私と宇宙人の、恋愛に関する共同研究について

hibana

前編

「一年。一年だけだぞ」


 声のデカい男子がそう嘆いている。「受験受かって、進学したところで、一年よ」と言うのが聞こえた。

「一年以内に地球滅亡。そんなの勉強したってしょうがないだろ」

 呆れた周りの生徒たちが「んな当たり前のこと言ってんじゃねえよ、田中」と嘲笑している。「こんな時代に真面目に勉強してるやつ、いるわけないじゃん。社会人だってみんな仕事辞めてってんのに」と誰かが言った。


 なんか宇宙から侵略者が来て、地球滅ぶらしい。二年後ぐらいに。


 田中は「だよな」とか言って大笑いしている。みんなから呆れられてんのに、自分が話題の中心だって勘違いして気持ちよくなってる。こいつっていつもそうだよな、と私は机をじっと見ながら思う。

 そんな騒ぎから少し離れたところで、女子が「え、あれ信じてる?」と話していた。

「地球滅ぶ説?」

「そうそう、そのセツ」

「滅ばない説?」

「滅ばない説ってなんなん。現状維持じゃん」

「滅んでほしそ~」

「滅びたい」

 うっすい会話。噛み終わったガムだってほっとけばまた味がすると信じてまた口に入れてみる、みたいな。


 同意できるのはただ一つ。こんな世界滅べばいいのに、という部分だけだ。


 私は休み時間を耐えるようにじっと机を見続けている。以前スマホだとか本だとかで時間を潰していたら取り上げられて窓から投げられたりしたから、今はもう何もしないようにしている。私みたいなのが一秒でも人生をマシなものにしようという心がけを、やつらは絶対に許さない。


 それでも随分山場を越えたところだった。一時期私はマジでガチのターゲットという感じで、やつらはしばらく私に夢中だった。それが飽きてきたのか私もやつらのオモチャの一つになり、やつらの気分が乗ったときと目についた時くらいにしか絡まれなくなった。

 ちなみに私はかなりの反骨精神をもって生まれてきたので、この現状にはなんら納得していない。『私なんかしましたかねぇ??』の気持ちで今日も机を凝視している。反骨精神は持っているが実際にやり返すような力は持っていないので。


 というわけなので、私はかなりの反骨精神から“世界、滅びたまえ”と思っている。

 そんな中話題に上がった地球滅亡説。世界の偉い人たちが、宇宙人からの宣戦布告を公表せずにいる、という都市伝説。みんな案外地球に滅んでほしいのか、そんなありえない陰謀論が盛り上がっている。大昔にも世界滅亡説って何の根拠もなく流行ったらしいし、みんなこういうのが好きなんだろう。

 言っておくが私は本気度が違う。

 マジで世界滅べと思ってるし、世界が滅ぶところ見てから死ぬかと思って何とか生きている。


「あ、転校生だ~。遅くない? 遅刻ギリじゃない?」

「転校してすぐこの時間に登校してくんのつよすぎ」


 何かあれば簡単に親しみにも嘲笑にも変えられる境界線の声色。それを向けられた男子生徒が、平然と「奇跡的に間に合った。一日の運使い果たしたかもー」などと言っている。「もったいな」と近くの男子が笑った。


 なんか上手くやってるよなぁ。転校して一週間でさぁ。

 私も転校生だった。一年前の夏にこっちに引っ越してきて、一度も馴染めないまま高校二年の夏休み直前。引っ越してくる前の方がひどくて、私は包帯がとれないままこっちに来た。包帯だらけの転校生はさぞ話題になっただろう。馴染めないのも仕方がない、と思う。


 転校生と目が合った。私は咄嗟に目をそらし、机の凝視を再開させる。転校生も特段反応せず、自席についた。

 こんな田舎には珍しいほど白い肌で、柔らかそうな髪色の顔のいい男子。マイペースで、今のところどこのグループにも属さず、かといって誰の敵にもならない。すかした印象の転校生。

