第2話軍属メイド

 秋の気配を運んでくる涼風が、中天の日差しを受けたカーテンをらす。

 鳶色とびいろの軍服に身を包むテテュスは、手のひらに乗せた小箱へ視線を落としていた。

 くたびれた黒いリボンはその役目を負え、箱の中で眠っている。鼻先に触れる白檀びゃくだんりんとした香りは、自然と背筋が伸びた。


「どうか、見守っていてくれ……」


 私の事を。感傷にひたりながら、命の恩人の形見を眺めていた。

 あれから五年。き立てる年月は、少女を大人へと変貌へんぼうさせる。内気で病弱な少女はもう居ない。鏡に映るのは、薄桜銀はくおうぎんの髪にリボンを結ぶ凛々しい女性士官のたたずまい。ハーネスに吊り下げられたリアスカートは、階級の高さを物語る。


 その手には花ではなく、剣を。命をして自分を助けてくれた彼女のように。新調した黒いリボンを指先ででた。

 ドアに響くノックが思考を中断させる。


「テテュスさま」


 入室してきたのは、年端もいかぬ侍女じじょの少女。栗色の髪からとがり耳を出し、背中が開いたメイド服からのぞ蝙蝠羽こうもりばねと滑らかな無垢肌は無防備に感じられた。

 淫魔族サキュバス。それだけで、過去にどれだけ理不尽なあつかいを受けてきたか、想像に難くない。


「洗濯物、お持ちいたしました」

「ご苦労、ノーラ」


 名前を呼ばれた少女は返事もそこそこに、動き出したその肩が不自然に傾く。

 慌てて駆け寄ろうとしても、もう遅い。華奢きゃしゃな身体は抵抗《》むなしく投げ出された。布束と一緒に床へ。


「大丈夫か?」


 主人に声を掛けられた少女は、声も出せずにうつむいていた。


「も、もうしわけ――」

「いい。それより、ケガはないか?」


 謝罪の言葉をさえぎり、再度たずねる。少女は声も出せず、項垂うなだれまま。視線を落とす白い顔に、かげりが差す。

 過失に対する折檻せっかんぬぐい切れないかつての恐怖に支配され、その表情には未だ影が付きまとう。けれど最近はほんの少しずつではあるが、前に進んでいる気配がある。


 テテュスは背中に手を回すと、ミモザの香りがふわり。肩の震えが次第に止まっていく。


『怒らないん、ですか……?』


 以前、粗相そそうをした際。少女はふるえながらこちらをうかがい見た。それだけで、彼女が解雇された理由を実感する。彼女の辛い過去の一端が垣間かいま見えてやり切れなくなった。


(この子は一体、どれだけの恐怖を……)


 味わって来たのだろう。腕の中で薄幸はっこうの少女は、未だに自身の失敗に対する評価におびえていた。


「大丈夫だ。いい子だから」


 柔らかい声音で少女にささやき、繊細せんさいな手つきで頭をでる。

 もし彼女が今の自分の立場なら、間違いなくそうしただろうから。


 侍女じじょの少女をやさしく包み込む。過去の記憶にとらわれている姿は、まるで他人の気がしない。

 それから二人で散らかった洗濯物を拾い、抽斗ひきだしにしまう。


「申し訳ございませんでした……」


 ひとみを潤ませて頭を下げるノーラ。心からの謝罪を遮るほど、テテュスも無粋ではない。


「廊下で転んだりとかは?」


 首を横に振る。


「頑張ったな」


 目線を合わせ、またでる。かつて何もない廊下でつまずいていた姿を思い出す。今こうして自ら頭を下げられるまでに回復したことが、何よりも嬉しかった。


「…………えへへ♪」


 められた少女は栗色の髪を揺らして破顔する。屈託なく笑う様子に、先程の翳りはない。安心したテテュスの目元と口元が緩んだ。


「テテュスさまも、嬉しそうで何よりです♪」

「は? ――――なっ⁉」


 まりのない顔をしていることに気付き、女性士官は拳で口元を隠しながら後ずさる。雇用者としての威厳に欠ける所を見せてしまった自身の不覚に、テテュスは耳まで真っ赤にしてしまう。

 紅潮し狼狽うろたえる雇い主を目の当たりにし、少女は軽くき出した。途端に腹の虫が鳴る。少なくとも、テテュスではない。


「ぁ、ぅ……」


 今度はノーラがで上がる番。うつむく姿が可愛らしい。


「それじゃあ、ゴハンでも食べに行こうか?」

「はぁい……」


 再び頭をヨシヨシしてやると、ノーラはふてくされたように顔を逸らした。


らないのか?」

「もうっ テテュスさまのイジワル!」


 プリプリと怒る姿も愛らしい。過ぎた冗談だと謝罪してから、二人は微笑をにじませ部屋を後にする。スカートのすそらしながら。


「今日の献立は何でしょうね?」


 食堂での道すがら。専属メイドは嬉々として弾む声を響かせ、雇い主の顔を楽しげに覗き込む。膝丈ひざたけのスカートをらす可愛かわいらしい姿に思わず口元がほころんでしまう。


 解雇されていく当てのない彼女を、軍の登用制度を使い専属メイドとして雇ってもう半年。

 かつて、私が彼女を助けたつもりだった。


 ――――けれど今は。彼女のために強くりたい、そう思う自分がいる。

 メイドの少女はにんまりと目を細める。そこで気付いた。彼女にほだされ、ほおが緩んでいた事に。


「……あまり、羽目はめはずさないように」


 テテュスは口元に力を入れ、わざとらしく咳払せきばらい。


「はーい♪」


 笑顔を咲かせるノーラ。意に介さないのも当然だ。赤らめた顔には威厳いげんも何も、あったもんじゃない。


(まあ、まだ成人前だからな……)


