後編
学校が始まると、担任の教師が淡々と筧篷の死を生徒たちに告げた。SNSでの投稿に触発された男の犯行だった。発端となる投稿をしたのはこのクラスの女子生徒だとすでに判明していて、退学処分となるらしかった。
彼女の机には花瓶が置かれている。
「いてもいなくても同じだね」と誰かが言った。
「殺されるまでいったら可哀想だよね」と誰かが言った。「ずっと可哀想だよ、あの子。べつになんか悪いことしたわけじゃないのに」と誰かが言った。
「ねえ、見た? あの子が死ぬところ。ずっと配信されてたの。すごいよ」と誰かが言った。「まだ消されてないから見た方がいいよ」と誰かが言った。
頬杖をつく。ぼくは彼女の机に置かれた花瓶がなんとなく気に入らなかった。
目を瞑る。筧篷が死んで何か問題があるかというと、特段ないように思う。今まで行った報告で上司は概ね満足しており、すぐにでもこの星を滅ぼせる段階になっていた。
むしろ、気が楽になるというものだ。彼女が隣にいると、自分の判断が鈍るのを感じていた。地球を滅ぼすにあたって、彼女の存在は邪魔になる可能性が高かった。
ただ、つまらないと思う。どうもこの星の刺激に慣れてしまって、何もないと物足りないと感じるようになってしまったようだった。たまに炭酸水を飲むのもいいかもしれない。
午後の授業をサボった。正直、もう学校に行く意味はほとんどない。
自転車に乗って、海を目指す。時間の無駄であることはわかっていたが、無駄にしたい時間があった。
潮風が香る。背中に彼女の重みはなく、腰に回る手のぬくもりもない。彼女の乗っていない自転車は軽い。あの日よりも早く目的地に着くだろう。
自転車を漕ぎながら、防波堤を見た。今日も彼女があの上を、危ういバランスで歩いているような気がして。
白い包帯とワンピースが揺れて、何か知らない生き物のように見える。ぼくは、危ないから降りておいでと声をかけるのだけど、彼女はいたずらっぽく笑ってくるりと回る。そうして、走って行ってしまう。ぼくの届かないところに行ってしまう。
もし時間を戻せたら、一つとして間違いなど犯さない。あの子を傷つけたりしない。
そう考えて、ぼくはハッとした。
ポケットに手を突っ込み、時間を止めることにしか使えない機械を取り出した。画面を何度か叩くと、そこに『時間を戻す』という意味のコマンドが、一応存在する。
『この操作を実行する権限が付与されていません』という警告が出て、画面が真っ白になる。そして最初の画面に戻った。
時間を巻き戻す技術自体はあっても、ぼくにはその権限がない。だから、できない。
でも、技術自体はあるんだぞ、とぼくの内から声がする。
ぼくは機械を痛いほど握り締め、それから走り出した。自分の
この人、首を絞めるの下手だな。
そう思わざるを得ないほど長い時間、痛くて苦しかった。
とにかく早く終わってほしかった。
ようやく意識が遠のいていく。
(地球が滅ぶところ見たかったな、残念)
そんなことを思ったその時、私の首を絞めていた男がふっ飛んでいった。私は『うおおお!? 何!?』と叫びたかったが、痛めた喉は震えずただ咳き込むことしかできなかった。
そこに、佐藤くんがいた。彼は私を見て、「カケイさん……」と呟き、静かに抱きしめた。
「さとう、くん……?」
「うん」
「なんか……雰囲気かわったね」
そうして彼は私に、“自分は六年後から来た”と何とも言えない表情で告げた。
「きみが死んで、六年が経った」
「死んだんだ、私。やっぱり」
彼は頷く。救急車を呼んで到着するまで、私たちは隣に並んで座って、話をしていた。
「なんか前、『時間を巻き戻すことはできない』って言ってなかったっけ?」
「その“できない”というのは不可能という意味ではなくて、不可という意味だった。有体に言えば、技術的には可能でありながらぼくにその権限がなかった」
