第17話 初仕事
午後九時。弾正の指令に基づき、門野と長木は到着をしていた。商店街を抜けた人通りの少ない所。橋の欄干のたもとに。
こう言っては何だが、まだ夜はそれほど更けてはいない。しかし、この一帯は商店街が近いとは思えないくらいにしんみりとしている。門野にしろ、長木にしろ、ここはこのような時間に通ることなど記憶を遡っても思い出せなかった。
「こっちへ」
二人よりも若干遅れて来た弾正は、二人を十字路にある建物へ手招きをする。隣との建物との間に隠れる。欄干を覗くような位置だ。
「申し訳ないね。ちょっと手間取っていてね」
「いいですけど、ここは何です? うらびれているというか、もの悲しいというか」
夏なのに冷風さえも感じさせるのは湖から海への河口に置かれた欄干に近くにいるという理由ではないようだ。心地の良いものではないから。
「ええ、ここはいわくつきのところでしてね」
「いわくつき?」
街の伝承に疎いのは門野だけではない。長木も同様であるようだった。いや、大半の若者にとっては伝承という言葉だけで、埃の匂いを嗅ぎとって遠のけてしまっているのが現代である。弾正の方が稀有と言える。
「霊ですよ。ただきちんと祀ってあったはずなんです。目撃例など明治以降はなかったのですが」
門野は弾正がそこまで詳しく知っていることに感心した。と同時に、そこまで知っている必要があるのだろうかと若干のあきれも含んでいた。一高校生が霊の出没に関して年表的なことまで覚えていることにメリットが見いだせなかった。
「メリットなら、これこう。今お伝えできてるじゃないですか」
小声のせいか、弾正の弁に反論する気にもならなくなる。
「最近なんですよ。そう二週間くらい目撃例やあるいは湖へ引き込まれそうになった件が生じています」
そんなニュースは聞いたことがなかった。門野も長木も顔を見合わせ、そのことを確認した。
「ええ、たぶんクローズな情報なんでしょう。こちらを通る生徒は少ないですし、ましてやこの時間となると。それに湖に引き込まれそうになったという例の半分が酔っ払いですから戯言でしかないと思われているのでしょう」
「でも、違うんでしょ。だから来た」
「少なくとも僕はそう思ってます。確かめておくに越したことはありませんから」
「そうですね」
それから無言となった三人が、欄干を凝視すること一時間が過ぎて、交代で休憩にでも入ろうかと弾正が言った矢先、場の雰囲気が一変した。霧が立ち込めてきた。
「変じゃないですか?」
「僕らの他に誰もいないようですけどね」
門野と弾正が辺りを窺う。濃くなっていく霧で視界は数メートルしかなくなってしまった。
「あれ!」
小声ながらも歯切れよく長木は何かを見つけて指をさす。その方向は欄干であり、そこには白い着物を着、黒い長髪が濡れ、うつむき、腕をだらりと下におろしている人物がいた。
「ご登場のようですね」
「あれ、どうすんです?」
「私が行きましょうか」
門野が今後の策を問うたのに比して、長木は率先して対処に向かおうとする。
「ちょっと待ってください。おかしい」
「「何がですか?」」
二人同時に尋ねる。そもそもこの場所がそうした場所で、どうにかせねばならないから連れてきたのは「おかしい」と言った弾正その人である。いまさら「おかしい」ことなどあるだろうか。
「僕らがいることを分かっていたら、もっと接近してくるのではと思ってね」
「動ける範囲が決まっているとか」
門野の着想は外れているわけではなかった。それは弾正も認めた。しかし解せないのであった。だとしたら、今現れる必要性はどこにあるのかと。
「そうですね……てことは……」
弾正の考えに、長木は辺りを見渡すことで答えとした。すると
「あれ!」
またしても指をさした。そこには千鳥足で欄干へ向かう中年の男性の姿があった。
「狙いはあの人か」
立案を得ないまま、三人は飛び出した。除霊の前に標的にされたと思われる人命救助が優先である。弾正が男性の元へ。
「お、僕ちゃん、こんな時間に出歩いちゃダメでちゅよ」
などとイカレタ戯言をぬかす酔っ払いの鳩尾(みぞおち)へ弾正は、一発をぶち込み気絶させた。それはそうである。意識を保ったまま(酔っぱらっているのだから正常な意識ではないのでが)この場にいて奇想天外なことをされては人命救助どころではなくなる。それなら意識を失わせてどこかに運んだ方がいい。
一方の門野と長木は血色を失った顔を上げた霊の前にいた。
「え……え……」
とぎれとぎれの声を出しながら、腕を持ち上げ始める。その声はおどろおどろしく、容姿からして女性のはずが、かなり低音で薄気味悪さを助長する。息を呑む二人に
「獲物は……どこだぁ」
ようやく意味の分かる言葉を霊は放った。獲物とは先程の酔っ払いであるとすぐに回心できた。が、それを献上するわけもなく
「悪いが、それには応じられない。静かに眠っていろ」
門野の横で
「そうでなければ、大人しくしてもらいます」
長木が臨戦態勢をとる。そんな言葉をまるで無視するように
「獲物……獲物……私の獲物……」
ふらつく足取りで、両手を上げ探す仕草を始めた。
「何してる。早く片付けるぞ」
しびれを切らして現れたのは、門野に憑いた霊獣だった。通常は空気のように見えないように術や妖力を使っているようだったが、今はその身を顕現させている。恐らく長木でなくても、それこそ普通の人間でも認識できるくらいに明瞭な存在形として。
