マッチング・スクール:恋ヶ浜学園ランキング戦線

零壱

第1話  マッチングアプリ義務化!? 恋愛初心者、入学する

四月。新しい制服の襟は、まだ固い。


 校門の上には金色の校名プレート——私立恋ヶ浜学園。名前からして狙いが露骨だ。入学式の朝、俺——崎津英樹さきつひできは、胸ポケットのスマホがやけに重く感じられていた。




(大丈夫、落ち着け俺。ここは“恋愛強者”が集まる高校。彼女を作るために入ったんだ。逃げ腰は入学取り消しだぞ)




 入学式の講堂は新入生のざわめきと、新しい上履きの匂いで満ちていた。壇上にスッと立ったのは、黒縁眼鏡の男。白衣でも着そうな雰囲気だが、黒いスーツが妙に似合う。




「新入生の諸君。私は学年主任の榊原玄道さかきばらげんどうだ」




 低い声がマイクを通してよく響く。榊原先生は間を置き、涼しい顔で続けた。




「本学園における恋愛は、教育課程の一部である。よって、本日この場をもって——校内マッチングアプリ『マッチング・スクール』のインストールを義務化する」




 講堂が文字どおり震えた。


「義務!?」「アプリ!?」「うちの高校、恋の道場ってマジ!?」


 あちこちから悲鳴とも歓声ともつかない声。俺は思わず手を挙げかけ、そのまま固まった。




(……え、聞いてた話より全然ガチじゃん)




「静粛に」




榊原は手をひらりと挙げる。




「アプリは校内ネットワークを通じて各自の端末に自動配信される。拒否は不可。なお、使用成績は**恋愛活動ポイント(LAP)**として平常点に加算される。以上」




(加算……成績……! やっぱり“彼女作り”に本気を出さないと、内申が終わるやつだ)




 壇上の大型スクリーンにQRコードが映るより早く、ぼくのポケットが震えた。


《校内配信:アプリ「マッチング・スクール」をインストールしますか?——はい/はい》


 選択肢に自由のかけらもない。




 * * *




 教室。新品の机にスマホを置き、インストールバーがじわじわ伸びるのを見守る。周りを見ると、みんな手慣れた指さばきで自己紹介文を入力していた。




 前の席の男子が画面をチラ見せしてくる。「見て見て、俺のPR——“週三でピアノ、将来は外科医。朝は弱いけど君には甘いです”」




(強者感すげえな! 週三ピアノって何だ、モテを養殖してるのか?)




 俺の画面にも入力欄が現れる。


《自己PR(80字まで)》《趣味/特技/サプライズ》《理想のデート予算》《写真は後からでも設定可》


 考えている間に、後ろから柔らかな声が落ちてきた。




「——えっと、よかったら、使い方、教えましょうか?」




 振り向く。窓際から差し込む光の帯のなかに、その子は立っていた。


 淡い髪色をひとつに結い、耳元には小さな銀のヘアピン。制服のリボンも、きちんと結び目が揃っている。視線が合うと、彼女は微笑んだ。




「入学式でさっき緊張してましたよね。白亜莉玖しらありくです。よろしく」




 喉が、乾く。


「さ、崎津、英樹。よ、よろしく……っす」


 かんだ。初対面最速のミスだ。だが莉玖は、目尻をやわらかく下げて首を振る。




「大丈夫。最初はみんな緊張します。アプリも、最初の一文がいちばん難しいですし」




 その一言が、やけに胸に残った。


(……この人、噂どおりの“高嶺の花”だ。けど、話してみると遠くない)




 俺は勇気を振り絞り、PR欄に指を走らせる。


《不器用ですが誠実勝負。話すのは得意じゃないけど、聞くのは得意です——よろしくお願いします》


(よし、等身大。嘘は書かない。背伸びもしない)




「いいと思いますよ」




莉玖は俺の画面をちらりと見て、うなずいた。




「背伸びしない文、好きです」




 心臓が一拍、強く跳ねた。




 * * *




「もしかして英樹!?おーい、英樹!」




 振り向くより早く、背中をばんばん叩かれる。


「い、痛い痛い! 誰——」




「誰とは何よ、誰とは。真壁茉凛まかべまりん様のご登場でーす。……うわ、本当に英樹だ。中学から背伸びてなくない?」




「おま、茉凛!? なんでここに」




「そりゃ同じくこの学園の新入生だから。はいこれ、昔の借りね」


 茉凛は俺の髪をくしゃっと掻き乱すと、ひょいと隣の席に腰掛けた。相変わらず元気で、笑うと目じりに小さく八の字が出る。




「で? マッチングの自己PRは? “彼女募集中。得意料理はカップ麺”って?」




「馬鹿にすんな。せめて袋麺だわ」




「はは。まあ、英樹でも彼女できるよ。私の幼馴染ポイントが証明してあげる」




「初耳のポイント制度やめろ」




 軽口をたたくうちに、少しだけ緊張がほどける。茉凛が隣にいるなら、昔みたいに、少しは頑張れる気がした。




 * * *




 昼休み。校内放送が鳴った。




《新入生向けご案内:初日限定イベント“スワイプ・デビュー”開始。各新入生は5名の相手に送ることが出来る“初手グッド”が配布されます。ランキングにも反映されます——詳細はアプリ内で》