「そうなんだ」
体のあちこちが痛いけれど、取り返しがつかない欠損などがないらしいのはよかった。目とか潰されるんじゃないかと冷や冷やしていたから。
痛いといってもアドレナリンが出ているのか、それほどでもない。気を抜いたらもっと痛くなるのかもしれない。
「じゃあ、ものすごく出世して権限を得るとか、そういう感じで助けに来てくれたの?」
「いや。クーデターを起こしてきた」
「なんて??」
「国家を転覆させてきた」
どさくさに紛れて権限をいじって、時間を巻き戻した。そのように彼は言った。私は耳を疑ったが、何度聞いても返答は同じだった。
「権限が付与されるまで出世する、というのが正規ルートだとして、それには十数年も真面目に働かないといけなかった。でもクーデターは六年で成功した。厳密に言うと、この星から僕の星に行くまで四年。残りの二年で成功させた。もちろん人道的な行いではないことはわかっていたけど、時間を巻き戻しさえすれば全部なかったことになるし」
「……逆に六年もかけてクーデター? 成功させて、それが全部なかったことになるのって虚しくない? 大義とか、そういうものがあって国家転覆させたんじゃないの」
「そういうのは全然ない。過去に戻る権限を得るためだけに、ぼくは母国を一度ぶっ壊した」
助けてもらっておいてなんだけど、この人はいかれているなと思う。
「本当はもっと前に戻りたかったけど、リソースが足りなくてこの時間にしか来られなかった。……間に合わなかったね」
そう、彼は言った。傷だらけの私を見て。
「間に合ったじゃん」と私は言う。私は生きているし、手足も目も耳も無事である。「助けてくれてありがとう。これで二回目だね」と言った。
「でもクーデター起こしてまで、何しに過去に戻ってきたの?」
「えっ」
「いや、ついででも来てくれて本当に嬉しいんだけど。でも随分な無茶をしたね。そんなにしてまで、過去に残した後悔があったんだ? 私も助けてもらっといてなんだけど、あんまり過去のことは気にせずもっと自分の未来ってやつを大事にした方がいいよ」
佐藤くんは呆れた顔をして、「きみだよ」と答える。「またまたー」と私は笑った。
それから一瞬の沈黙ののち、「その……助けに来てくれて本当にありがたいんだけど……」と私は言いづらいことを言おうとする。「でもこういうのってよくないんじゃないかな……。死んだ人間は大人しく死んでおいた方がいいっていうか」と歯切れ悪く言って、痣になっている太ももを撫でた。
「人は死んだら生き返らないし、死んだっていう事実は覆らないでしょ? それが私だけ助けてもらうっていうのはさ、なんかこう……道理に合わないというか、それならもっと死ぬべきじゃない人たちっていると思うし」
「……それは、きみのお父さんが死なせた家族のことを言ってる?」
ためらいながら、私は頷く。これは完全に私のエゴだけれど、私を助けるくらいなら彼らのことを助けてあげてほしかった。
佐藤くんは顎に手を当てて、「考えもしなかったけど、今となってはどうして思い当たらなかったのかと思うほど、きみらしい考えだな」と呟く。それから「前提として」と口を開いた。
「ぼくはきみのことを助けに来たんだよ。他の誰かじゃなく、きみだから助けに来た。それにさっき言った通りリソースが限られていて、遡れてもここまでだった」
「じゃあ、覆すべきじゃないよ。私の死も」
「……きみはきみの意思によらず死んだことも、きみの意思によらず生きることも、どちらも運命として受け入れるべきじゃないかな?」
私は彼の発言を噛み砕くようにして理解し、「へりくつだ」と指摘する。佐藤くんは思わずというように苦笑して、「そりゃあ屁理屈だって言うよ。大変だったんだよ、国家転覆」と言った。
そう言われるとなんだか悪いし、これが運命なのだと言われればそんな気もしてくる。私は「わかったよ」と引き下がることにした。
「というかよくわからないけど、今この世界には六年後の佐藤くんと今の佐藤くんが同時に存在することにならない? どうなるの?」
「後で話をつけておくよ」
さらりと彼がそう言ったので、私も深くは考えずに「そっか」とだけ呟く。
六年。六年かぁ。
六年もの間、私を覚えていてくれたことが嬉しかった。「きっと、この宇宙であなただけが私を助けようって本気で思ってくれたんだね」と呟く。何かのついででも、嬉しい。ペットみたいなものでも、そんな情を抱いてくれたことが嬉しい。
「……触ってもいいかな」
私の怪我の様子を見たいのか、彼は控えめにそう訊いてくる。私はそっと右手を顔の前に出した。「何?」と言いながら彼も自分の左手を出し、私の右手と合わせる。
指を絡ませ、ぎゅっと握りこんだ。
「手繋げて嬉しい。私のせいなんだけど、最近繋げてなくて寂しかった」
佐藤くんは困ったような顔をしてから微笑んで、「カケイさん、好きだよ」と言う。
「私も好きだよ。佐藤くんの“好き”とは違うと思うけど、ずっと好きだったよ。あのね、走馬灯ってやつ見たら、佐藤くんのことばっかりでびっくりしちゃった。ずっと、佐藤くんのこと呼んでたよ」
どうしてだか佐藤くんは悲しそうな顔をして、「そうだったんだ」と瞬きをした。
遠くからサイレンの音が聞こえる。佐藤くんは立ち上がって、もう一度私を見た。
「さよなら、カケイさん。また後で」
「うん。ありがとう」
彼は名残惜しそうに私を見ていたけれど、やがて踵を返し歩き始める。私はその背中をぼんやり眺めながら、何か声をかけたいと思った。でもその時救急車が停まって、救急隊員たちの「大丈夫ですか」という声がする。私は立ち上がれないまま、すぐに担架に乗せられた。
目の前で中年の男が、何やらずっと怒っている。要約すると、『子供とのかかわり方を他人にどうこう言われるのは不快』ということらしい。それから『子供を強制的に保護するのは誘拐と同じだ』である。
「そうは言ってもね、お父さん」と私は口を開く。
「このままお子さんをお返しすることってできないですよ。お子さんを迎える準備、一緒にしていきましょうねってお話ししたじゃないですか」
「子ども迎える準備ってなんなわけ? 俺は親だし、親が子供と暮らすなんて当たり前のことなんだけど」
「でもお父さん、今日も呑んできちゃったでしょ」
男は黙った。私は畳みかけるように「いつも言ってますよね、『シラフのお父さんとお話がしたいです』って。その約束を守れないうちは、話が進まないんですよ」と言う。
それから散々男の文句を聞く時間があって、最後には「あんた夜道に気をつけろ」と言われ、「お父さんそれ脅迫ね」と指摘して面会は終了した。こんなことばかりだ。今さら落ち込むことも怯えることもない。
仕事が終わって、私は靴をパンプスからスニーカーに履き替える。外に出て歩いていると、蝉が鳴いている区間と鈴虫が鳴いている区間ではっきり分かれていて面白かった。夏と秋の綱引きみたいだ。
真夏よりは多少爽やかな夜に、私はため息をつく。
アルコール依存症の父親がいる家庭。こういうのは珍しくない。まずはアルコール依存を治すことがマストだと思うが、医療機関に受診を勧めると侮辱になりかねないので慎重に行わなければならない。
それがなんだよ。子どもが待ってるんだよ。
そう思いはするものの、悲しいかな。私もすっかり社会の歯車で、上の方針には目立って逆らうことができない。
ふと、「……全然滅ばないじゃん、地球」と呟いてしまう。
あれから八年が経っていた。あの後、佐藤くんはどこにもいなくて、みんな佐藤くんのことを忘れていた。私だけが彼との再会と、地球の滅びを待っていた。
協力すれば地球を滅ぼしてくれるって約束だったのに。嘘つき。
『また後でね』って言ってたのに。嘘つき。
嘘つき、とわざと口に出せば、蝉の声が一瞬止んだ気がした。
「そんなに滅んでほしかったの?」
私は立ち止まる。淡い期待が胸の奥の方から湧いてくる。ゆっくり振り向くと、やわらかな微笑みをたたえた彼がそこに立っていた。
言葉を失い、息をするのも忘れながら私は何とか「宇宙犯罪者だ」と呟く。彼は眉を八の字にして「人聞きが悪いな。ぼくはクーデターを起こしてない方の佐藤だよ」と言った。
クーデターを起こしてない方の佐藤、とは? 全国の佐藤さんに謝るべきではないだろうか。
「うわ……本物??」
「まあ、本物」
「『夜道に気をつけろ』ってもしかしてこれのこと?」
ため息をついて、私は「なんで今さら……。あ、私の記憶だけ消すの忘れてたことに気づいて記憶消しに来た? 私かなり抵抗するよ? 佐藤くんのこと忘れたら私の走馬灯で流れるものなくなるからね」とちょっと焦る。
佐藤くんはどこかまんざらでもない顔をして、「ふーん」と言った。
「べつに、そういうんじゃないよ」
「じゃあどうしたの? というかなんで今まで会いに来てくれなかったの?」
「あのね、ぼくときみの星はどんなに急いでも片道四年はかかるんだ。八年っていうのは一度星に帰ってからまた地球に帰るまでに必要な時間なんだよ」
「そうなんだ……」
「まあいいや。どっかで話さない? 奢るよ」
そんなどこかで聞いたようなセリフに、私は思わず笑ってしまった。私たちはゆっくり歩き出した。
「星に帰ったらクーデターが起きていて」
「それは……佐藤くんが自分で起こしたやつじゃなくて?」
「ぼくがクーデターを起こした事実はなくなっているし、ぼくはクーデターを起こした佐藤くんじゃないってば」
「クーデターを起こした方の佐藤くんは今なにしてんの?」
「……さあ。どこに行ったんだろうね」
話を戻すけど、と彼は言う。「ぼくが帰ったら国家転覆していて」と話し始めた。佐藤くんの星、なんですぐ国家転覆してしまうん? と思いながら私は聞く。
「これまで『他星滅ぼすべし』一辺倒だった方針が『他星征服すべし』に変わっていた。地球が滅んでいないのはそういうわけだ」
「え、じゃあ地球って征服されるの?」
「その予定」
「えー??」
やだなー、と私は思わず嘆いてしまう。「征服されるくらいなら滅んでほしい。私、そんなことになったら戦うかも」と顔をしかめた。
「到底かなわなくても?」
「うん、まあかなわないだろうけど。それで死んだらそこまでの人間だったってだけだし」
「きみを助ける方の身にもなってほしいな」
「この宇宙にそんな奇特な人が、佐藤くん以外に一人でもいればでしょ」
「だから、“ぼくの身にもなってほしい”って意味で言ったんだけど」
私はよくわからず、「? なんかすみません」と謝っておく。彼はため息をついた。
「まあ、ぼくが危惧していたのは、クーデター自体が一度目の因果をなぞって起きたのかもしれないということだった。そうするときみの死も一度目と同じように起きてしまうかもしれないと考えたんだ。だからぼくなりに急いでこっちに戻ってきた。……元気そうで何よりだけど、さっきの『夜道に気をつけろ』っていうのは何? 僕の記憶が正しければ好意にも敵意にもなる言葉だった気がするけど」
「殺意寄りの敵意かな」
佐藤くんは呆れた顔で、「なんできみって子はそう……戦闘民族なの……?」と私を見る。
「“命より尊厳の方が大事”みたいなのはさ、生まれたときと場所を間違えたんじゃないかな」
「それは私もたまに思うけど、結局いつどこに生まれても上手くできたと思えない。たまたま佐藤くんと同じ時代に生まれて佐藤くんがこの星に来たおかげで生き延びてるとしか思えない」
「わかってるならもうちょっと自分の命を大事にしてくれないかな。そうそう何度も時間を巻き戻したりはできないんだよ」
私なりに丁寧な暮らしを送っているつもりだけど、普通の人はあまり『夜道に気をつけろ』みたいな脅迫を日常的にされることはないんだろうから私にも落ち度があるんだろう。
「佐藤くん、いつまでこっちにいるの」
「この星が征服されるまでかな。地球を滅ぼさないぼくなんて、もうなんの興味もない?」
私はじっと佐藤くんのことを見る。「そんなことないよ。好きだって、」と言いかけて私は黙った。そういえば私が好きだと伝えたのは、六年後から来た――――クーデターを起こした方の佐藤くんだった。私は少し迷って、「どうかな」とはぐらかす。
「まだぼくのことを怒っているの?」
「まあ、佐藤くんにとって私って犬や猫だもんね。ペットにそんなに構う人って地球では珍しいよ。わざわざ星の間を飛び越えて、会いに来てくれるんだから」
「そのことは正式に謝罪したい。あの時のことは、」
言って、佐藤くんは私の前に回って私と視線を合わせようとした。
「あの時のぼくは、いささか調子に乗っていたということを認めざるを得ない」
「調子に乗ってた?」
「まず一つとして、ぼくがきみにその……失礼な行為をしたとき、きみの反応がそれほど悪くないように見えたこと。それで……これが非常に大きな要因なんだけど、」
彼は一瞬視線を彷徨わせて、空咳をする。
「はじめて人を好きになって、ぼくは浮かれていた」
私は立ち止まった。
彼の顔をまじまじと見つめる。顔が火照っていくのを感じた。
「カケイさん、好きだよ」
そんなこと急に言われたって、困る。
佐藤くんは私の顔を覗きこみ、慎重に「キスしても、いい……ですか?」と確認した。
私は両手で自分の頬を押さえる。熱い。
なんだよ。なんだったんだよ、この八年間の失恋気分は。
絶対に叶わないと思っていた。もし佐藤くんがまた目の前に現れたとしても、本当の意味でこの想いが彼に届くことはないのだと。
あの日の彼も、そうだったのだろうか。今の彼と同じ顔で、私にすきだよと言った彼も。
「そ、そんなに嫌?」と彼が言う。私の涙を見てあたふたしていた。
私はちょっと彼を睨んだ。言いたいことがたくさんあった。
でも本気でしょげている彼を見ると、『許してやってもいいな』という気持ちになってくる。それから私は左手を出した。彼はそれを見て、目だけで『いいの?』と訊いてくる。私は自分から彼の手を握った。
「同意する。……一生分」
彼が私の手を引き寄せ、肩から下げていた鞄が落ちる。
唇が触れた。私と同じタンパク質の塊らしい彼の、唇はやわらかい。
目が合った。笑った。
恋って面倒だ。心の中に、宇宙でたった一人――――この人でしか満たされない部分がある。
もし彼もそうなのだとしたら、私は“そうでなかったはずの彼の人生”に呪いをかけたことになるだろう。お互い様だということにして、私たちはこれからの人生をその呪いと共に生きていこう。二人で、生きていこう。
恋のことを、いつだか彼は『星の心中願望』と呼んだ。たぶん、そうなのだと思う。“この人と死にたい”と“この人と生きたい”はほとんど同義だ。私たちは恋のために生きて、恋のために死ぬ。そういう愚かな生き物で、このたび彼も愚かな生き物の仲間入りをしてしまった。
手を繋いだ。必ずどちらかの歩幅に合わせなければならず、片手もふさがる非効率的な移動方法を、私たちは喜んでした。
「わかっていると思うけど、私は面倒な女だよ」
「わかっていると思うけど、ぼくは調子に乗りやすいんだよ。あと場合によってはクーデターを起こしたりする」
「私を受け入れられるのってあなただけで、あなたを受け止められるのも私だけだと思うな」
穏やかな声で「ぼくもそう思うよ」と彼は言った。
あの男が訪れたのは、
「誰だ?」と尋ねると男は「誰だと思う?」と返してくる。ぼくは「……さあ。似たような顔ばかり見ていたからわからないな」と言ったものの、それが自分自身であることはすぐにわかった。
