ありがとうを数える日

@k-shirakawa

ある日、妻との些細な口喧嘩のあと、私はその言葉の重みについて考えさせられた。

「ありがとう」という言葉は、日常の中にどれほど溶け込んでいるのだろう。


私が怒っていると、妻は黙って他のことをしている。その態度に苛立ち、つい口をついて出た。


「人に何かしてもらったら、『ありがとう』って言うのが当たり前だろ?」


すると妻は私の前に正座し、静かにこう言った。


「でしたら言わせて頂きます。私は確かに『ありがとう』をあまり言っていないかもしれません。でもそれは、貴方が私に『ありがとう』と言いたくなるようなことをしていないからです。」


その言葉に、私は思わず言葉を失った。そして、妻の言う通りに一日を振り返ってみた。


朝、何時に起きても、妻は私のためにブレンドコーヒーを淹れ、麦茶を温め、チーズを一切れ皿にのせて書斎に運んでくれる。私は「ありがとう」と言う。


目薬を差してくれるときも「ありがとう」。朝食の準備が整うと内線で知らせてくれる。「ありがとう」。食後の薬を用意してくれる。「ありがとう」。


妻は浴室の掃除をし、洗濯をし、菜園の水やりの準備をし、私の作業服を洗濯場に運び、新しい下着を持ってくる。私はそのたびに「ありがとう」と言う。


休日に私はボランティアに行く。


その間妻は、ビデオを撮っていた中国、韓国のドラマを見ていて、洗濯物を取り込んだり畳んだり掃除をしたりしているようだ。


帰宅すると、妻は私のためのに、おやつを用意してくれる。手作りのポップコーン、ブレンドコーヒー、妻自家製ののアイスクリーム。私は「ありがとう」と言う。


夕食も、風呂も、目薬も、薬も、寝床での肩や足のマッサージも。すべて妻がしてくれる。私はそのたびに「ありがとう」と言う。


こうして数えてみると、私が妻に言う「ありがとう」は、圧倒的に多い。

妻が私に尽くしてくれていることは、数え切れないほどある。にもかかわらず、私はその日、妻に「ありがとう」と言われたいと怒っていた。


妻が病気になったら困るのは私だ。先日も妻が癌の疑いがあると検査をしたが陰性だった。その時にもし手術して入院したら私は毎食、カップ蕎麦かな? と心配した。


彼女がいないと、私の一日は成り立たない。そう思うと、感謝の気持ちが胸に溢れる。


「ありがとう」は、ただの言葉ではない。日々の営みの中で、互いを思いやる心の証だ。


私はこれからも、妻に「ありがとう」を言い続けるだろう。そしてその一言に、もっと深い意味を込めていきたい。

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