 結局学校生活なんて、誰とも敵対せず誰にも馬鹿にされずどこのグループにも属さないまま自由人を気取って過ごすのが一番強いに決まっている。その立ち位置を一週間で固めようとしているのが、この転校生だった。


 私にできなかったことをやっている人間って、本当に腹立つキャンメイクT〇KY〇。


 てか本当に納得がいかない。クソ田舎の分際で何私の人生を制限してくれてるんだろう。世界、明日滅びませんか? 今すぐ滅んでほしいです。世界が滅ぶんなら私も一緒に滅んでやってもいいです。


 一日のカリキュラムが終了、解放。

 私はすぐさまダッシュで教室を出たい気持ちを押さえ、教室の八割程度がいなくなってから静かに席を立つ。

 かといって家にも別に居場所はないので、金がなくても時間を潰せるような場所を私はいくつも知っている。

 バイトがしたいけどなかなか採用されない。たとえ採用されても、突然白い目で見られ始めることが多くて、それがこわくて勇気が出ない。

 毎日図書館とかゲーセンとかでなんにもせずに時間潰して、日が暮れてから帰る。母は仕事で夜中まで帰らないし、祖父母は私たちを邪魔に思っている。夕飯は母が用意してくれてるけど、たまに千円札だったり、レトルトのカレーだったりして、なんか惨めだ。


 そうだ。惨めだ。

『あー、なんか惨めだな』

 そう思うことが多すぎる。一生そうなんだと思うから、やっぱ世界には滅んでほしい。


 今日もすっかり日が暮れたころ、家に帰ろうと歩いていた。ここはクソ田舎だが夜は明るい。無駄にデカい真っ直ぐな道路をトラックとかタクシーが死ぬほど飛ばして、行き急ぐ様を見せつけている。

 ふと、信号待ちの人たちの中に知っている顔を見つけた。スマホを眺めながらポケットに手を入れている、例の転校生だった。


 あいつこんな時間に何してんだ、と私は自分のことを棚に上げて思う。クラスのやつらとカラオケでもやった帰りだろうか。どこのグループにも属していないなりに、どこのグループとも程よく付き合うというのが出来るやつなんだろうと勝手に思っている。

 そんな転校生がスマホを見ながら歩き出そうとしていた。『ほーん』と思いながら眺めていた私も、ハッとして「オイバカ」と呟きながら走り出す。


 転校生の左手を掴んだ。「信号っ、赤!」と言いながら引っ張ると、転校生は目を見開いて私を見る。


「……ハァ?」


 いや、“ハァ?”じゃねえし。お前バカ。私が正しい。信号は赤だし、トラックの群れが信号の変わり目にビュンビュン飛ばしているのだ。

 その様子を指さそうとして、私は凍り付いた。


 全ての車が停まっている。信号待ちをしているとか、そういう雰囲気じゃない。車道側は黄色信号で、ここぞとばかりに我先と交差点に進入してきている車たちが軒並みそのまま止まっている。車が、というより、時間が。

 周囲に、動いているものが何一つとしてない。厳密に言うと、私と転校生以外には何一つとしてない。


「え、何これ。どういうこと? 夢?」


 転校生は眉をひそめて、ポケットから何かの端末を出した。「いよいよポンコツになってきたなぁ、これ。押してから数秒ラグがあるのはまだいいとしても、なんでこの子は止まってないんだ?」と端末を叩いたりしている。

「あのー……?」

「なんだっけ、名前」

「私のっすか?」

「うん。カケイトメさん、だっけ」

カケイトマです」

「カケイトマさんさ、」

「いや、全部が名字じゃなくて、カケイが名字でトマは名前です」

「そのシステムよくわかってないからどうでもいい。こんな時間に何してるの?」

「それを言うなら、えーっと……」

 私は転校生の名前を思い出す。佐藤連、だったな。確か。「佐藤くんは何してるんすか」と尋ねた。

 佐藤くんは肩をすくめて、「まあいいや。どっかで話さない? 奢るよ」と言った。







「刺激物の多い星だよね」と佐藤くんは言った。私が飲んでいるメロンソーダを指したものらしい。彼自身は無色透明な水を飲んでおり、『カラオケでただの水飲んでるやつ初めて見た』と私は思う。


「……宇宙人?」

「うん」

「地球を滅ぼす、宇宙人?」

「話が早くて助かるよ」


 佐藤くんは画面に延々と流れ続けるハイテンションな曲紹介を眺めながら、水を一口飲む。


「宇宙人といっても、そんなに警戒しないでほしいな。構成物質は地球人きみたちとほとんど同じなんだ」


 へえ、それは親しみが持てますね。


「どうして私にそんなこと言ったんすか。明らかに機密事項では?」

「別に大したことじゃないから」


 頬杖をつき、「きみの記憶を消すことは容易いし」と彼は言う。

 消すのが、記憶の方でよかった。


「じゃあ、なおのこと話す意味がなくないですか。あの瞬間にビビビーっと記憶消しちゃえばそれで終わりなわけでしょ」

「今の『ビビビー』って擬音はなに?」

「記憶消すときの……」

 佐藤くんは鼻で笑った。


「うん、まあ。そうなんだ。なんで話したかって言うと、ぼくはきみに頼み事があるからなんだよ」

宇宙人佐藤くんが……私に……?」


 佐藤くんは目を細め、「付き合ってくれない?」と言った。あまりにもさらりとした発言だったので、私も「はぁ……なるほど」と返していた。


「…………」

「いいかな?」

「えっと……何がですか?」

「『ぼくたち付き合おう』って言ったんだけど、いいかな?」


 つきあう、と声に出してみて私は眉を顰める。ちょっと意味がわからない。

「付き合うって、どういう意味で言ってます?」

「オッケー。最初から説明するね」

 水の入ったグラスを脇に置いて、佐藤くんはカバンからノートを取り出す。


「ぼくの仕事は最終的にこの星を滅ぼすことだけど、それまでは現地調査員でもある。なので今も殊勝に学生をやっているってわけ。この星の歴史や文化レベルがよくわかるし、人間観察もやりやすいからね」

「合理で高校生やってたんだ」

「で、得られた情報は上司に報告しているわけなんだけど、上司うえがいたく興味を示したのが、この星の繁殖と恋愛感情の結びつきだった」

「お、話が見えてきましたね」

「ぼくの星では繁殖行為というのは、そもそもの起源からして恋愛感情と結びついていない。子どもを作ること・育てることは仕事であって、個人の自由で決められることじゃないんだ」

 というかこの人って何歳なんだろう、と私は思う。地球と年月の捉え方が同じかどうかもわからないが。

 佐藤くんはノートに何らかの図を書いた。たぶん地球と佐藤くんの星での繁殖の考え方の違いだろうが、私にはよく理解できない。


「で、この星は現状、繁殖行為は恋愛感情前提だ。恋愛感情が発生しない相手とは繁殖しないのが基本だ。それならもっと安易に誰とでも恋愛関係を築いて然るべきだけれど――――というか地球人類全員が恋愛というものをしていて然るべきだけれど、実際はそうではない。ではどうやって繁栄を管理しているのかというと、案の定破綻しかけている」


 そう冷静に分析されるとちょっと常識を疑うな。私は少し考えて、「非効率的、なんですかね……」と尋ねてみる。あっけらかんと「ぼくらはそう思っている」と佐藤くんは言った。

「繁殖行為を促すはずの恋愛感情が、現代ではむしろそれを阻害しているように見える。星の心中願望とすら、思える。それでぼくの上司は、きみたちにとって恋愛感情というものが一体なんなのか興味津々なわけなんだ」

「なるほど」

「それでぼくはそれについて詳細な報告を上にしなければならないけど、限界を感じていたところだった。もうちょっと当事者意識が必要なのかなって」

「それで……」

「うん。それで、きみと恋愛関係というのを擬似的にでも体験してみたいんだよ」

 話は分かった。が、それを受け入れるという選択肢は私にはない。


「無理ですね」

「無理なの?」

「私、経験人数ゼロなんで。二人で手探りのまま終わるだけだと思いますよ。こういうのはある程度経験がある人から教わりつつやるのがいいのでは? 佐藤くんモテそうだし、その辺でナンパするだけで相手見つかりそうですけどね」

「うーん……でもぼくの事情を打ち明けて、きみみたいな反応する人っているのかな?」

「私みたいな?」

「うん。宇宙人が、それも明確にきみたちの星を滅ぼす意思を持った宇宙人が目の前に現れたら、普通は驚愕・恐怖・懐疑あたりで話を聞いてもらえないと思うんだよね。きみのその反応はぼくにとって予想外でありながら非常に都合がよくて、ぼくは今このチャンスを逃したらゼロから捏造の恋愛関係を上司に報告するほかないんじゃないかと思ってる」

「……宇宙人だってこと隠したまま付き合えばいいじゃないですか」

「ぼくなりに調べたところ、この星の恋愛関係は面倒すぎる。ぼくは擬似恋愛関係で十分だから、相手には事情を知っていてほしい」

「あー……」


 私は首をひねって考え、それから頭を抱えた。

 クソ……! なんかオーバーなリアクションで走って逃げときゃよかった……!


 私は上目遣いで佐藤くんを見て、「断ったらどうなるんです?」と尋ねる。佐藤くんは涼しい顔で「べつに。記憶を消すだけかな」と答えた。それなら丁重にお断りして、と考えていたところで佐藤くんが「でも困ったな。うちの上司は『星を滅ぼす前に得られるものは全部得る』と考えていて、情報に満足できないといつまでも星を滅ぼせないし、ぼくの仕事が終わらないんだ」と瞬きをする。

 それを聞いた私は、メロンソーダをズルズルいわせながら飲んで、「いいよ」と言っていた。


「擬似的? 恋愛ってやつ、手伝ってあげてもいいですよ」

「いいの?」

「だから早いとこ、こんな星滅ぼしてよ」


 佐藤くんは眉を顰める。

「この星が嫌いなの?」

「だいっっっきらい」

「なるほどね。道理でぼくの存在に拒否感がないわけだ」

「うん。なんなら感謝してる。私に希望をくれてありがとう、って」

 せせら笑った佐藤くんが、「ツイてるな。本当に助かるよ」と言った。






 家に帰った私は、玄関のドアを慎重に開け閉めする。家の中にいる祖父母に存在を気取られないよう、息を殺して自分の部屋に入った。

 鞄を放り投げ、そのままベッドに倒れこむ。シャワーは朝浴びればいい。夜中に物音を立てれば後から嫌味を言われる。

 ため息をついた。いまだに全く現実感がない。


 宇宙人と擬似恋愛をする羽目になってしまった。

 よくよく考えてみたら本当に意味がわからない。

 からかわれたのかも、と思い始めてきた。佐藤くんが宇宙人であるなどという突拍子もない設定を何となく信じているのは、あの道路で確かに時間を止めていたように見えていたからだが、あれも何らかの手品だったかもしれない。というか、気が狂った私の見た幻覚の類かもしれない。

 そうだとしたら死ぬほど恥だ。マジで早いとこ滅んでくれ、地球。


「まあ、大したことない。あと二年ぐらいでみんな死ぬんだし」

 この頃はすっかり精神安定剤になってしまった独り言をつぶやいて、私は眠りに落ちた。






 次の日教室に行くと、先に着いていた佐藤くんが迷わずこちらへ歩いてきた。私は『うわ、こいつマジか』と思いながらそれを避けるように不自然に遠回りして自席へ向かう。佐藤くんは首をかしげながら私の後ろをついて来た。

 は? なんなん、こいつ。


「カケイさん、おはよう」

「お、おはよう」

 私は目を伏せ、出来る限り小さな声でそう返した。だが案の定周りのやつらの目に留まって「なになに、転校生。筧になんか用?」と囃し立てる。


 佐藤くんは「うん」と頷いた。

「付き合うことになったんだ。ぼくと、カケイさん」


 さ、最悪……!


 周囲がどよめく。「嘘でしょー?」とクラスで一番いけすかない女子が訊ねた。嘘じゃないよ、と佐藤くんは不思議そうな顔をする。

「昨日たまたま夜に会って、気が合ったんだ。ね、カケイさん」

「……っすねぇ……」

 きょとんとしたクラスメイトが、それからすぐ嘲笑に変わって「あー」と変に間延びした声を出した。

「そっか。佐藤くん、転校生だから知らないんだ」

 女が、私を指さす。「人殺しの娘だよ」と、言った。


 私はただ時間が過ぎ去るように祈りながら俯いていた。

 佐藤くんが驚きを滲ませた声で「それって、カケイさんの父親が人殺しだって言ってる?」と確認する。「そう言ってんじゃん。佐藤くんって天然?」とさらに嘲笑が返ってきた。


「そうなんだ。教えてくれてありがとう。なんで今その話したかはよくわからないけど」

「なんでって、」

「ぼくたちに何か関係あるのかな、カケイさんのお父さんのことが」


 クラスメイトが「遺伝が」と言いかけ、「人殺しの血が流れてる」と言い直す。「血? 輸血されたってこと? それってあんまりよくないことなのかな。ぼくが前にいたところでは、血液の成分ってあんまり重要視されてなかったけど」と佐藤くんは言う。

 私はいよいよいたたまれなくなり、佐藤くんの手を咄嗟につかんでそのまま教室を出た。私たちの後ろで「佐藤くんは天然なんだよ」という声が聞こえた。「お似合いかもね」と。


 学校の外まで出て、佐藤くんが「授業、始まるけど」と控えめに忠告する。私は息を切らしながら「サボる。さ、佐藤くんが悪いんだよ」とかなり精一杯の抗議をした。

「なんであんなこと言っちゃうかな。生きづらくなるよ、これから」

「きみの立場はなんとなく察していたけど、思っていたよりよくないみたいだね」

「そうだよ。そう。よくないの。私と付き合ってるなんてバレたら佐藤くんも標的にされる。やっぱりやめよう。私と関わらない方がいいよ」

「ぼくは別に気にしないよ。本当に任務の継続が不可能なほど人間関係をこじらせたら、周りの人たちの記憶を消すとか、他の学校コミュニティを探すとか、いくらでもやりようはあるし」

 私は思わず自嘲的に笑う。「いいよね、佐藤くんは。私はそうじゃない。波風立たせたくないの」と俯いた。


「……きみにだけ頼み事して負担をかけるのはフェアじゃないし、ぼくもきみに協力するよ。一人でいるから当たりが強くなるという側面もあるだろう。ぼくがずっとそばにいるよ」

「いいって。佐藤くんがいる間はいいかもしれないけど、ちょっとでも離れてるとき何されるかわからないじゃん。そういうのがないように、今までずっと耐えてきたんだから」


 ため息をついた佐藤くんが私の横に並んで、「きみの立場がよくないのは、お父さんのせいなの?」と尋ねる。私は少し迷いながら、「一年前、うちのくそ親父が酒酔い運転で人を死なせてから、前の学校ではひどい目に遭った。それでこっちに転校してきて、前よりまだマシなの。ほっといて」と吐き捨てた。

「あんなの、父親だと思ってないけどね」

「じゃあ、そう言えばいいじゃないの。親と子供なんて、どうせ他人なんだから」

「そうも……いかないでしょ……」

「よくわからないな。ぼくの星では子供を作って育てることはだった。自分が育てた子供に対して特別に親しみを持つことはあっても、この星みたいな親子の情はない。それに遺伝子みたいなものはあまり人格形成には関与していないと考えられてる。人の人格はほとんど生育環境で決まる」

「うるさいな。そんな正論聞かされたって、私にはどうすることもできないんだよ。私のためになんかしてくれるって言うなら、時間を巻き戻してあの事故を起こす前にうちの父親殺してきて」

