女子高生の私と義母 ― 愛と罪の狭間で ―
凪野 ゆう
第1話 見られてはいけない夜 ― 義母との始まり
見られてはいけない夜、すべてはここから始まった。
母が亡くなったのは、私が十七歳の夏だった。
病院の屋上から見えた空はやけに青くて、蝉の声だけが現実だった。
葬儀の最中も、私は泣けなかった。
喉の奥につかえた塊が涙になり損ね、ただ熱だけを残していた。
父は黒いネクタイをきちんと締め、誰よりも淡々としていた。
弔問客に頭を下げる姿は、まるで仕事の延長のようで、私はその背中に怒りと哀れみを同時に覚えた。
でも、深夜に目が覚めて台所へ行くと、薄暗い電気の下で父がグラスを握りしめていた。
カラカラと氷の音が響き、背を向けたまま何も言わない。
私も、何も言えなかった。
◇
四十九日を過ぎるころ、家の匂いが少しずつ変わっていった。
柔軟剤、食器用洗剤、玄関マットの柄。
細かい変化が、母の不在を少しずつ塗りつぶしていった。
そして父は、半年もたたないうちに再婚した。
「お前のためにも、家に“母親”が必要だ」
父は穏やかに言ったけれど、瞳の奥は疲れ切っていた。
孤独は、人を急がせる。
そんな言葉がふと頭をよぎった。
新しい「母」は、真紀という名だった。
三十代前半。
初めて会った日のことは、今でも覚えている。
午後の光が差すリビングで、白いシャツの袖を少しまくり、遠慮がちに立っていた。
化粧は薄いのに、唇だけがやわらかく色づいて見えた。
黒く艶のある髪が首筋に沿って流れ、私は反射的に目を逸らした。
「今日から、よろしくね。沙羅ちゃん」
その声はやわらかく、差し出された手はあたたかかった。
でも私は、そのぬくもりを受け止めきれず、小さく会釈するだけで精一杯だった。
◇
それから一年。
私は十八歳に近づいていた。
父は相変わらず仕事が忙しく、帰宅は夜遅くか、時には帰らない日もあった。
家には、真紀さんと私。二人の時間が増えていった。
最初のうちは、意識して距離を置いた。
食器を並べるときも、洗濯物をたたむときも、半歩分の空白を残した。
それでも日々は、少しずつ私の頑なさをほどいていった。
玉ねぎを切って涙が出ると、真紀さんが換気扇を強にしてくれた。
「どうして知ってるの?」と聞けば、ただ笑って答えない。
気づけば、台所に立つ彼女の姿に目を奪われるようになっていた。
肩の丸み、細い手首、シャツ越しに伝わる体温の気配。
「母親」という言葉の外側にある何か。
私はそこに、どうしようもなく惹かれていた。
◇
それを自覚したのは、ある雨の夜だった。
学校帰りに大粒の雨に降られ、制服の裾が重くなった。
着替えた洗面所には、彼女が髪を乾かしたあとの温い湿り気が残っていた。
檜のように甘いシャンプーの匂いが、心臓を叩いた。
夕食は豚汁、卵焼き、鮭の塩焼き。
夜中、喉が渇いて階下に降りると、リビングの照明がまだ残っていた。
ソファに座る横顔。
母ではない。
大人の女性の顔。
胸の奥で、何かが確かに形を持った。
「あ……」
床板が軋む音に気づかれた。
振り向いた瞳が、薄明かりの中でやわらかく揺れる。
「沙羅?」
私は慌ててキッチンへ逃げ込み、水を注いだ。
蛇口の音が必要以上に大きく響く。
手が震えて、コップの縁から水がこぼれた。
「眠れないの?」
背後からの声。
振り返ると、彼女が立っていた。
首筋にはまだ湯の温もりが残っているように見えた。
「……うん、ちょっと」
「私も」
彼女は小さく笑い、ワイングラスをテーブルに置いた。
そして私の手を取った。
指先は冷たいのに、掌はあたたかい。
逃げ出したい衝動と、そのまま引かれていきたい衝動。
胸の中で二つがぶつかり合う。
私は抵抗せず、ソファへ戻った。
並んで腰を下ろすと、座面がわずかに沈んだ。
「沙羅、最近、眠れてる?」
「……あまり」
「寂しくない?」
心臓が跳ねた。
答えようとする前に、彼女の指が私の手の甲に触れた。
氷を落としたグラスのように、胸の奥で音がした。
「沙羅」
母親ではない、ひとりの女性の声で呼ばれる。
私は反射的に立ち上がった。
「……もう寝るね」
背中を向けなければ、崩れてしまう。
膝は震えていたけれど、必死に階段を上った。
◇
階段の一段目に足をかけたとき、彼女の視線を背中に感じた。
振り返ったら、何かが壊れる。
そう言い聞かせて、自室に飛び込むように扉を閉めた。
布団に潜っても、暗闇の奥でさっきの灯りが消えない。
指先の冷たさ、掌の温もり、あの声。
全部が、私の皮膚に刻みつけられていた。
──見られてはいけない夜の始まり。
その言葉が、心の中で輪郭を持った。
明日になれば、味噌汁の匂いと卵焼きの朝が来る。
でも、私はもう昨日までの私ではいられない。
唇に指を当てた。
触れられたのは手の甲なのに、熱はなぜかそこに集まってくる。
胸の奥で、小さな灯りがともった。
消したいのに、消えたら困る灯り。
──これは、見られてはいけない夜の始まり。
そして、戻れない恋の入口でもあった。
────────────────────
【あとがき】
ここまで読んでいただきありがとうございます。
感想・ブクマ・♡を押していただけると、とても励みになります。
【共通タグ】
禁断/背徳/百合/依存/秘密/官能ロマンス
【話別タグ】
初夜のざわめき/義母との出会い/家庭内の変化/禁断の始まり
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます