第3話 帰路
帰路。長い影が二つ並んでいる。門野治と長木アンジュ。風紀委員会室から肩を並べて二人は歩いていた。同じクラスメートと言っても親しいわけでもない。会話などろくにしたことがない。無言の居心地の悪さが門野をせっつかせる。長木はまるでお構いなしな表情で歩みを進める。
「なあ」
門野には他に聞きようがない。こんな場面―風紀委員長からの勧誘の話の後―で相手の趣味を聞いたり、どこに住んでいるだとか、彼氏はいるだのとかを聞くのはそれこそ場にふさわしくない。ただ空気を取り繕うだけの会話など今は必要ない。
「お前どうするよ?」
「何が?」
長木は軽くじらすような返答をした。門野にとってみれば、文脈からすれば弾正の勧誘以外にはなかろうと
「何がじゃなくてさ、弾正さんの話に乗るのかってことだよ」
強い口調で補足することになる。
「……」
それをまたしてもじらすかのように、長木はしばらく返答を止めた。
「何か言えよ」
まるで地団太を踏む男児のような口調になる。少女の冷静さ、彼にとっては感情の起伏のフラットさがいたたまれなさを助長する。だからそんな口調になる。同年齢でも女子は精神的に男子よりも進んでいる、というのはあながち嘘でもなさそうである。
「だから言ったでしょ」
これ以上黙るのは、同級男子の逆ギレを促すもの以外にはならないだろうと踏んだのか、ようやく(門野にしてみればの「ようやく」であるが)一言を述べた。
「何がだよ」
この時期の男子というのは、自分の言は文脈依存にもかかわらず、相手がそのような話しぶりだと、先の長木と同様に発言の意図を汲めないでいる傾向が顕著である。
「返答の話でしょ。一両日中に返答する」
「だからよ、受けるのかって聞いてんだよ」
「だから考えるんでしょ、一両日で。即答でなくていいっていうから今こうして帰り道にあなたといるんじゃないの?」
理路整然とするクラスメートの話しぶりに門野は閉口してしまう。受けるにしても拒むにしても、その考えの整理の時間が一両日と設定されたのだ。もう決まっているなら、あの場で答えていた。あまりに急な、そして危うい業務になる。となれば周りに相談したりすることも必要だろう。何せ相手は《異人》である。神出鬼没、予測不能、どんな状況が転がっているのかも分からない。それに身を委ねるとあれば、話を聞きました、ハイそうします。イイエしません。とは即答できないだろう。弾正曰く、あの場に来た二人、門野と長木にはそれなりの力―《異人》に対抗できる力―があると言う。ならばなおさらである。自分は門外漢であると一蹴できる位置に置かれてはいないのである。しかも二人にはそれなりの自覚があった。門野があの場で否定しかけたのは、面倒事に巻き込まれたくなかったためだった。
「とりあえず時間ができたのだから、考えるしかないわね」
「ああ、そうだよな」
再び訪れる沈黙。日中でもないのに、アスファルトの水蒸気が蒸発する音まで聞こえてきそうである。
こういう時は話題を変えてみるのがいい。門野はその方向に頭を巡らせてみることにした。が、右記のようなチャライ兄ちゃんのナンパじゃないので、
「お茶しない~?」
て言うのも無理がある。
「あ」
しかし、はたと思いついたことがある。
「何?」
突然漏れた感嘆詞に長木はいぶかしげな色をつくる。
「ちょっと一つ聞いてもいいか?」
前もって了承を取るに越したことはない。何せ、女子の身体にかかわることをこれから尋ねるのだから。それはクラスの男子連中が皆異口同音にしていた、長木に関することである。
「いいわよ」
許可が下りたのをいいことに、門野は続けた。
「それ……」
歩きながらではあるが、門野は長木の身体の一部を指さした。
「これが何?」
「いやさ……何でつけてるんだろうなって…」
長木の表情が曇らないように、かつ彼女の怒りを買わないように当たり障りのない聞き方になる。
「変かしら?」
「いや、変てわけじゃないんだけど…」
「してる子もいるじゃない」
「いや、そうだけどもよ…お前ほどはさ…」
「仕方ないじゃない」
長木は鞄を下げている左の手首に右の掌を添えた。彼女の両手首にはパワーストーンのブレスレットがある。一つの石が並び、ブレスレットになっているわけではない。右には五つの、左には七つのブレスレットがある。しかも、長木の場合はそれだけではなかった。左足首には八つの、右足首には六つブレスレット―足首につけているからすでにブレスではなかろうが、便宜上―がある。それぞれのブレスレットでは、石の玉の大きさがまばらでいかにも重そうなものまである。
水晶、アメジスト、タイガーアイ、オニキス、トパーズ、カルサイト、オパール、ヘマタイト、ラピスラズリ。分かるところでは、それだけだろうか。一つ、多くて二つブレスレットをつけるくらいの生徒はいるかもしれないが、長木の場合は倍数どころではない。ましてや足首にもそれらがあるのだ。さすがに足首にまでする生徒は、いや生徒どころから褻比夷市を見回してもいなかろう。平均よりも高いスラリとした身長の女子が、両手首、両足首がそのように彩られていたら、それを疑問に思うのは当然と言えば当然であった。
「私、これがないと、ひどく身体がおかしくなるのよ」
そのような商品はまじないのようなもので実質的な作用はないだろうと言う人もいる。しかしである。現前としてそれがなければ身を保てない人間が存在している。ここは褻比夷市である。《異人》たちが惜しみなく闊歩する街。となれば、過敏な人間がそれらと遭遇して身体の不調を訴えてもおかしくはないだろう。というよりも人間だけということを考えてみても、例えば人ごみにいると気分が悪くなると言う人は少なくはない。それは多人数に免疫がないと言うことだけではなく、人にぶつからないでおこうとかという普段とは違う神経の使い方が不調を招くと言える。あるいは東洋医学的に言えば、気を奪われたと。だとすれば、人とは違う《異人》たちが、人とは違う能力で手法で、長木のような人間の身体に不調を及ぼすと言うのもまんざらおかしな話ではない。
「そうか。悪かったな、変なこと聞いて」
門野は、長木の短い返答に意を汲んだ。これくらいの文脈をとらえることができるなら、先程の長木の弁も汲んでやればいいものを、男子というのは。
「いいのよ。私だって普通じゃないって分かってるから」
そう言って自分の右下腕を目の前に上げて見つめた。
「あなただって…」
今度は私の番よと言わんばかりの話題の切り返し方である。
「あなただっておかしな側近さんたちに囲まれているじゃない」
「見えるのか?」
「でなければ、聞いていないわよ」
門野治には、面を被った袴姿の者と霊獣が憑いている。守護者と言うとあまりにきれいすぎる表現か、ならば用心棒と言うとどうだろうか、いささか不穏な感じが否めない言葉だが、いずれにせよそういう立場で付いている。しかし、それを見えていると言ったのは門野の周りには一人しかいなかった。そう、この長木アンジュである。
「俺たちがあそこに呼ばれたのは故なきことではない……てことか」
これまで会話をすることがなかったクラスメート。不意に訪れたその機会は、こここうしているのが必然であったかのような心持にさせた。
伝う汗はまだ照らす太陽のせいか、はたまたそんな同級女子と二人だけの共有話題をしたことによる動悸のせいか、門野には判別することができなかった。
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