 未熟なのは当たり前だし、厳しいしつけ委縮いしゅくされても困る。

 貧民街スラムから孤児院に保護された身寄りのない彼女は、推定年齢十一歳。ただ、時折彼女が見せる幼さから年齢詐称さしょうの疑惑が頭をもたげるようになった。今のところは放置を決め込む。何か事情があるのは明白だから。


 そんな大変な境遇を感じさせず、天真爛漫てんしんらんまんな笑顔を見せる健気けなげなメイドにテテュスははげまされても居た。

 彼女に相応ふさわしい主で居られるよう、自分を律することで得られる充実感がある。


 ここは魔族との国境から程近いラクリマ基地。数百年前に建てられ、近代化改修した城砦じょうさいは今もなお要衝ようしょうとしての威容いようほこり、魔族ににらみをかせていた。

 ノーラの、どこか背伸びした歩調に合わせ食堂へ向かう。廊下は静かで、すれ違う兵士もわずかだ。


「あ――」


 小さく声を漏らすと、少女は向かって来る別のメイドから視線を逸らしてその場で顔を伏せる。他方、隣を通り過ぎるメイドはテテュスに無言で一礼した後、幼い侍女を無視して去っていく。

 二人のメイドは同じ軍属だが、ノーラはテテュスが軍属補助人員登用制度を使って個人的に雇用しているので、少し毛色が違う。


 この国では魔族に対する偏見や差別はほとんど存在しない、とされている。

 往来の兵士たちも彼女の外見を気にした素振りがなかったことからも、それは厳然とした事実であることが窺える。だから、ノーラが魔族であることは関係ないはずだ。


 いまだ仲間として認められてない少女の孤独に思いをせると、テテュスは胸が締め付けられる。

 自分は彼女に、自己満足を押し付けているだけなのではないか。罪悪感が胸にわだかまる。


 それでも、ここで彼女を解雇するつもりはない。テテュスのスカートを摘まむ手のこわばりを解きほぐすように、指先を手で包み込む。驚いて顔を上げる少女に柔らかく微笑む。


「お腹が減ると、よくない考えばかりが浮かぶものだ」


 自分に言い聞かせるように。優しく見つめると暗く沈んがほおしゅが差し、喜色を浮かべる。

 小さく首肯しゅこうする彼女の頭をで、再び歩き出す。芳醇ほうじゅん薫香くんこうを漂わせる食堂へ。


 昼食をる兵士でごった返す中。今日のメニューはかしイモに野菜スープ、主菜は鹿肉しかにくのスモークグリル。深みのある燻香くんこうが食欲をき立て、空腹に響く。

 ノーラがフォークで一口。しっとりとした肉の繊維に舌をとろけさせ、思わずひとみを細める。


「ん〜……おいしい♪」


 輝く満面の笑みに、テテュスの口元がゆるむ。彼女の幸せそうな顔。それが、なによりのご馳走ちそうだった。従者が打つ舌鼓したつづみを、目を細めた主人は満足げに堪能たんのうする。


 主従だからといって、食事内容を変えることはしない。育ちざかりなのだから尚の事。少しでも栄養のあるものを食べて欲しかった。

 低温燻製くんせいの鹿肉は、しっとりとした口当たり。歯を差し入れると濃縮のうしゅくされたコクと旨味うまみ肉汁にくじゅうからあふれ出し、酸味を含んだマスタードが味を引き締めて鹿肉を更なる高みへと押し上げる。


 味を引き立てる蜂蜜はちみつの隠れた仕事も憎らしい。かしたイモのホクホクとした食感とほのかな甘味が合わさればもう、食指は止まらなかった。

 舌の上で暴れる旨味うまみを前に、会話する暇などない。主従並んで無言の食事。


 ノーラは軍属だがあくまでテテュスが雇用しているため、食事の手配はテテュスの仕事。もちろん、彼女の食事代は給料から天引きされる仕組みになっている。衛生環境保全のために支給される生理用品も同じだ。


「「ごちそうさまでした」」


 豊穣神ほうじょうしんの恵みに感謝し、二人は手を合わせる。


「おいしかったぁ~♪」


 椅子にもたれてへにゃりと笑うノーラその顔には、無防備な幸福感がにじんでいた。可愛い。咄嗟にテテュスは背筋を正し、ほころばせた口元を白布で覆い隠す。


「ああ」


 彼女には、もっと笑っていて欲しい。そのために自分は何をすべきか。テーブルに視線を落として考える。


「あ、テテュスさま……」

「ん?」


 じいっと見つめて来るノーラの手が、自分のほおにふれていた。


「ついてましたよ?」


 はにかみながら、マスタードの種をむ。直後、弾ける辛味に顔をしかめた。侍女じじょの失敗に、雇い主はたまらず吹き出した。

 ほおに残る優しいぬくもりが、思考のざわめきを溶かしていく。いやしていたつもりが逆に、いやされていたのは自分だったのかもしれない。


「もう、そんなに笑わないでくださいっ」

「フフ。すまない……」


 目尻めじりに涙を浮かべながら頭を撫でてやると、やがては少女も笑みを取り戻す。この笑顔を守って行こう。テテュスは改めて誓った。

 明日もまた、同じように彼女の笑顔が見られると信じて。

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