天川・無銘の光賞 発表
第1部 天川・無銘の光賞
【天川・無銘の光賞】
今回私が選ばせていただいたのは、こちらの作品になります。
『蝉叔父さん』 / 筋肉痛 さま
https://kakuyomu.jp/works/16818792437977223537
汗で砂の張り付いた彼らの顔が、私には今も目に浮かんでならない────
シュールやギャグというジャンルであると、いっそ宣言してくれれば読者も楽だろうが、この作品はそんな甘えを許さない。文章は非常に清潔感があり洗練されていて、その上でなおリズムが良い。その事が一層この物語を肌感覚として、そして夏として読者に与えてくれた。
『普通に考えれば警察を呼ばれる事案、あるいはドッキリを疑う滑稽な光景だ。』
『この期に及んで独善的な自分に嫌気が差すが、優しさと言う名の免罪符は自分へも有効だ。』
『声をかけようとして、迷う。』
現実離れした状況が続くにもかかわらず、理性的な文体と主人公の予防線とも言える感情描写が、読者を否応なく現実に引き戻してくれる。お優しいことだ。
事実、優しい人であった叔父が、あまりにも不向きな仕事で心を病んでこうなってしまった、と主人公は述懐する。客観的に見てもそのとおりだろう。主人公自身も、そんな叔父と同じ轍を踏もうとしていた。
主人公の家族たちは、程度は様々だがこの叔父を敬遠している。
それはある意味仕方がない。優しい心を持つことは相手の心の痛みを同様に引き受けることにもなるからだ。その痛みは、しかし肩代わりすることはできない。痛みを負う者が、二人に増えるだけだ。優しさは同時に強さ要求する、彼らはそれを持ち得なかったということだろう。
そもそも彼の家族は共感力が乏しいのかもしれないが、だからといってそれが言い訳にも慰めにも救いにもならないところが、この物語に一貫した空気を形作っている。
紛れもなく狂気であるはずなのだが……一方で私には、この叔父こそが人間の「優しさ」「尊さ」なによりも「真っ当さ」を体現しているのではないか、そう思えてならないのだ。
主人公の家族たちは、云わば考えることを辞めた人たちだ。責めることはできない、人は利己的で弱い生き物なのだから。しかし、そんな自分の弱さにさえも目を背けず向き合った──結果が、この蝉化なのではなかろうかと思わずにはいられないのだ。
蝉の一生、と良く揶揄されるが実のところ、蝉という生き物は昆虫としては法外に長生きだ。しかし何故か、幼虫の期間は無かったことにされ、一週間の命などと言われてしまう。人間も同じだろう。下積みの苦しい期間は人目に触れず目も向けられず、華やかなりし表舞台の瞬間だけを切り取って華麗な人生などと評する。
実際は、蝉の羽化成功率だってそれほど高くはない、だいたいは二割ほど、良くて三割くらいだろう。……現状の人間の独身率と離婚率を考えれば、案外いい勝負なんじゃないか?
さあ、人間はどうだ? ……お前はどうなんだ?
脚光を浴びる人間なんて千人に一人もいやしない。それでも「一生のうちに一度くらいは」と誰もが「自分の立つ舞台」と「スポットライト」を人生という時間を費やして買い求める。若いうちが花とばかりに、勝手に他人の価値を断じて序列を付ける。
「君も蝉になりたいのか?」
こんな世界にあって、その言葉は酷く私の腑に落ちる。
ならば、これは果たして狂気なのだろうか?
蝉でいいんじゃないか、寧ろ蝉が良いじゃないか。
人間など、苦しいだけで押し付けられるだけで、報われることなんかこれっぽっちもありはしない。
日を浴びて、肌を灼かれて、それでも力のかぎり生を叫ぶことが出来るなら──
………………………………………
この物語を読んで、容赦なく感じるのが徹底的なリアル、生々しさ。汗で砂が張り付いた顔、という部分にまず、口に出すのは何か不適切と思いながらも「そりゃそうなるよね」と思わざるを得ない。
どこまで現実に即しているか定かではないが、屠殺場の実情なんて一般人は知る由もない。しかし、肉は最初からブロック分けされパックに入ってラップを掛けられているわけではないことくらい、まともな大人なら分かっているだろう。当たり前だが、肉になる前は生きており、ぶうぶう鳴いているのだ。(実際は、プギャーーッ!! という感じに近い)……中には、魚は切り身で泳いでいると思っている人もいるらしいが。
殺し、解体し、部位ごとに切り分けて、食べやすい状態にしてくれる人がいるから我々は毎日おいしいお肉が食べられるのだ。割とその辺を分かっていない人間は多いのかもしれない。或いは……目を背け、考えないようにしているだけだろうか? 貴方はどちらだろう?
まあ、現実問題として誰でも出来る仕事ではないことは確かだ。私自身、鶏を絞める時は最初は目を背けてしまった。……二回目は案外うまくできたが。
知識として持っていれば良い、という問題ではないし、目を背けているのが罪だというわけでもない。何度も云うが、人は利己的な生き物だ。都合の悪い部分には目を背けてしまうのが人間というものなのだから。
翻って、覚悟が決まらないままに回避できない現状に流され、そこに向き合わざるを得なかった、叔父と主人公という二人の人物。
この二人が抱えているものは、果たして罪だろうか、罰だろうか。
仮に罪だとして、それは二人の犯したものだろうか。
数多の、見て見ぬふり、知らんぷりを続けている大衆の代わりに、背負わされているとは考えられないだろうか。
この作品から主旨を導き出すのは多分、不適切だろう。恐らくだが、社会にそんな事を問うために、説教臭く生み出された物語ではないと思う。ただそこに物語があり、目を背けたくなる日常があり、叔父が蝉であるという現実があるだけなのだろうと思う。
賞の選定に際し、この物語を拝読して強烈に心に残ったことは間違いない。
その前後にも、素晴らしい作品は幾つもあった。しかし、この「蝉叔父さん」を超えるものだったかと云うと、どうやらそうではなかったらしい。
読んだあと、正直戸惑いはあった。
その戸惑いは、薄れながらも選考の最後まで残り続けた。
あれ、ひょっとしてこのまま、この物語を選んじゃうのか……私?
そんな意外さも感じた。
或いは、どこかでこの物語を超える作品が来ることを期待していたかもしれない。
しかし、この物語は最後まで生を叫んでいた。
全57作品の中で、一番心に残り、一番何度も思い返し、一番夏だったのがこの作品だった。
正直、万人受けはしないと思う。しかし、そもそもそんな安いものを狙って書かれたものではないことくらい、誰の目にも明らかだろう。だって、土の味だよ?
そう、土の味がするんです。
この味は、地べたに這いつくばった事がある人にしか書けない味なんですよ。
創作は生身の人間が生み出す、最も人生が色濃くにじみ出る表現方法だと思う。
少なくとも、
主人公たちが優しいからこそ、浮き彫りになる生々しさ。
圧巻の作品でした。
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