと開始前から数人待ってくれていることもある。
これが仮面の力なのか、地道な活動のおかげなのかはわからない。
やっぱり、何か個性があった方が認知されやすいというのもあるのかもしれない。
……とはいえ、この1年は良いことばかり経験したわけでもなかった。
定期活動から半年経過したころだっただろうか。
病気も怪我もしていないのに、体がやけに重くなる日が増えていったんだ。
単にパフォーマーとしての活動が増えたことで、本業との掛け持ちってことも相まって、負担が大きいのかなとも思った。
しばらくの間8時間睡眠を徹底してみたのだが、あまり変わらなかった。
なんというか言語化しにくいんだが、身体的じゃなくて精神的に疲れているというべきなのだろうか?
体が重いというより、体を動かすことに億劫といえばまだ感覚的に近いかもしれない。
もちろん、パフォーマーとしての定期活動自体にはまだまだモチベはある。
だからこそ、睡眠に加えて体のケアなんかも最近は気にすることで、長く活動できるようにと考え始めたわけだ。
何より、夢が現実になるというある種の快感は、この疲労が気にならない危険さも持ち合わせているようだった。
――――――――――
突然ですが、皆さんは夜の街角に現れて、様々なパフォーマンスをするピエロさんのことを知ってますか?
私も半年ほど前に友人から教えてもらって、ふと見に行ってみたことがきっかけで、今では毎週通ってます。
なんて言うか、どんなに疲れてたり落ち込んでたりしてる日でも、あの人を見ると最後には元気になってるんですよね。
癒されるとはまた違って、なんていうか、悪い気持ちだけがふっと無くなって軽くなるような、そんな感じ。
最近では、ピエロさんのことを教えてくれた友人からも、そんなにハマるとは思わなかったって、逆にびっくりされたくらい。
……ただ、最近って結構推し活とかも一般に認知されてきたじゃない?
感覚的には、配信者にスパチャを投げて推すのに近いって言えばいいのかな。
あの逆さ帽子にみんなが思い思いの額のお金を入れるんだけど、その文化も良いんだよね。
それこそファン同士でも仲良くなったりして、一緒に開始前から待つこともあるって考えると、実はプライベートの充実につながってるわけよ。
ただ、最近のピエロさんは少し心配になる。
パフォーマンス中だけじゃなく、その前後も一切言葉を発しないから真相はわからないけど、私が見始めた頃より今の方がどうにも疲れてそうに見える。
ありえない話だけど、本来笑っているピエロさんの仮面の顔も、心なしかその笑みが無くなっているかのよう。
無理しない程度に長く続けてほしいなぁと一ファンとして願うばかりです。
おっと、そんなことを考えていたら、今日のパフォーマンスも終わったみたい。
今回も凄かったですと、ピエロさんに感謝の言葉を伝えながら、逆さ帽子にお金を置いておきました。
振り返ってピエロさんを見てみたら、月明りを受けて今日も仮面が淡く光っているようでした。
――――――――――
……あれから何年経っただろうか。
今もまだピエロとしての活動を続けている。
体は日に日に重くなるばかりだが、みんなに喜んでもらえるこの活動が好きという気持ちは変わらない。
……ただ、仮面の下の素顔はひどいものだ。
ちゃんと寝ているのに目の下にはクマがあるし、頬のコケもひどくなっている。
年齢のせいもあるだろうけど、同年代の友人と会うと、そのエネルギッシュさに驚くことが多い。
それでも俺はこの活動をやめるつもりはない。
観客が笑顔になってくれるあの瞬間が好きだから。
(……笑う、笑うかぁ。
そういえば、俺はいつから笑わなくなったんだろう)
最初の頃はパフォーマンス中にもみんなの顔を見ながら仮面の下で自然と笑っていた。
でも、途中からは笑う気力もないというか、半ば使命感にも近い気持ちが体を動かすようになっていた。
今となっては、やりたいのかやらなきゃいけないのかも曖昧になりつつある。
けれど、皆を裏切りたくはないのも事実。
そんなことを考えながら、珍しく日中にいつもの街角を通った。
そこでは俺とは違って、普通に素顔を晒しながらも楽しそうな笑みを浮かべてパフォーマンスをする、見知らぬ誰かがいた。
……その姿があまりにも眩しくて、俺は足早にその場を去った。
そうして夜を迎えたら、俺はピエロの仮面を付けてまたあの街角に赴く。
……笑うピエロの仮面の下に、笑えない俺の素顔を携えて。
「……ふふふ、良い、実に良い。
彼は立派に己の夢を現実にしたわけです。
今回もまた、迷える人を一人、あるべき方向へ導くことができましたね」
スーツを着こなす彼は、そう言って怪しく笑ったかと思うと翻って歩き出し、夜の闇に溶けていった。
笑えないピエロ 晦 雨夜 @amayo_tsugomori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます