今日もごはんがおいしい

北野かほり

第1話

 芋虫だ。これは。

 玄関で丸まった男を見て知花はそう思った。仕事が販売であれこれと歩き回り、疲れ果てて玄関のドアを開けたらいきなり男が丸まってきたのでびっくりしてしまった。

 大きな体を出来るだけ小さくしようとしているが、どうみても知花よりも大きい。

 その男は今失業中の知花の恋人であるさかえだ。

 失業中なのにスーツを着ている。きっとネクタイもつけているんだろう。そういう律儀さがこの男にはある。

「なに、してるの」

 知花がかがみ込んで声をかける。

「すまない」

 巨体を持つくせに、蚊の鳴くような声を出す。どこから出ているんだ。

「いろいろと失敗した」

「失敗?」

 知花は首をかしげる。

「洗濯物は半乾きで、洗濯機はあわあわで」

「うん。きっと水の量とかものを多くしちゃったんだね」

「掃除もできなくて、むしろ」

「荒れたんだね?」

「う、ん」

 はぁと知花はため息をついた。

 びくっと丸まっている男が震えた。

「顔をあげて」

「うっ」

 のろのろとさかえが顔をあげた。鋭利とよくいわれるイケメンが今は申し訳なさそうに顔を萎れさせている。

「片付けしちゃうね」

 知花はそういうとさかえを押しのけて家のなかにはいった。

 さかえが仕事を辞めたのは二日前だ。

 辞めたというよりも、倒産だ。

 それまで朝から夜まで働いていたさかえが、その日だけは珍しく知花よりも早く帰っていた。

 暗い部屋のなかにぽつんといる巨体は恐怖だ。一種のホラー映画だ。

 思わず熊に会って死んだか、これ。

 と知花は思ったほどだ。

 電気をつけるとさかえがソファでまるまっていた。

 芋虫だ。

 と知花は思った。

 そのあとなんか起こして顔面蒼白なさかえから聞かされたのは驚くべきことだ。

 さかえの勤める会社が倒産し、挙げ句に給料が半年も未払い――知花は今までなんとか自分の彼氏が身を粉砕される勢いで働いているのをみて怒鳴ってやるうかと思っていたが、その衝撃に驚いた。

 なんと今朝、会社が倒産したと張り紙があってその日一日あたふたしていた、そうだ。

 いろいろな手続きを一度終えて戻り、そのままソファで丸まってしまった――そうだ。「え、もう働かなくてよくない?」

「そうはいかないだろう」

「だって、一生分働いたじゃん」

「いや」

「どうせ会社都合ならお金とかいろいろと支払われるんだし、そのままいようよ」

「せめて家のことをさせてくれ」

 そして、二日後がこれだ。

 一日、二日と失業保険やあれこれをしていて家のことをほっといたんだが、さかえは律儀に仕事をやめたぶん家事をしようとしたようだ。

 そして彼はすべて完敗したようだ。

 もともとさかえは家のことがまったく出来ない。

 そんなこと百も承知で付き合ったのだ。

 大学時代に荒れた家を見たし、塩にすらかびをはやしたさかえを見たときに世話を焼こうと決めた。

 見た目が好みだったので知花が告白したのだ。

 さかえは一瞬躊躇ったあと、知花の告白を受け入れてくれた。そのあとなし崩しというよりも、ほぼ知花の独断と暴走によって一緒に暮らしはじめたのだ。同棲して三年、相手のだめさを知花は知り尽くしている。

 洗濯機の泡は一度なにもいれずにまわせばよかったし、洗濯物はくたくただが、それはをぱんぱんと叩いて伸ばして干せばいけた。

 家の本が落ちたりしているのは拾ってもどせばよし――たぶんこの巨体なせいで動くたびに本棚に当たったんだろうな。

「知花、その、すまない」

「終わったからいいよ。それよりおなかすかない」

「あまり」

「食べよう! じゃないと死ぬよ。それにまだ失敗してないものがあるじゃん。料理だよ」

「しかし、皿を落としそうだ」

「落としたら拾えばいいじゃん」

「味付けが」

「失敗してもいいじゃん。私がするし、へんな味ならとりあえず水でのばして適当に塩こしょうしたらいいよ」

「乱暴すぎる」

「さかえくんは繊細すぎる」

 知花は腰に手をあてて威張るように言い返した。

 これでも小学生、中学生、高校生ともに小さな女王といわれた知花は威張ることにかけては他の追随を今だって許さない。社会人になって少し謙虚さとかわいらしさを見に長けたが、根は強い。

 ほらほらとさかえの背を押してキッチンに向かう。二人で立って、エプロンをする。

「背中結んであげるから、さかえくんも結んで」

「わかった」

 二人でエプロンの紐を結び合ったあと、知花は気合いの声をあげる。

「よし、まず米だ。米。準備して」

「俺が炊くとびちゃびちゃになる」

「なら今日二人でして覚えよう。しっかりとお米を研ぐの。やりすぎるとおいしくないから二回くらいね。目盛りをよく見ず水をいれる。多すぎたらべちょっとなるけど、そのときは蒸らしたらいいし、べっちょっとしたらおかゆさんにしよう」

「うん」

「冷蔵庫のウィンナーをフライパンにいれて転がして、あと、卵。割るのはとんとんって軽くして」

「割れた」

「殻は言っても食べられるから、お皿にいれる。殻は栄養、栄養」

「がりがりしないか」

「焼いたらわかんないよ」

「乱暴すぎる」

「繊細すぎるっ」

 卵を適当に箸でといで、そのままウィンナーを焼いたフライパンの上にたらす。本当はうまく巻くつもりだったが、一回目巻こうとした瞬間にぐちゃりと崩れた。そのまま箸で卵をぐちゃぐちゃとかき混ぜる。

「うまくできないならスクランブルエッグにする」

「乱暴だ」

「味はかわらないよ」

「見た目は変わった」

「口のなかにはいったら同じだよ」

「大雑把だ」

「細かいなぁ。できもしないのに」

「うっ」

「ほい、できた。お米も出来た。早炊きは天才だ」

 知花は炊飯器を見てほくほくと笑い、炊きたてのお米をしゃもじで軽く切る。さくさくふわふわのお米はきらきらと輝いている。

 知花はにんまりと笑い、それを手にとってぱくりと食べる。

 できたてのお米ってどうしてこんなにもぷちぷちとおいしいんだろう。

「んま、天才」

「豪快すぎる」

「これを握るっ」

「あ」

「あち、あちち、うおおお、塩むすびぃ~。あっつう」

「俺がやろう」

 嘆息するさかえがせっせっと大きな手を広げておにぎりを作る。

「おお」

 横にいる知花は感嘆する。

「すごく大きい」

「手が大きいからな」

「もう二つ目! 熱くないの」

「熱くない。手の皮が厚いんだろう」

 せっせっとおにぎりを握るさかえに知花は感動する。

「私、それができないんだよね。小さいうえに皮膚が薄いせい。これって苦労知らずだってよくいわれる」

「苦労はしているだろう」

「してんのかなぁ」

「してるだろう」

 俺のことで……さかえの言葉に知花は笑った。

「楽しんでるの間違いじゃない。にしても。もうごはん出来た」

「でかくなった」

「いいじゃん。あと、インスタント味噌汁しよ。ここにあったあった」

 知花が棚から取り出したわかめの味噌汁ときのこの味噌汁を見つけて、指を嘗めるさかえの前に差し出した。

「どっち」

「……わかめ」

「うっす。お湯沸かしておくから運んで」

「わかった」

 さかえが皿を運ぶのに知花は軽い足取りでステップをふみがら、二人分の茶碗を出してインスタントをとりだす。そこに沸いたばかりの湯をそそいだ。あついそれをひとつひとつもってテーブルに運ぶ。

 お箸も並べてできあがり。

「いただきまーす」

「いただきます」

 二人で手をあわせてウィンナーを知花はつまんでたべる。さかえはおにぎりを頬張った。大きな口で一口、二口とおにぎりが消えていく。その様子に知花もおにぎりに挑みかかり、いくら食べても減らないのに驚いた。

「ぜんぜん減らないんだけど」

「よく圧縮したからな」

「圧縮すると減らないおにぎりになるんだ」

 知花は味噌汁を流し込む。

「ん、満足」

「卵がおいしい」

 形の崩れスクランブルエッグを食べるさかえを見て知花は満足した。

「食べたらゆっくり寝よう。明日もまだある」

「そうだな」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今日もごはんがおいしい 北野かほり @3tl

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る