さすらい

醍醐潤

さすらい

 遠くに海が見える。


 平野につくられた街の向こうに、今、私は海を見た。五年ぶりの海である。


 もっとよくこの目に焼きつけたかったものの、すぐに現れた森がそれを打ち消し、視界を緑へと変えた。


 列車は山間部を走行している。遠くに海を見たのは、高い所を走っていたから。

私は、視線を外から中へと移す。車内ディスプレイには、次に停車する駅名が表示されていた。


「あと四駅か」

 吐息混じりに呟いた刹那、自分がこの列車に乗ってから、一時間半の時が流れたことを知った。


 列車は、のどかな田園風景の中にポツンと置かれた駅に止まる。開いたドアから、セミの鳴き声が入ってきた。



 あてもなく列車に乗った。


 どこに行こう、どこまで行こう、そんなことは何一つ決めずに、私は列車に乗った。


 そもそも、列車に乗る、ということを思いついたのは、朝、目が覚めてからのことであった。


 カーテンを開けて、窓の外の景色を見た。澄み切った青空が広がっていた。ここ三日間はどんよりとした空模様で、久しぶりのいいお天気だった。そんな日に出かけないのは、何だか勿体ない気がして、途端に外に出たくなった。


 外に出る、どうせなら遠くへ行きたい、それなら列車にでも乗るか、となって、軽く身支度を済ますと最寄り駅へと歩き出した。


 そして今、終着駅に到着した。あれから、二十分ほど列車に揺られた。


 その駅は初めて降り立つ駅だった。県庁所在地の駅であるため、駅の規模はそこそこ大きいが、大都会のターミナルとはちがい、どこか落ち着いた雰囲気が漂っている。


 ホーム上に蕎麦屋を見つけた。きっと、かなり昔からあるのだろう、看板の「そば・うどん」の字はかすれている。引き戸を開けて、入店した。


「いらっしゃい」


 ちょうどお昼時。狭い店内には数人の客がいた。「天ぷらそば一つ」、注文すると、店主のおばさんが、「あいよ」と返事をし、麺を茹で始めた。私はコップを給水器に置いて水を組むと、空いていたカウンターに収まった。ホーム上の店なので、立ち食い形式だ。


 まもなく、天ぷらそばが提供された。湯気が立ち上がるおわんの中に大きなえび天が一つ。箸を取ると、さっそくすすった。やさしい出汁の味に思わずため息が出る。天ぷらもサクサクで、美味い。


(こんな店がまだあったのか)


 昔は、いろいろな主要駅にホーム上の食事処があったものだが、いつからだろう。あまり見かけなくなってしまった。


(この店もいつかは)


 その時は分からないが、きっと、シャッターが閉まり、貼り紙が一枚寂しく添えられているかもしれない。


 哀愁も感じながら、出汁の一滴まで味わった。



 店を出て、私は列車を乗り換えることにした。この駅からは、ローカル線が出ているらしい。


 木造の古い跨線橋を渡り、別のプラットホームへ移ると、ちょうど二両という短い列車が入線してきた。ホーム上の路線図を確認すると、難所として知られる峠を超え、三時間以上もかけて、隣県のとある町まで結んでいるようだ。


 ドア横にある押しボタンを押して、乗車した。車内には、私一人しかいない。


 五分後、定刻になり、列車はゆっくりと駅を出発した。結局、他の誰も乗ってこなかった。


 出発してからしばらくは住宅街の景色が車窓に見えていた。が、五駅も過ぎると辺りは田園風景となり、また緑が多くなってきた。


 窓を開けた。途端に心地の良い風が、私の顔と髪を撫でた。のどかな時間の流れを感じ、落ち着いた気持ちになれる。喧騒はない。ただ、たわわに実った稲が揺れているだけ。それ以外、何もない。しかし、それが、とても気持ちよく感じる。


 コトン、コトン。秋の近付きをたしかに知らせる田んぼの中を列車は次の駅へ向けて、ゆっくり走って行く。私は少し、微睡むことにした。



 目を覚ますと、列車はある小さな駅に停車していた。腕時計に目をやると、小一時間ほどの時が過ぎていた。


 峠は既に超えていたようで、列車は下り勾配をゆっくりと進んでいる。青々と生い茂った葉が車体に迫る。


 またさらに三十分近くもすれば、民家がちらほらと見えてきた。町に出たらしい。

 

 昔はそれなりに栄えていたのだろう。到着した駅は古いが立派な駅舎を持ち、線路が剥がされたレンガ造りの長いホームがあった。


 列車が出発する。動いている町の印象は、錆びついているといった感じだ。ヒビが目立つコンクリートの壁に伸びっぱなしになったいくつもの住宅の木。 


 ふと、想像した。昔、この町に人が溢れ、今よりも長い両数の客車があの駅に止まり、たくさんの人を乗り降りさせた過去を。


 いつからだろう、人が離れだしたのは。


 十年、そんなに最近の話ではないだろう。三十年、四十年、それぐらいにまで遡るか。


 私の地元はどうだろう。


 十年ほど前に離れた、故郷のことが、少し気になった。人口はそこそこ抱えており、都会のように超高層ビルはないものの、背の高いマンションはいくつも立ち並び、分譲地もどんどん作られている。また、二年前には新しい大型ショッピングモールがオープンし、今でもなお、度々テナントがメディアに取り上げられている。


 しかし、その繁栄はいつまで続くのか。昔昔の人は「偏に風の前の塵に同じ」と言ったが、みんな、この街が将来廃れるかもしれないなどと、これっぽちも考えてはいないはずだ。


 この町も、昔は同じだったかもしれない。


 そう思考をめぐらす間にも、列車はスピードを上げ、田舎町の中を走って行くのだった。



 ただ延々と続く鉄路を辿った。目的地は決めず、ひたすら列車に身をゆだね、一日を過ごした。


 今は、自宅のある街へ向けて走る列車に乗っている。腕時計を確認すると、家を出てから十時間が経過していた。陽はすっかり落ちている。


 窓枠に肘をついて、相変わらず車窓を眺めた。進むにつれて、人の多い場所へ行くので、点けられた灯りたちが一つの芸術作品のように見える。


 駅を通過した。乗車している列車は、快速なので、いくつか通過駅がある。ホームには、並んで待つ人々の姿。どこまで行くのか、全く知らない。しかし、それぞれが、それぞれの‘目的地’を目指していることは、知っている。近い、遠い、それもまた人それぞれだが、一つとして大切でない所ではない。


「それは、自分が帰る場所も――」


 車掌による車内アナウンスがかかる。まもなく、降りなければならない。


 私は座席から立ち上がり、上に大きく伸びをした。そして、一つ、ため息をついた。


        了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さすらい 醍醐潤 @Daigozyun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