誰が為のドラゴンソード

空空

サービスエリアのお土産

 島外の山間部は夏でも空気が乾いているらしい。

 暑いことは暑いが、湿度が低いだけで随分と体感温度が下がって感じるのだと、隣を歩く同級生は涼しげに繰り返した。

「この島は海に囲まれているから、なおさら空気が湿気ているんだと思う。汗が蒸発していかないから、よけいに暑い」

 その割に白い彼女の頬に汗の一筋も見当たらない。本当に暑さを測ることができているのだろうか。冷却ファンで快適な温度を調整された機械が、覚えさせられた『暑いですね』という台詞を発しているようだと空想する。

 そんな想像を日頃から密かに繰り返しているせいか、目の前の級友が、じつは機械なんですなどと言い出しても、驚いたりしない自信がある。


 三叉路で彼女と別れてから、お土産と渡されたキーホルダーを目の高さまで持ち上げて揺らしてみた。金色のメッキで仕上げられた剣の形をしている。刀身を軸にぐるりと同じ色の竜が巻き付いており、片手には白いかけらがいくつも入ったガラス玉を握っている。『蓄光の宝玉付き!』の文字が躍るタグには値段を隠すように、サービスエリアのテープが貼られていた。

 受け取ったときに、高校生のお土産にしては攻めていると笑うべきか、真顔で礼を言うべきか迷っていると、銀色のほうがよかったか聞かれて、なおのこと困った。

 結局ありがとうと言いそびれた。まばゆく輝く聖なるドラゴンソードに焦点をあわせて歩いていたせいか、風景の一部に女性が紛れ込んでいたのに気づくことができなかった。

 背景は急に鮮やかな輪郭を持って視界へ割り込み、ふわりと桃のような芳しさをも連れてきた。

「やあ。いいものを持ってるじゃないか」

 ドラゴンソード。

 キーホルダーを摘むこちらの手を狙って伸びてきた女性の指はすらりと長く、石膏のように滑らかだった。

「竜を退治する剣なのか、竜の力を宿した剣なのか。そのあたりの白黒をつけないのが実にいい。いずれの解釈になるかは君しだいということだ」

 空気を多く含む笑い声は耳を直接くすぐられているようだった。


 女性は、竜を自称している。

 豊かな長い髪は、潮風にどれほどかき混ぜられようとも従順に元通り纏まり落ち着いた。すっと通った鼻立ち、長い睫毛に縁取られた輝く瞳。国を傾ける美女がいたとしたら、おそらくこんな容姿をしていたのではないか。微笑は匂い立つほど甘く、あらゆる感情が抜け落ちても人形のように美しい。

「卓越した力を持つ超越種が、優れた容貌をしているのは理に適っているだろう。というのは傲慢な建前で、単に君の好みを分析した結果なのだがな。こういう突き抜けた美を眺め回すのが好きなんだ、君というやつは。最初に逢ったときも、私を差し置いて何時間も大好きな絵を眺めていたくらいだからなあ」

 キーホルダー越しに目を細めた竜は、存分に見惚れろと言わんばかりに顔を近づけてきた。近距離が過ぎてぼやけている。

 そういえば、竜は山間の場所で過ごしたことはあるかと聞いてみた。またたく蜜色の双眸。睫毛のはばたきに風が起こるようである。

「ある。ああ、もしかして、さっき話していた、空気が乾いていると涼しいという話?」

 なんだ、なんだ。そんなことが気になるのか。彼女は鷹揚に笑って姿勢を正すと、細やかな指を鳴らしてみせた。


 途端に、視界の端にとらえていた海岸線が消えた。おびただしい数の水風船が地面に叩きつけられたような音、水換えを怠った水槽を空にしたとき立ち込める生臭さが鼻をついた。