「分かってる。でも、被害が出なければそのまま帰しても」
「アホ、これまでも出ているだろうが」
「そうだけど、おかしくないか?」
「何がだ」
「明治まで現れていたってことは、それから今までは出てこなかったんだろ。なのに、なんでいまさら出てくるんだよ」
「そのことか。それならあれだ」
霊獣は顔を門野から別の方へ向けた。
「あれ……が?」
門野につられて長木もそれを見た。それは古い松の木だった。どっしりとした胴回りと両手を広げたような枝。
「で?」
「何が?」
「あれが何だっていうんだ?」
「オサム……」
霊獣は嘆くように、そして憐れむようにさらにもう一度顎で言いたいことを示した。
松の木の幹にしめ縄があった。かなり古くなっているようで、一陣の風が吹いた瞬間幹から外れ、落ちてしまった。
「なるほど。封じていた力がなくなったというわけですね」
酔っ払いをどうしたのか弾正がいつの間にか二人の背後に来ていた。欄干の脇にある建物の一角にある松。それがどうやらあの霊を封じる力だったようだ。その封印の力を与えていたしめ縄が古くなって力を失い、それに合わせて霊も再び出現した。
「といったところでしょうか」
「そういうことだ」
弾正の推理を霊獣が肯く。
「よって、私が一蹴する」
身構える霊獣を門野が制する。
「待ってくれ。弾正さん、他に方法は? こいつが一蹴てかなりなパワーのはずですから、霊が……」
「んな悠長なことを言っとる場合か」
霊獣はせかす。が。
「まあ、お待ちを。門野君。方法はあります」
「ある?」
「ええ、もう一度しめ縄を締め直すのです」
「それだけ?」
「ええ、それだけです」
準備万端なのは弾正で、どういうわけかしめ縄を取り出す。
「どっから出したんだよ」
というツッコミを入れたいくらいにマジック的な瞬間芸のように出したのである。
「ただ、もう現れないように少し術を施します。それは僕が行いますから、門野君はしめ縄を巻く係り、長木さんは申し訳ないがあの霊の相手をしてください」
「分かりました」
長木は即座に霊の前で身構える。
「なら、そいつがオサムとお前に何かしてこないように私が盾になっていてやろう」
「ありがとう」
霊獣の鼻に門野は手を添えて礼を述べる。
「礼は片付いてからだ」
霊獣の言を合図に、門野は松の幹にしめ縄をくくろうとする。しかし、まるで磁石の同極がそこにかるかのような反発力が、縄を締めさせないようにしているようだった。
「構いません。そのまま締め続けてください」
弾正は胸の前で印を組み、呪文のようなものを唱え続ける。反発力はそれに抵抗するように電気的な発光と微動を放つ。それは門野に痺れを感じさせていた。だからといって手放してしまったら、もう結びつける力がこもらない気がして門野は必死に縄の端と端を手放さない。
「止めろぉ、止めろぉ」
霊は何が行われているかを察したようで松に向かって身を返そうとした。しかし、長木がそれを遮る。
「悪いけれど、通せないわ」
「どけぇ、どけぇ」
霊は尚も進もうとする。
「それなら」
長木は右手にあったブレスレットを一つ外すと、宙に投げた。それは重力の干渉を受けていないようで、宙に漂い旋回し始めた。長木が人差し指を天に向け、それから一回転させる。すると、それに呼応してブレスレットの直径が数倍に広がった。今度は掌を天に向け腕を上げる。
「ちょっとの間だから」
そう言って、腕を振り下ろすと、ブレスレットが霊の身体を囲み、長木が広げていた掌をギュッと握ると、ブレスレットも元の直径に戻るように縮む。当然、霊の身体を強く縛ることになる。霊はうなり声をあげる。身を閉める力。それにブレスレットにあるパワーストーンの浄化の力それらが霊の力をどんどんと弱めていく。
「あ、緩んできた」
先よりも反発力が弱まってきたのをいいことに一気にしめ縄を結びつける門野。弾正は依然として呪文を唱え続けている。堅く堅くしめ縄が結ばれた。反発力も発光もしびれも消え、霊も吐息とともにその姿を消した。霧は晴れ、辺りは夜の街の景色を取り戻す。遠くで自動車が走る音がした。そういえばきりがかかっている間に、街の音も聞こえなかったなと門野も長木も思っていた。
「お疲れ様」
「初仕事にしてはちょっと苦労しましたね」
呪文を終えた弾正が二人をねぎらう。門野は苦笑いをつくった。
「何をこれしきの事で。私は休むぞ」
一方的に言った後で霊獣は姿を消した。
「ありがとう」
消えゆく霊獣に、もう一度門野は礼を言った。片付いたから。そう、霊獣が言っていた通りに。事が終わったのだから。礼を述べておこうと。
「実は私もです。パトロールとかおっしゃっていたので、巡回で終わるのかと」
「それにしてもお前のあれ、すごかったな」
「そんなことみている暇があったら、さっさと締めて頂戴よね」
門野と長木がそんな会話で帰途へ向けた歩みを進める中、弾正は落ちていたしめ縄を手にした。
「……」
無言でそれをポケットの中に仕舞った。二人を追うように歩み出して、数歩目でいったん振り返った。
「気のせい……か?」
そんな言葉をつぶやいた風景には静かにかかる欄干と、その横で風に枝を揺らす松があった。
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