「そんなことできないよ」

 佐藤くんは困った顔で「ぼくはこの機械で時間を止めるとかそういうことはできるけど、時間をさかのぼるようなことはできないんだ」と言う。

 こっちだって別に、本気で言ったわけじゃない。

 私は何も言わず、佐藤くんの顔も見ないまま歩いた。家に帰るわけにもいかないが、教室に戻る気にもならない。


 ねえ、と佐藤くんは言った。


「ねえ、まずは何をしようか相談したかったんだけど」

「何をって……何が?」

「擬似恋愛関係として、まずは何をするべきかなって」

「話聞いてました? 私以外の誰かを探してよ」

「きみは昨日の同意を翻すの?」

「佐藤くんのためを思って言ってるんですけど?」

「ぼくのためを思っているなら、協力関係を継続してくれないかな。本当に困ってるんだ」

「あーもう、じゃあいいですよ。知らないからね」


 佐藤くんは私を追いかけてきて、「学生同士の恋愛関係って何から始めるべきかな? 恋愛関係の開始を周囲に宣言することは必要不可欠だと思っていたんだけど、そうでもないの?」と矢継ぎ早に質問してくる。「知らないよ。私にも経験ないんだって」と私は辟易とした。

「これ、昨日も言ったよね? 私と付き合ったってお互いに手探りになるだけだって」

「なるほど……。じゃあきみは、共同研究者としてぼくと一緒に考えてくれないか」

「恋愛映画でも観てろ」

「いいこと言うね。形から入るのって大事だ。数学の意味を知らなくても、公式さえ覚えていれば使える知識になる」

「皮肉として言ったんだけど……」

 私は深々とため息をつき、「わかったよ。私の家に来て。映画かなんか観て恋愛の何たるかを勉強でもしよう」と提案した。







 そろそろっと玄関から家に入り、物音を立てずに自室に入る。佐藤くんには家に入る前に『とにかく気配を気取られないようにして』と言い含めている。

 自室のドアを閉め、ほっと一息ついた。佐藤くんが「きみって家でもこうなんだ。ニンジャの末裔?」と軽口を叩く。

 私はそれを無視して、「なに観る?」と尋ねた。映画は結構好きなので、DVDなどは所有している方だと思う。私も引っ越してくる前は、というかあの父親が事故を起こす前はかなりシャカリキにバイト漬けの日々を送っており、その時の遺産と言える。


 恋愛映画を現実的な恋愛の研修材料にするというのはたぶん間違っているとは思うが、とはいえ私たちに他の突破口はない。


 ちなみに佐藤くんが『ぼくなりに調べた』と言っていたその参考資料はネット情報で妙に生々しく、恋愛というものにまったく好意的な感情がなかった。そのせいか彼は『なんでこんなに気持ちの悪いことを前提に繁栄を見込んでいるのか』とかなり不思議に思っている。

 とにかく、映画という虚構を通して恋愛というものの光の側面を私たちは見た。通しで二本観て、佐藤くんは「ふうん。まあ、いいものなんだろうね」と少しだけ認識を変えていた。


「恋愛関係というものが過分に美化されている現状についてはわかったけど、それが繫殖行為に繋がるというのがわからない。あくまで恋愛は恋愛で、繫殖は繁殖で分けていればもっと確実な繁栄が見込めると思うけど」

