義経、一ノ谷を駆ける

四谷軒

01 鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし

 治承三年(一一八四年)二月四日。

 鵯越ひよどりごえ

 源義経みなもとのよしつね麾下きか七十騎とともに、そこから間道を抜け、福原をめざしていた。

 福原には、平家の棟梁・平宗盛が、本陣をかまえ、三種の神器、幼い安徳天皇(宗盛の甥)を擁している。

 義経は、視界の先に福原を捉えた。


「よし」


 義経は笑った。

 史上、一ノ谷の戦いといわれるこの戦いで、彼は今、のちに逆落としとよばれる電撃戦をしかけようとしていた。

 かつての平家の都――福原は、源義仲により焼き払われており、今は焼け野原だ。その焼け野原の中に宗盛の本陣がある。

 本陣は四方に幕を張られ、平家の武者たちがそこかしこにたむろしている。

 その武者たちが一斉に殺気立ち、矢を放つ。


かわせ」


 義経は短く、切るように言う。

 七十騎はその命に従い、平家の矢を躱す。


「行くよ」


 義経は先陣を切り、平家の軍勢の中をまっすぐに駆ける。


「見えた」


 義経は眉庇まびさし越しに、幕に囲まれた本陣を捉えた。


べ」


 馬は跳び、幕を越えた。

 眼前に、宗盛、神器の箱、そして幼い帝。


「いた」


 単騎踊り込んだ義経に、宗盛は驚いたが、次の瞬間、口ひげをふるわせながら叫んだ。


れ者め。わざわざここまで来たことは褒めてやる。だが終わりだ、かかれ」


「へえ、それは大変」


 幕をめくってやって来る平家の武者たちを前に、義経は肩をすくめた。


「でも、亡き父の仇、取らせてもらう。われこそは源義朝みなもとのよしともの子、九郎義経」


 義経は矢をつがえた。

 宗盛はその矢の向いた先に驚倒する。


「ま、まさか」



 寿永二年(一一八三年)七月。

 義仲の侵攻に耐え切れず、平家は京の都を捨てた。

 それは都落ちといわれ、平家は逃げた先の九州でも攻め立てられ、結局九州にもいられず、四国の屋島へと落ちた。

 うるう十月、義仲の兵が差し向けられたが、宗盛の弟・知盛が備中水島にてこれを討ち、平家の逆襲はここから始まる。

 この後、義仲は頼朝との対立を深め、その隙に平家は長門の彦島を押さえ、瀬戸内海の制海権を手に入れた。


「今こそ、福原を」


 十一月、平家は備前に進出し、福原をめざすこととした。

 義仲がまた兵を差し向けたが、これも知盛に撃破されてしまった。


「見よ。義仲恐るるに足らず」


 意気上がる知盛は、福原どころか一挙に京を手中にしようと唱えた。

 宗盛は時期尚早と論じ、口論している間に、明けて治承四年となり――


 事態は急変する。


 鎌倉の頼朝が、弟の義経を麾下千騎と共に京へ向かわせたという。

 この時義仲は、頼朝が院に米を献上すると聞いていた。

 当時、養和の飢饉という飢饉が発生していたため、義仲はそれを信じた。

 が、あらわれた義経は二万五千騎という大軍を率いており、その話が嘘だと知った。

 歯噛みする義仲だが、麾下千騎を率い、宇治川にて戦った。

 しかし衆寡敵せず、義仲は北陸へ脱出を図ったが、そこを頼朝のもう一人の弟、範頼のりよりの三万騎に捕捉され、粟津にて討たれた。



 義仲と頼朝の争いの間に、平家は福原を復していた。


「ではみかど、福原へ」


 平家の棟梁、宗盛は、幼い安徳天皇とともに、福原に移った。

 亡き父、清盛の法要を、この地で執り行うためである。

 また、福原は周りを山に囲まれ、防禦ぼうぎょに向いているため、ここに本拠を移したのだ。

 ただし義仲により焼き払われていたため、幕を張って、仮の行宮あんぐうとした。


「いずれは再建する。父よ、見守っていて下され」


 宗盛は、京を押さえなくて良かったと、ほっとしている。

 あの義仲の断末魔ともいうべき、宇治川の戦いぶりを聞くにつけ、もし戦っていたら。


「負けないにしても、かなりの兵が損なわれたはず」


 また、義経と範頼の恐るべき戦い方も気になる。

 まず義経の二万五千騎を当て、まるで弾かれたように京から脱した義仲を、範頼の三万騎で追い討つ。


「双頭の蛇ではないか」


 兵書をひもといて、知盛はそう語った。

 その上で、知盛は宗盛に言上した。


「今こそ、京に攻め上らん。鎌倉の兵は長旅といくさで、疲労困憊。戦えば勝てる」


 この時、平家の兵は七万騎といわれている。

 対するや、鎌倉の派した兵力は義経の二万五千と範頼の三万で、計五万五千騎。


「なれば兄上、帝を押し立て、向かいましょうぞ、京へ」


「むむ……」


 知盛の提案は魅力的だった。

 成功すれば、義経と範頼を討てる。

 頼朝自体は東国だが、それでも、こうして兵を差し向ける余裕は消えるだろうし、少なくとも京畿と西国は平家の手中となる。


「兄上、京には後白河院の立てた帝がいる(後鳥羽天皇)。われらの帝(安徳天皇)からすると、相容れぬ」


 後白河法皇は、平家が安徳天皇を連れて都落ちすると、後鳥羽天皇という天皇を立てていた。


「天に二日なし、地に二王なし。二帝はならび立たず、どちらかが斃れるまで戦うしかない」


 知盛は言うが、宗盛はそう思わない。

 安徳天皇は三種の神器を受け継いでおり、それは今も宗盛が帝と共に護持している。

 だが、後鳥羽天皇にはそれ三種の神器がない。

 有利なのは平家であり、むしろ一戦してその有利を損なうのは良くない。


「知盛よ、この福原にわれらが来たわけは、父の法要にある」


「…………」


 知盛が不満げな目で見ている。

 だが宗盛は押し切った。

 法要が終わるまで待て、と。



「おじうえ、おじうえ」


 知盛が去り、安堵する宗盛の裾を、安徳天皇が引っ張る。

 宗盛は思った。

 そうだ、この子が大きくなるまでは――。

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