 教室の空気が一段と熱を帯びる。アプリを開くと、トップには煌びやかなタブが並んでいた。




【ホーム】【マッチ】【イベント】【LAP】【ランキング】




 その瞬間、誰かの歓声が廊下から響いた。


「やっぱ鷹宮怜央たかみやれおじゃん、初日からキラーカード引いてる!」


 流れるような足音、そして教室の扉が開く。




 彼は、風を連れて入ってきた。ほどよく乱した前髪、シャツの第一ボタンは留めたままなのに色っぽい。笑えば周囲が一段明るくなる。これが恋愛王子というやつか。




「よろしくね。怜央でいいよ」


 そして数名の女子のスマホが一斉に光った。通知が弾けるように上がる。




《鷹宮怜央さんから“初手グッド”が届きました》


《鷹宮怜央さんと“相性80%”です》




(相性の数字、見なかったことにしよう。俺のは……)




 俺のスマホが、しばらく沈黙したあとで、おそるおそる震えた。


《“初手グッド”未着信。プロフィールの充実をおすすめします》


(ぐさぁ)




 と、肩をぽんと叩かれる。


「まあまあ、落ち込むの早いって。俺のハーレム計画はもっと風速三十メートルくらいで散ったし」




 気安い声。振り向けば、短髪に人懐っこい目の男子が立っていた。




狛井迅こまいじん。席も近いし、仲良くしよ。俺、さっき“初手グッド”五連続で全部先生に飛ばしたから」




「待て、どういうミスだよ!」




「“おすすめ”の最上位に“教育的支援者”って出てきてさ。てっきり年上のお姉さんかと——榊原先生、“丁寧なご挨拶ありがとう”って返してきた。俺もう内申が恋の墓場」




「合掌」




 二人で同時に拝む。くだらないことで笑える相手は、貴重だ。




 ——しかしランキングは、残酷だった。


 放課後に発表された初日暫定ランキングは、教室の空気をさらに二極化させる。




 1位:鷹宮怜央(LAP 320)


 2位:——


 ……


 148位:崎津英樹(LAP 4)




(4って。泣くぞ)




 教室の窓際、莉玖のもとには自然に人の輪ができていた。そこへ怜央が軽やかに歩み寄る。




「白亜さん、もし良かったら、今度学園内ツアー、僕が案内しても?」




 滑らかな誘い。周囲の空気がわずかに期待で揺れる。莉玖は少しだけ目を瞬かせ、言葉を選ぶようにしてから笑った。




「ありがとう。でも、ツアーは——クラスみんなで行きたいな」




 断ってはいない。でも“みんなで”。怜央は余裕の笑みを崩さず、「了解」とだけ言って去った。莉玖の視線がふとこちらをかすめ、わずかに頷く。




(……今の、助け舟? いや、違う。彼女は誰にでも公平なんだ)




 だからこそ、遠い。だからこそ、追いかけたい。




 * * *




 夜。新しい布団は少しひんやりして、天井は見慣れない影を作った。


 スマホの光だけが、部屋の白を淡く照らす。




 ホーム画面の通知バッジには、赤い数字が「1」。


 震える指でタップする。




《初期デートミッション:三日以内に“放課後カフェ”を約束せよ》


《推奨相手:相互フォロー済/近接座席/LAP±10》


《報酬:LAP +20、限定バッジ「初手から行け」》




(三日以内……!)




 息を吸い、吐く。目を閉じて、もう一度吸う。


 俺はメッセージのアイコンを開いた。


 最上段には、昼間の会話の残り香がある。


 ——白亜莉玖:今日はありがとう。自己紹介、素敵でした


 その下に、もうひとつ。


 ——真壁茉凛:幼馴染ポイント、今なら三倍ね




 どちらに送る? いや、その前に言葉を決めないと。


(背伸びしないって、決めただろ。だったら——)




 指が、動く。


 画面に文字がひとつずつ灯る。




『もし、よかったら——放課後、カフェに行きませんか?』




 送信ボタンの赤は、信号のようにこちらを見つめていた。


 俺は深呼吸をもう一度して、押した。




 ——次の瞬間、アプリの上部に小さな花火がぱっと弾ける。


《ミッション進行:交渉中(0/1)》


 心臓の音が、通知音よりうるさい。




(やるしかない。ランキングも、強者も、全部まとめて越えてやる)




 新生活一日目の夜は、静かに更けていった。


 スマホの光が消えたあとも、胸の内側では小さな火が消えないまま、赤く灯っていた。

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