「それってやっぱり、『恋人以外と子供作ればいいのに』ってことですよね?」

「有体に言えばそうだよね。正しくは『子供作るのに恋愛関係にこだわる必要ないのに』ってことだけど」

「そう言われると確かに、なんでそういうシステムになってるか気になるかもな……」

「ようやくわかってきたんだけど、この星では子育てって個人に放任されているの?」

「あ、そこからなんだ」

「ぼくの星では、子どもを作ることも育てることも仕事で、義務だからね。全部にマニュアルがあって管理されてるんだ」

「私から見れば独裁国家ですけど」

「ぼくから見ればこの星の管理者は無責任だね」

「“星の管理者”っていう概念が、そもそも私たちにはわかんないですね」

 腕組みしながら何か考えている様子だった佐藤くんが、やがて「まあいいや」と呟いた。


「これでいくつかのを覚えたから、実践をしてみよう」

「えぇ……やるんですかぁ……?」

「映画と同じことをしてみて、何か新しい発見があるかもしれない」


 まあそういう約束であったので、私は渋々頷いた。

「もうすぐ夏休みだし、それからでいい?」

「ああ、学校に行かない期間?」

「私も家にいたくなかったし、ちょうどいいや」

 うん、と彼が言う。それから右手を差し出してきた。


「……なんですか?」

「握手。ビジネスライク挨拶」

「ああ。じゃあ、はい」


 確かに、私たちのビジネス疑似恋愛共同研究者としてはふさわしい挨拶かもしれない。私も片手を差し出し、彼の手を握った。「これからよろしくね、カケイさん」と佐藤くんは笑った。







 次の日おそるおそる登校すると、すでに佐藤くんが教室にいた。そこまでは昨日と同じだが、誰も私たちのことを見ていない。というか、頑なに私たちから視線を逸らしている。悪意のある無視というよりは、見えてはいけないものが視線の片隅にあるような苦い表情を誰もがしていた。

 佐藤くんは「話をつけて」だとか「わかってもらった」だとか簡単な説明を私にする。彼はそれでいいかもしれないが、私にいつ八つ当たりと逆恨みが向くか知れないと内心焦る。だが佐藤くんが席を外したタイミングでも、私が一人で廊下を歩いているタイミングでも、彼らからの接触はなかった。マジで記憶でもいじったのかなと思うほどだ。


 これまでになく平穏な日々を過ごしているうち、終業式を経て夏休みへと突入した。







 夏休み初日、待ち合わせ場所に向かうと佐藤くんはTシャツで、小さめのポーチをかけていた。私もTシャツで、小ぶりなリュックを背負っている。

「おはよう」

「おはよう……」

 確かに『夏休みに入ったら』と約束はしていたものの、初日からとは思っていなかった。呼び出されて来たものの、男子と二人で出かけるような服は持っていない。見れば佐藤くんは来ているものこそTシャツであるものの、下はスタイリッシュなスキニージーンズだし、髪もちゃんとセットしている。私はTシャツとジャージだ。服を買う金がない。


「今日は軽めに二人で何か食べて、映画館に行ってみよう。たぶん、恋愛関係初級ってそんな感じだよね」

「まあそれくらいならまだ恋愛関係になる前の微妙な時にもできることだしね」

「“恋愛関係になる前の微妙な時”? そういうのもあるんだ……」


 佐藤くんは何かぶつぶつ呟いていたが、ひとまず脇に置いた様子で喫茶店に入ることになった。

 サンドイッチとピザトーストを注文する。それから、カップル限定クリームソーダという悪ノリの賜物みたいなものも、佐藤くんは頼んでいた。


「……佐藤くん」

「あれ、やってみよう。あの一本のストローが枝分かれして二人で同時に飲めるやつ」

「佐藤くん、炭酸好きじゃないじゃん」

「なんでああいうのって大抵炭酸飲料なんだろう。二人で飲むにあたってリスクがあると思うんだけど」


 そしてカップル御用達クリームソーダは運ばれてきてしまった。小さな金魚鉢みたいな形で、ハートのストローが刺さっている。

「じゃあ、『せーの』で」

「ほんとにぃ……?」

 せーの、と佐藤くんが言って、ストローをくわえた。数秒それを吸って、それから私を見る。


「なんで飲まないの? せーのって言ったんだけど」

「いや……私たちにはまだ早いんじゃないかなと思って」

「もう一回やるからね」


 どうも許してもらえそうにないので、次の『せーの』では私も渋々ストローをくわえた。おそらくだが佐藤くんの吸う力の方が強いらしく、私の方に液体が流れてこない。必死で吸い込んでいると、ようやく冷たく甘い炭酸飲料が流れ込んできて、ちょっとむせた。

