第39話 秋津文綿
秋津文綿は、《異人》を見ることができた。話をすることもできた。小学生の時、両親を亡くして、父親の妹夫妻の所に預けられたが、ほとんど一人ぼっちだった。ただ兄妹というだけで預けられる叔母の身になってみると、自分が邪魔者である気がしてならなかった。《異人》と遊んでいて帰りが遅くなっても叱ることはなかった。またこういうこともある。遠足でクラス行動から離れてしまった。それは《異人》に連れ去られてのだが、数時間後には学校内で発見された。それでも叔母は「仕方ないから」の一言で戒めることも、注意を喚起することもなかった。そんなことには枚挙にいとまがない。いっそのことどこかに放ってくれれば気兼ねがないのにと思うこともあった。
そういう悪さをする《異人》もいれば親しくしてくれる者もいた。彼らといるときは心が和み、心の底から笑うことができた。例えそれで周りの人たちから気持ち悪いだの、おかしいだのと言われようが、構わなかった。
一昨年、一人の《異人》と会った。翼が生えている、その異人は鳥の精であり、これから産卵するのだと言った。その鳥は、希少種であり、人間がゲージを作って天敵から守って、その数を増やそうという計画が進められていた。そういう風に人間が大切に扱ってくれるから、産卵が楽しみだと言っていた。秋津はその《異人》がきっといい卵を産み、孵化するように果物を上げたり、一緒に軽い運動をしたり、おとぎ話を聞かせたりした。
そして昨年、産卵をした。人間がここで生んで欲しいと言っていたゲージで。秋津はそれを聞いて急いでそのゲージまで行った。巣に卵を見つけると、微笑ましくあり、これからどんな雛が生まれるのか期待に胸が高鳴っていた。
しかしおかしな光景を見た。巣に《異人》がいない。それどころか、人間が梯子をかけ巣まで登っていた。もう一人が根元で、梯子にいるもう一人を見上げていた。それを木陰から覗いていた。作業服だったので、その産卵を後押ししてくれていたという関係者なのだろう。それにしてもと思い、後をつけた。二人の作業員は事務所に入って行った。勝手に入る訳にはいかないと思っていたが、その事務所は小屋を大きくしたようなため、窓際に立てば話が聞けた。窓も開いていた。話声がする。少し覗く。一つだけ大き目な席に腰を下ろしている偉そうな男が卵を片手の指で挟んでいた。
「ほう、これか」
「はい、巣に戻して孵化までの観察を……」
「いや、待て」
「は?」
「これは無しにしよう」
「どういう?」
「この鳥自体が非常に珍しい。ならば産卵ともなれば、話題作りになる。今年成功してしまったら、もったいない。今年は残念でした。それでも来年期待しましょう。しかし、鳥がたまに来ますので、観光を是非。そんな感じで進められるだろ。観光。観光。金のなる木は大事にせんとな」
そういうとその偉そうな男は自席の後方にある窓から、その卵を投げてしまった。卵は木にぶつかり粉々になった。秋津はそばまで行ってみた。小さな小さな雛とも呼べない生命が絶命していた。止めどもなく涙があふれてきた。嗚咽が上がったのだろう。
「誰だ」
作業員が窓を開けた。瞬時身を隠し、涙を留めることもなく走り続けた。《異人》に。あの《異人》に会わないと。そして話をしないと。そのゲージにも、一緒に遊んだ、語らったところにも《異人》はいなかった。その晩は泣き明かした。翌日は学校を休んで、《異人》を探した。いなかった。翌日から学校へは行った。放課後また探しに回った。ようやく見つけたのは十数日後だった。痩せ衰えていた。いや、やつれ腕が力なく細くなっていた。
「私の子、私の子、どこにもいないの。一緒に探して。ね」
「うん。探すわ。あなたをね、ずっと探していたのよ。あなたの卵をね、私も探すわ」
「そう、ありがとう。あなたのような人間に出会えて私は幸せな者ね」
それを言うと《異人》は粒子のように拡散し、秋津の腕から消えて行った。
「違うのよ。あなたにうれしく思ってもらえるような人間じゃないの、私は。あなたにね、嘘をついてのよ。もう、あなたの卵はね……人間がね、人間が。私と同じ人間がね…」
怒りとやるせなさと、無力さが秋津となっていた。どうして《異人》を助けられなかったのだろうか。どうして卵を守ることができなかったのだろうか。どうしてあの人間たちを懲らしめることができないのだろうか。
その日の夕方。通りかかった街の中の大型電気量販店の前で、足が止まる。いくつものテレビが置かれ、夕方のニュースだからだろうか、あの男が写っていた。所長という肩書だった。
「今回は産卵時期が過ぎましたので、今年は残念ながらということになりました」
あの場所で言っていた通りのことを言っていた。神妙な顔つきをしている。
「一部報道では一つ卵があったのではとの記事がありましたが」
インタビューアーが質問をしていた。
「そうよ。そうなの。こいつが、だからもっと問い詰めて。糾弾して」
テレビに寄り、画面に手を触れる。
「そういう事実はありません。内部調査によって観察の一部に不手際があったことが分かりました。その間に散乱していたのかもしれませんが、事実として確証に足るデータをとることができませんでした。私としても大変遺憾と思っておりますので、今後はこのようなことがないよう、職員一同身を引き締めて産卵と比なの誕生を願って、観察を続けて行こうと思います。それでは」
そこでインタビューは終了だった。
「何、これ。なんなの。あれだけのことをしておいて、なぜそんな作った顔でいられるのよ。それに何。その話。あなたがぶち壊したんじゃない。あの人も、あの子も……ねえ、そうでしょ!」
画面を強く叩くと、電気店の従業員が血相をかいて出てきた。
「お客様困ります」
その声に我に返ったのか、秋津は深々と陳謝をすると浮遊するような足取りで歩いた。
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