狂銀世界で女神を愛する私、世界に嫌われる

辛子麻世

プロローグ

 古びた部屋に電球をひとつ灯すと、ほこりが舞って、なぜか舞台みたいに見えた。

 机の上にはパンと薄いスープ。配管はときどき唸って、水音は心もとない。

 それでも――ここには確かに温度があった。


「じゃーん。今日の女神ドレスはこちら」

「……シャツ?」

「ぶかぶかサイズで可愛さ三割増し」

「増してない」


 カエデはぎこちなく袖に腕を通す。指先が布に埋まって、所在なさげに揺れた。

 思わず笑った私に、彼女はむっと顔を逸らす。


「……変」

「かわいい、って言うんだよ」

「言わない」

「じゃあ私が言う。かわいい。……すごく」


 帽子を被せると前が見えなくなり、よろけた体を支える。頬が、夕焼けみたいに赤く染まった。


「……勝手に着せ替えないで」

「勝手じゃない。君は私の宝物だから」

「……ばか」


 そう言って、布団に潜り込む。私も隣に滑り込むと、背中越しの体温がすぐそこにあった。


「狭い」

「狭いのがいい。君が近いから」

「……やっぱり変な人」


 小声でそう呟いたあと、彼女がふいに振り返り、胸に額を押しつけてきた。

 細い腕がぎこちなく回され、息が止まる。


「……あったかい」

「うん。ずっと、あったかくする」

「……ありがと」


 その声が胸に落ちた瞬間、心の奥が甘く痺れる。

 私は声にならない誓いを心の底に固めた。


 パンを半分こすれば、それは祝祭の音になる。

 洗濯物が風に揺れれば、旗みたいに見える。

 小さな果物を分け合えば、笑いも半分ずつになる。

 記念日は毎日増えていく。


「ねえ」

「なに」

「……生きてて、いい?」

「いい。君は生きてなくちゃだめ。私がそう決めた」

「根拠は」

「私だから。君が好きだから」


 短いやりとりが、この部屋を甘さで満たしていく。

 どんなに外の世界が痩せても、ここには温度がある。


 ――ただ、それが永遠じゃないことを、まだ誰も知らない。

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