女子高生の私と義母 ― 愛と罪の狭間で ―

凪野 ゆう

第1話 見られてはいけない夜 ― 義母との始まり

見られてはいけない夜、すべてはここから始まった。

母が亡くなったのは、私が十七歳の夏だった。

病院の屋上から見えた空はやけに青くて、蝉の声だけが現実だった。

葬儀の最中も、私は泣けなかった。

喉の奥につかえた塊が涙になり損ね、ただ熱だけを残していた。

父は黒いネクタイをきちんと締め、誰よりも淡々としていた。

弔問客に頭を下げる姿は、まるで仕事の延長のようで、私はその背中に怒りと哀れみを同時に覚えた。

でも、深夜に目が覚めて台所へ行くと、薄暗い電気の下で父がグラスを握りしめていた。

カラカラと氷の音が響き、背を向けたまま何も言わない。

私も、何も言えなかった。

四十九日を過ぎるころ、家の匂いが少しずつ変わっていった。

柔軟剤、食器用洗剤、玄関マットの柄。

細かい変化が、母の不在を少しずつ塗りつぶしていった。

そして父は、半年もたたないうちに再婚した。

「お前のためにも、家に“母親”が必要だ」

父は穏やかに言ったけれど、瞳の奥は疲れ切っていた。

孤独は、人を急がせる。

そんな言葉がふと頭をよぎった。

新しい「母」は、真紀という名だった。

三十代前半。

初めて会った日のことは、今でも覚えている。

午後の光が差すリビングで、白いシャツの袖を少しまくり、遠慮がちに立っていた。

化粧は薄いのに、唇だけがやわらかく色づいて見えた。

黒く艶のある髪が首筋に沿って流れ、私は反射的に目を逸らした。

「今日から、よろしくね。沙羅ちゃん」

その声はやわらかく、差し出された手はあたたかかった。

でも私は、そのぬくもりを受け止めきれず、小さく会釈するだけで精一杯だった。

それから一年。

私は十八歳に近づいていた。

父は相変わらず仕事が忙しく、帰宅は夜遅くか、時には帰らない日もあった。

家には、真紀さんと私。二人の時間が増えていった。

最初のうちは、意識して距離を置いた。

食器を並べるときも、洗濯物をたたむときも、半歩分の空白を残した。

それでも日々は、少しずつ私の頑なさをほどいていった。

玉ねぎを切って涙が出ると、真紀さんが換気扇を強にしてくれた。

「どうして知ってるの?」と聞けば、ただ笑って答えない。

気づけば、台所に立つ彼女の姿に目を奪われるようになっていた。

肩の丸み、細い手首、シャツ越しに伝わる体温の気配。

「母親」という言葉の外側にある何か。

私はそこに、どうしようもなく惹かれていた。

それを自覚したのは、ある雨の夜だった。

学校帰りに大粒の雨に降られ、制服の裾が重くなった。

着替えた洗面所には、彼女が髪を乾かしたあとの温い湿り気が残っていた。

檜のように甘いシャンプーの匂いが、心臓を叩いた。

夕食は豚汁、卵焼き、鮭の塩焼き。

夜中、喉が渇いて階下に降りると、リビングの照明がまだ残っていた。

ソファに座る横顔。

母ではない。

大人の女性の顔。

胸の奥で、何かが確かに形を持った。

「あ……」

床板が軋む音に気づかれた。

振り向いた瞳が、薄明かりの中でやわらかく揺れる。

「沙羅?」

私は慌ててキッチンへ逃げ込み、水を注いだ。

蛇口の音が必要以上に大きく響く。

手が震えて、コップの縁から水がこぼれた。

「眠れないの?」

背後からの声。

振り返ると、彼女が立っていた。

首筋にはまだ湯の温もりが残っているように見えた。

「……うん、ちょっと」

「私も」

彼女は小さく笑い、ワイングラスをテーブルに置いた。

そして私の手を取った。

指先は冷たいのに、掌はあたたかい。

逃げ出したい衝動と、そのまま引かれていきたい衝動。

胸の中で二つがぶつかり合う。

私は抵抗せず、ソファへ戻った。

並んで腰を下ろすと、座面がわずかに沈んだ。

「沙羅、最近、眠れてる?」

「……あまり」

「寂しくない?」

心臓が跳ねた。

答えようとする前に、彼女の指が私の手の甲に触れた。

氷を落としたグラスのように、胸の奥で音がした。

「沙羅」

母親ではない、ひとりの女性の声で呼ばれる。

私は反射的に立ち上がった。

「……もう寝るね」

背中を向けなければ、崩れてしまう。

膝は震えていたけれど、必死に階段を上った。

階段の一段目に足をかけたとき、彼女の視線を背中に感じた。

振り返ったら、何かが壊れる。

そう言い聞かせて、自室に飛び込むように扉を閉めた。

布団に潜っても、暗闇の奥でさっきの灯りが消えない。

指先の冷たさ、掌の温もり、あの声。

全部が、私の皮膚に刻みつけられていた。

──見られてはいけない夜の始まり。

その言葉が、心の中で輪郭を持った。

明日になれば、味噌汁の匂いと卵焼きの朝が来る。

でも、私はもう昨日までの私ではいられない。

唇に指を当てた。

触れられたのは手の甲なのに、熱はなぜかそこに集まってくる。

胸の奥で、小さな灯りがともった。

消したいのに、消えたら困る灯り。

──これは、見られてはいけない夜の始まり。

そして、戻れない恋の入口でもあった。

────────────────────

【あとがき】

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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【共通タグ】

禁断/背徳/百合/依存/秘密/官能ロマンス


【話別タグ】

初夜のざわめき/義母との出会い/家庭内の変化/禁断の始まり


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