第38話 格闘
「あなた今何を……」
秋津の目が赤く光っている。
「鵺に教えてもらった呪術です。さすがの鵺という存在でも天の逆手のことは知らないそうで、その代わりに教えてもらったものです。とても簡単な」
「止め……な……」
すでに、秋津が仕掛けたことがあるようで、まるで身体を締め付けられているかのように上半身が硬直し、長木はもだえる。
「我を妨げる如何なるものも、この陣においては締上(ていじょう)される」
そんな文言を秋津は口にした。
「おい! ってこれ」
門野はその場から動けなかった。深い草の丈で分からなかったが、よく見れば地にすでに円陣が描かれていて、それが鈍く光っている。半径一メートルほどの円陣が、至る所に描かれており、霊獣もまたその円陣の一つの中で身が固まったようになっている。秋津に攻撃を仕掛けている長木はもちろんのこと、秋津と同心となっている鵺に歯向う形になった霊獣も呪術の対象となり、門野は攻撃を見せてはいないが、敵側とみなされたのだろう。
「これは独学で調べた術。これからが本番よ」
地の上でもだえる長木の顔に近づいて、怪しげな瞳そのままで秋津は事を始めようと身を整える。
「動かないで」
秋津の背後に弾正が立っていた。至近距離である。
「ここには陣はない。術の効果外です。大人しく連行されてください」
秋津の四方を、あの紙人形が取り囲んでいた。
「言いましたよね。この陣においてと」
「ん?」
地には陣はない。そのため弾正はいぶかしげに辺りを見た。陣など見つからない。そうでなければ、秋津がこのように余裕があるわけがない。
「ここですよ」
秋津は制服をまくり上げ、腹部をさらした。そこには円陣が描かれていた。
「な、なんていうことを。陣を、それも攻撃的な陣を描くということの意味が分かっていますか! うわっ」
言い終えた瞬間、弾正の身体は吹き飛ばされ、彼もまた上半身を硬直させた。紙人形は瞬間で粉砕した。
えらい力で縛り上げられている痛みがある。術の効果のせいだ。長木はパワーストーンをつけているにもかかわらず、それの攻撃が止むことはない。ブレスレットの中には、悪霊を妨げたり、霊的に身体を保護する作用の者があるにもかかわらずだ。弾正は縛られる直前、腹部に紙人形を挟み、身代り的な役割を果たさせたが、何せ上半身を締められている腕の痛みが尋常ではない。握力が失われていく。霊獣は動けずぐったりしている。顔を上げるのがやっとでそれでも鵺をにらむ力をわずかに残している。
「これで次に行ける」
秋津が余裕の表情でまたしても背筋を伸ばした時、
「捕まえた」
門野が秋津の手首を握っていた。
「どうして動けるの?」
「ああ? 動けるさ」
そう言って門野は一枚の紙を見せた。破裂した紙人形の断片。そこに円陣が描かれてあった。秋津が敷いたのと同じ円陣を、門野が見よう見まねで描いたのだった。
「オサム、止めろ。お前まで」
霊獣は止めようとするが
「もうやっちまったんだから、仕方ねえよ」
「ええい、遅れたか」
門野が覆水盆に返らずを述べていると、秋津が手首から門野の手を払おうとする。その動作が、秋津を締めることになった。
「グググググ」
痛みをこらえる声が漏れる。地に横になりながら、転がりその痛みで、締め上げられる痛みをこらえているようでもあった。
「さて、大人しくしてもらいましょうか」
門野が秋津に近づこうとした瞬間、門野はその身をふっとばされてしまった。横から鵺が体当たりしてきたのであった。予想外の衝撃というのは、まさに予想外なためその破壊力が増大する。肉体的に、そして予想できない、つまり身構えられなかったという精神的にもダメージを食らう。門野にしても然りであった。門野が吹っ飛ばされた拍子に、宙を舞っていた円陣のある紙人形の切れ端に、鵺は息を吹きかける。するとそれは炎を上げて一瞬で炭に変わった。
「これで邪魔者はいない」
「そうね」
鵺に支えられながら、痛む腕をさすりつつ、秋津が立ち上がる。改めて身を正す。背筋を伸ばし、秋津は目を閉じている。これから術が始まる。それを門野も長木も弾正も、そして霊獣もまた身動きが取れず、地に伏し眺めているしかできない。
「新しい月の始まりの日」
そんな言葉で始まった途端、弾正が叫ぶ。
「それはまずい。駄目だ。そんなことをしてはいけない」
「弾正さん、あれは……」
「今日は新月。月が文字通り新しい周期に入ります。その時に特定の術を施すということはその術が支配する周期になるということです。例えば鵺が暴れてもいいというようなね」
「それって……あ~なんで動かない」
弾正の解説を聞いて再び動こうとするが、一向に動けないままだった。焦れる門野。
――何かあるはずだ。呪術何てもんを施行させない何かが
門野は考えた。それを。しかし、祠で霊獣と初めて対戦した時や円陣を紙人形に描くといった形勢逆転の案は浮かんでこなかった。
その門野の横を歩く人影。見上げる門野。間違いでなければ長木が歩いていた。
「長木……?」
それまで長木がいたところに目をやる。もう一人の長木がもだえていた。その長木は苦しみに耐えきれず、煙幕を出した。その中から現れたのは、ムジナだった。ムジナが本物の長木にとって代わったのだった。
「あら、すごいね。長木さん。それでどうする私を許さない?」
術を滞らせないように、その仕草をしながら言葉をつなげる。
「……」
長木は何も答えない。
「言わなくても、私に抵抗する仕草の一つでもしたら、また拘束されますよ」