「六年後から来た」とそいつは言う。「彼女が死んで、六年経ったところから」と。
「彼女って?」
「
「カケイさん、が……?」
男は自分のもののように(実際自分のものではあるんだろうが)宇宙船でくつろぎながら話をしている。
「夏祭りの日に彼女がクラスメイトから反感を買い、それがきっかけになって殺された。さっき阻止してきたよ。彼女は怪我をしているが、無事だ」
ぼくはほっとして、この星の通信装置である端末を取り出した。彼女と連絡を取りたいと思った。
それからふと、「そのために過去に戻ったのか? どうやって?」と尋ねる。
そいつは自分がしでかしたことを全て話した。ぼくは耳を疑い、「どうしてそこまで……」と呟いた。
「そうせずにいられるか?」とそいつは言う。「彼女のいない世界で、何もせずにいられるのか」と。
そしてそうせざるを得ないということは、目の前の男が証明していた。
「こっちに戻ってきた暁には、
「我ながら最悪だなぁ」
「彼女と話して、気が変わった」
目の前の宇宙犯罪者は、目を伏せて言った。
「ぼくの夢を見ていたんだって」
「え?」
「ぼくのことを、ずっと呼んでいたんだって」
彼女、と呟く。
「それを聞いたら、ダメだった。最期までぼくのことを呼んでいたかもしれない彼女のことを考えたら、もう……ダメだった。ぼくはここより先にはいけない」
ぼくはその言葉が不可解で、怪訝な顔をしてしまった。六年後の自分は寂しそうに笑う。
「ぼくは確かにあの子の命を救ったけれど、じゃあ、あの日死んだ彼女はいなかったことになったんだろうか。最期までぼくを呼んでいたあの子は」
「……いないんじゃない? その未来はなくなったんだ」
「でも、
ぼくは黙ってしまった。確かにこの男が過去を変えた時点で、ぼくとこの男の存在は完全に分かたれてしまった。今日死んだはずの彼女といま生きている彼女が同一の存在であるとどうして断言できるだろう。
彼女は死んだのだ。死んだ彼女は確かに存在していたのだ。
「だからそれをなかったことにしてしまったぼくは、ぼくだけは全てをやり直すことなんてできない。ここからの時間はおまえに譲るよ。彼女のことをよろしく」
男は言った。それから疲れたように目を閉じて、「随分と遠回りしてしまったな。みすみすあの子を死なせてしまったということを、ようやく受け入れられただけの旅だった」とため息混じりに呟く。
ぼくはぽつりと、「恋ってなんなんだ」と尋ねていた。
「繁殖だけじゃなく人生すらたった一人に捧げるなんて、ひどい自傷行為だ。恋って一体なんなんだ。
そうだね、と男は言う。「恋なんてするべきじゃなかった。本当にそうだ」と言いながら、なぜか男は笑った。
「でも、見つけたんだ。ぼくはこの星で、やっと。そう思う」
「見つけた?」
「彼女のことを。たぶん恋というのは、そういうものだよ。ずっとあの子のことを、探していたような気がする」
男は目を開けて立ち上がり、
目を覚まして伸びをして、私はカーテンを開ける。やわらかな朝日が射し込んで、爽やかだ。外に出たら暑いんだろうな、と思う。
今日も地球は滅んでいない。まあ、別にいいか。もう少しくらい遊ぶ時間があっても、いいか。
私は隣でまだすやすや寝息を立てている宇宙人の肩を叩く。
「ねえ、佐藤くん」
彼は瞼を震わせる。タンパク質の塊である私たちは、眠くなったら寝て、お腹がすいたら食べる、という暮らしを共にすることができる。
「今日は何しようか?」
彼は笑って、「映画でも観よう。初めて一緒に観た映画が、リバイバル上映ってやつやるらしい」と言う。私は「最高かも」と呟いた。
私と宇宙人の、恋愛に関する共同研究について hibana @hibana
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