第37話 祠と鵺

 夜更け。茂った雑草を生ぬるい風が揺らす。市街地から距離があるためにここは暗い。それも薄暗い。その加減がなおさらその場の気味悪さを醸し出す。しかしそんな薄気味悪さをまるで意に反さない様子で一人が立っていた。辺りには崩れた鳥居や蔦の絡まる祠がある。

 その一人はしばらく瞼を閉じ、静かに呼吸を繰り返した。その後、意を決した眼光の元、両手を広げ、呪文的な文言を告げようと口を開いた。

「そこまで!」

 その者の背後から停止を促す言葉が投げかけられる。弾正忠明だった。振り返った者、それは紛れもなく秋津文綿だった。秋津と確認できる。当然である。クラスメートが二人も弾正の両隣にいるのだから。

「とうとう見つかりましたね」

 秋津はどことなく発見されるのが当然ともあるかのような口ぶりであった。その声は穏やかで、年頃の弾んだ感というよりも安心感を漂わせていた。門野は不思議だった。そんな声を出すのに、何をしでかすのだろうと。

「秋津文綿さんだね。ちょっと聞きたいことがあるんだけれど」

「皆さんのお察しの通りです。私が天の逆手をしました」

 弾正にも臆することなく淡々と返答をし、容疑を自供した。

「では、身柄を確保してもいいかな。これ以上の混乱は避けなければならないからね」

「拒否したい場合は?」

「強制的に確保させてもらう。それだけの権限は与えられているからね」

「そうでしょうね。でも、私はそれに従うことはできないんです」

 秋津は身軽に一跳。三人と距離を置く。

「君がしていることで、《異人》たちに影響が及ぼされている。しかも良くないね。その《異人》たちが人間に危害を加えている。見逃すわけにはいかないんだよ」

「それは人間中心に世界を見ているからじゃないですか? そんな鬱陶しいものが《異人》を傷つけているんですよ」

 やはり弾正にも引かず自分の弁を述べることができるようだ。

「待てよ。お前矛盾してるの、分かってんのか? 《異人》が傷つくのが嫌だとか言って、お前のやってる呪術が《異人》を苦しめてんだぞ」

「知ってる。だから、これが成功したら私もいなくなるの」

「はあ?」

「門野君には分からないわよ!」

 強い口調の勢いが疾風を巻き起こす。風は旋回し、凝集し形成する。秋津の背後にできた形は四足の影となり、さらにその姿を現した。

「何だよ、あれ…」

「チ」

 舌打ちをして霊獣が門野の前に現れた。

「鵺だ」

「ヌエ?」

 頭は猿、身体は狸、手足は虎、尾は蛇の容姿をしている、平安時代から語り継がれてきた伝説上の妖怪。

「ああ、まったく、どういういきさつで…」

 霊獣が言い終わらないうちに

「君は何をしているのか、分かっているんですか!」

 弾正の声が荒げる。一つ目入道との一線の時とは異なる明らかに相手を非難する色が出ていた。

「そんなものを呼び出して、ただで済むと思っているんですか!」

「いいんです。私は。今の世界を壊すことができるなら」

 手を振ると鵺が動き出した。

「チ。私が行く。早くあいつを止めるんだ」

 霊獣は鵺に応戦するため飛躍し鵺が飛ぶのを止めさせた。にらみ合う霊獣と鵺は、ゆっくりと旋回しながら、相手の出方を見つつ、自分の間(ま)を保っているようだった。

「ちょっといい? 秋津さん」

 それまで沈黙を守ってきた長木の声が震えていた。

「四月に入って早々に、ここで、この同じ場所であのアヤカシを呼び出したりした?」

 そう。この場所は長木一家が襲撃を受け、長木の弟ノウラが連れ去られた、まさにその現場だった。この場所に秋津が向かっていると、葉っぱたちからの連絡が入った時、長木は身が固まった。因果のようなものさえも感じた。しかし、一方で偶然かもしれないと思っていた。しかし、鵺を見た瞬間、あの光景がフラッシュバックしてきた。鵺がその正体をさらさずに、影のようなものをまとっていたら、ちょうどあの姿になりそうだと。だから、聞かずにはいられなかったのだ。

「もしそうだとしたら、長木さん、あなたはどうするの?」

「こうするのよ」

 長木は手首に付けていたブレスレットを外しかけて止め、直進。秋津の胸ぐらを掴む。

「いい加減にしなさいよ。あなた、何しているのか、本当に分かっているの?」

「私は天の逆手を成功させたい。それだけよ。何か間違っている?」

「間違ってるから、こうしてるんじゃない」

 長木の力がさらに強くなる。が、秋津の度胸も座ったもので、まるで動じない。それを見ている門野は女性陣の迫力のすごさに身じろぎすらままならなくなっている。

 鵺はそんな彼女に反応したのか、目を赤く光らせ、霊獣に飛びかかる。霊獣は受け止め、接近戦で応じようとしているが、

「オサム、予想外に力が強いぞ、こいつ」

 押されているようだった。

「あなたを押すほどの力が手に入るとは思ってもなかった」

 鵺が初めてしゃべった。その声はおどろおどろしいというよりも、図体に似合わず甲高いため耳障りだという感じだった。

「まさかとは思うが、自分が顕現したいがために、あの人間を利用したのではあるまいな」

 霊獣が押されながらも、問う。

「己が願いだけではそのようなことはしますまい。あの人間が力を欲した、それではどうかと提案をしたうえでの合意。何が問題になりましょう」

「無知な人間をいいように使っているだけではないか」

 霊獣は鵺を弾き飛ばした。再び間が空く。

「おやおや。霊獣ともあろう存在が人間の肩を持つような言い回し。その方がよほど偏った振舞なのでは?」

「偏ってなどおらぬは」

 今度は霊獣の方から仕掛ける。鵺は呼応する。前足が絡まり力比べをとる。

「それに何か教えたのではあるまいな」

「何のことでしょう」

「天の逆手のことだ。あれは私たちが知りうる領分ではない」

「それ自体は教えておりませんよ。私も分相応に知らないと伝えてあります。ただし」

「なんだ?」

「私たちが知りうる呪術は教えてありますがね」

「貴様!」

 霊獣の力がさらに籠る。押し気味に力比べが進む。が、一転霊獣は吹き飛ばされてしまった。地に身を何度かぶつける。さすがにしかめっ面にもなる。

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