「……」
ためらわず長木は秋津の傍まで来ると、肩をしっかりとつかんだ。
「これがあなたの望む世界なの?」
それは疑問形だった。故に攻撃性はなかった。だから長木が再び締め上げられることはなかった。
秋津は瞼を閉じ、眉を顰める。
「こんなのは……こんなのも私の望む世界ではないわ」
強い口調は開けた瞼の奥の瞳の色が正常に戻っていてもその強さを隠すことはなかった。
「邪魔をするな」
鵺が長木に向かって突進してきた。地面に長木の身体は叩きつけられる。
「長木!」
門野は名を呼ぶ。
「大丈夫」
口の端から血が流れている。それを拭うこともなく、重そうな身体をようやくな感じで、長木は持ち上げる。立ち上がってまたも秋津の方へ歩く。
「こんな手法をとらなくても、できることはあるんじゃない?」
長木は攻撃をしてない。言葉を、長木自身が感じていることを秋津に伝えようとしていたのだった。これでは円陣の作用はない。
足を引きずるようにして歩き、一歩一歩秋津に近づく。
「あなたの想い、知っている人はいるの?」
「そんなのいるわけがない」
「どうして?」
「みんな嘘つきだからだ。だから私一人でやることに意味があるの」
「私が……私が聞いてあげるわ。あなたの想い。だから話して。こんな方法なんてとらないで」
「うるさいッ、鵺、散らして頂戴」
鵺は再び長木に突進。長木はまたも吹き飛ばされた。仰向けになり呻く長木。
「長木さん、しっかり」
弾正が呼びかけるが応答がない。
「おい」
門野が秋津に呼びかける。
「いい加減にしろっつってんのが、分からないのかよ」
先程までとは明らかに違う門野の様子に、秋津は言葉が出ない。
「おいよ!」
言うなり、拘束術がまるで聞いていないようにすくっと立ち上がった。
「どうして……」
秋津は慌てる。
「どうした。続けないのか」
鵺は術の進行を勧めるが、それどころではない。門野の様子の変化は、明らかにキレているとしか見えない。思わず後ずさりする。思わず見た足元。円陣が所々消えかかっていた。
「あれだけ動いたんだ。少しは消えるのもあるよな」
門野は霊獣を見た。恐らく陣が敷かれているのを知っていて、あれだけのたうちまわってたのだろうと、今になって思案できることがあった。
「おのれ、邪魔はさせんぞ」
鵺が身を乗り出して、門野に近づく。それを門野は片手で制した。それ以上前に進めない鵺はどうにかして動こうと身をいろいろな方向へ傾けさせるが、やはり進めない。
「人間にこれだけの力があるとは……」
「いや、違うね。あいつの力だ」
霊獣がやっとの思いで、身を起こしていた。
「俺にちと分けてくれたみてえでな」
「なるほど、霊獣が地を経由して、お前に力を注いだということか」
「それにこれは長木の分だ」
拳にパワーストーンのブレスレットがあった。それで思いっきり鵺の顔面を一撃した。ふっとぶ鵺。二度三度転がった後、姿勢を保った。口元には血液らしき液体が流れている。
「こしゃくな。しかし、私に気をとられていていいのか?」
鵺の不敵な笑みが、門野を振り向かせる。
「しまった。秋津をフリーにしちまった」
門野はその秋津がいよいよ術を始める動作――両手を広げた後、胸の前で手で印を組む――を目の当たりにした。
「ふ、いよいよだな」
鵺の笑みが気味悪さを漂わせる。しかし
「さ、させないわよ」
秋津を背後から羽交い絞めにしていた。長木である。身を粉にしてとはよく言ったもので、今の長木の姿はそれが比喩的とか慣用句的とかではなく、まさに埃まみれ、傷まみれになって、息も絶え絶えであった。
「長木さん、あなたにはもう余力がないのでは?」
印をほどくことはなく、秋津には余力が十分であった。
「させないと言ったら、させないのよ。それに、少しでも抵抗はしないと」
「我に対する者に力を授けし元を断て」
長木を無視するかのように秋津がそんなことを述べた。すると、長木の身体が秋津から吹き飛ばされ、しかも手首・足首についていたパワーストーンの数々はその結び目を切断され、拡散し飛び散った。またしても地に伏せる長木。
それを見て余裕の表情を浮かべた秋津を一瞬にして卒倒させることが起きた。門野がその飛び散った石の玉をパチンコ玉のように、掌から指で弾いて秋津に命中させたのである。それは眉間に当たった。瞳孔が開きそのまま後方に倒れる秋津。
――これで……もう、終わるの?
薄れる意識が、それでも鮮明に映すのは、とある笑みだった。
「終れない。まだ、終われないのよ」
倒れ行く身体を両足で踏ん張り、立て直す秋津の額には梵字のような図象が浮かんでいた。
「なんだよ……あれ」
石をぶつけた張本人が一番驚いている。それはそうだもしかしたらその石のせいであんな図柄出来上がったのかもしれないのだから。
「鵺との結びつきがより強固になった証拠…契約の更新ていうところか」
霊獣が門野に言ってみる。
「秋津が異人になりかけているってことか」
「そこまでではないが、アヤカシの力が、いやその一部か、が使えるようになっている」
「……」
門野は絶句した。どうして…
「どうして、そこまでして……一体何があなたを……」
術を何とかほどいた弾正が、長木に肩を貸して、ゆっくりと立ち上がらせている。
「いいわ、教えてあげる」
秋津の鬼気迫る声が、そのいきさつを語り始めた。
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