 何事かと海浜を振り返ると、海の水が丸々なくなっていた。

 水風船の音は、水中を泳いでいた魚たちが水を失い、地面へ放り出され跳ねるために起こっていた。声なき絶叫をあげながら、命のゆりかごを唐突に失ったあらゆる無辜の存在がのたうち回っている。

「このまま、しばらくすればわかるさ」

 のんびりとした竜の声に振り返り、急いでその手を取った。珍しく、彼女が目を丸めていたが、構っている暇はない。指を鳴らすことでこの惨状が生まれたのなら、もう一度同じことをすれば直ると直感した。それが一番早い解決方法と信じている。

 しかし他人の指をどうやったら鳴らせるものか。されるがままの竜の指先を擦り合わせてみても当然音は鳴らない。そもそも、私自身、指パッチンなるものをやったことがなかった。

 遂に竜が笑い出した。ころころと無邪気な少女なように。

「ほんとうに、君は可愛いな」

 そっとこちらの必死を制した相手は、ぱちんと鮮やかに指を弾き鳴らす。途端、海の水は再び戻り、日常は再び何事もなく流れ始めた。


「一度失われてしまったら二度と元通りには戻せないからこそ尊い。それなら、失われてしまっても完璧な形で再生させることができる場合、その理屈は通用しなくなる。無論、私はどんな有り様になったものであれ元に戻せるとも」

 指を鳴らされるたびに非現実が襲ってきた。空を埋め尽くす黄色いアゲハチョウ。首だけになった島民たち。背中から四本の腕が生えて彷徨う人間の胴体。全てのヒマワリに足が生えてこちらを見つめてくる。海が真っ赤になる。石ころが笑いだし、後ろ足で立った猫が走り出した。カラスが国語の教科書の冒頭部分をずっと繰り返している。

「君が望むなら、そのとおりにしたっていい」

 竜が一歩踏み出すと、すべては再び元のとおりになる。さっき並んでいた生首は消え、空も海も青くなり、猫は日陰に寝そべって背中をなめていた。

 息。

 息は、どうやって、するのだったか。

「望みがなにもないわけじゃないだろう? 嫌いなやつを気が済むまで痛めつけて、動かなくなったら何度でも生き返らせてやろう。札束を投げつけるだけで、人間の高潔さがどれほど汚辱にまみれるか見てみよう。新種のありえないほど可愛い生き物を生み出すとか、そうでなければ、君の好きな花だけで丘を埋め尽くしたっていい。君はどうしたい?」


 心臓が暴れる。しっかりしろ。脳が命じてようやく、肺が膨らんだ。魅入られかけていた意識も正気を取り戻す。

 並べて語られる事柄のどれも、ぴんとこなかった。

 一通り、世界の創生から終末までを拙い想像でなぞってから、手元のキーホルダーを持ち上げる。例の、ドラゴンソードだ。

 願いと言うなら、そう。

 これが本当に暗いところで光るか、確かめてみたい。


 竜はまたしても虚を突かれたように押し黙り、目をまん丸にした。やにわ、腹を抱えて笑い出す。

「正解だ、愛しの君よ」

 彼女は両手で蛍を捕まえるように、キーホルダーを包み込む。隙間から覗いてみれば、即席の闇の中、真夏の日差しを受けた宝玉がぼんやり光っているのが確かめられた。

 この宝玉には、きちんと蓄光機能が備わっているらしい。竜もまた同じように腰を折ってその光景を見届けている。

「思ったより美しい光だ。まったく、いじらしいことだね」

 最後の台詞はこちらに向けられているような気もしたが、そんな気がしただけだから問い詰めなかった。

 まんまと手を握りしめたまま前へ進みたがる竜は、もうこの遊びには満足したらしい。喫茶店で美味しいフロートがあると話し始めた。じんわりと背中に滲んでいた汗はすっかり冷えている。背中に張り付いたシャツを指先で揺らし、湿った空気を送ったところで簡単には涼しくならない日常を確かめた。

 大丈夫。この日常は、錯覚などでは、ない。

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