 かなり飲みづらい。


 ちらりと視線を上げると、佐藤くんの顔が間近に見えて私はすぐ退いた。佐藤くんは口元を拭って、「あとカケイさんが飲んでいいよ」と言う。

「……何か、発見はありました?」

「うーん。ストローという道具の良さを消しているよね」

「それは私も思った」

 佐藤くんはサンドイッチを頬張る。「この星の食べ物は、ぼくにとっては全部味が濃い」と言った。


 彼の星には性愛がなく、味の濃い食べ物や刺激的な娯楽もないということがわかった。

 ふーん、つまんない星。と、私は思う。

 平和でつまんない星。他の星を侵略するとか考えるのは、たんに暇だからじゃないだろうか。怒らせたくはないので口には出さないが。


 喫茶店を出て、私たちは映画館へ向かった。

 観るのはもちろん恋愛映画だ。研修の一環なので当然である。


 流行りの映画はラブコメで、お互いになぜ相手を好きになったのかすら不透明だが『なぜ好きになったのか』など重要ではないのだと思う。実際、私たちくらいの年頃だと恋愛関係になるのに大した理由などないことが多い。理由はないが『別にこいつでいいか』と決めて、そこに執着したりして、でもそれがたまに本物になったりして、そういうものかもしれないなとぼんやり思う。

 物語の筋はラブコメらしくめちゃくちゃだけど、楽しそうだった。それを羨ましく思うくらいには、私だって女子高生だ。


 観終わって映画館を出ると、少し日が陰っていた。

 佐藤くんは淡々とした声音で「面白かったね」と言う。本気で思ってるのかな、と顔を覗き込むと「ぼくは結構、この星のコメディ系のセンスは好きだな」と頷いていた。私は少し驚いたが、同意する。

 それから佐藤くんが右手を差し出してきた。

「握手?」

「いや。恋愛関係特有の移動を」

「手繋ぐってこと?」

「たぶん、そう」

 私は顔をしかめたけれど、彼の手を握る。どこまで協力するべきかの境界線をそろそろ自分の中で決めるべきかもしれない。ここまではいいが、これ以降はちょっと……。


「それで、あれはいつやるべきかな。やっぱりデートの最後にはやった方がいいの? 唇と唇で接触するやつ」

「あれはやらないよ」

「なんで?」

「ビジネス擬似恋愛関係では、あそこまでやらない」

「あれって恋愛においては必要不可欠要素じゃないの? 今のところすべての映画でやってるけど」

「そうだけど、私はそこまで自分を売れない」

「なるほど。恋愛関係初級ではやらないやつなんだ」


 顎に手を当てた佐藤くんが「まあ、おいおい考えようかな」と呟く。

 私の手はかなり汗ばんできているのに、佐藤くんの手はずっとさらさらしていた。「暑いから手離していいですか」と尋ねると、佐藤くんは「いや、今後ぼくらの移動はこれを基本にしようと思う」という無慈悲な返答がある。何が悲しくてこんな真夏に、ビジネスライク宇宙人とずっと手を繋いでいなきゃいけないのか。


「佐藤くん」

「なに?」

 佐藤くんが顔を覗きこんでくる。

 うわ、近っ……。

「歩くの……早いっす」

「ああ、そっか。歩幅を合わせないとどっちかがつらいんだ。これもかなり非効率的だね。片手が塞がるのもリスクがあるし」

「じゃあ、やめません?」

「その非効率性、非合理性を体感したいんだよ」

 そう思うと、本当に地球人って愚かだな。なんでこんなべたべた触りたがるんだ。なんで他人との境界線を曖昧にしたがるんだ。


「明日は何しようか?」

「明日もやるの?」

「休みが欲しい?」

「え、毎日やるつもり?」


 お互いに疑問形で、お互いに答えを返さず、私たちはちょっと黙った。やがて佐藤くんが「水族館ってとこ、行ってみようか。かなり高確率であそこも映画に出てくるよね」と言う。私は諦めて、「いいっすね」と答えた。

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